《相関者》



『魔導を、オドを扱える者の戦いは次元が違う。白兵戦でも、戦争規模の話になってもだ』


 魔導猫であるリンの言葉。確かに魔導は奇跡だ。ここ数日でユアンはリンの治療術を受けたが、あれほど肉が抉れたファーガス戦での傷も、痕が残らない程度にまで回復した。きっとエヴァも今頃、リンの認識を替える術でうまいこと潜入しているのだろう。


 あれだけの力を、戦いに転用したら。――その答えが、眼前にいる。


「君に残された武器は拳銃だけ。もう戦いにならないだろう。私は何故か……昔より明確に、敵の指先が、目が、銃口が、引き金にかかる力が、視える。吐き出されてもいない弾がどこに当たるのか、どの角度で弾けばどこへ跳ねるのか、この老いぼれた頭が何故か理解する」


 ヴィンセントのそれはほぼ独白だった。彼の神業を、都市の誰もが「長年の勘」だとか「鍛練の末に達人に至ったからだろう」だとか、陳腐な言葉で片付ける。リンの言った通り、老いてから技術が飛躍的に上昇するなど、そう起こることではないのに。

 彼が身に付けたのはオドの操作による身体強化――魔導の中でも応用の部類に入る技術だ。類い稀な研鑽とセンスがなければ、独学で習得することなどない、とリンは言っていた。


 ――ああ、どうしよう。


 ヴィンセントは尊敬する養父、バートより確実に強い。射撃も体術もナイフも、バートに遅れをとっていた自分に勝てるはずがない……とは思わない・・・・・・

 だって、むしろ、


 ――こんなに強い人と戦えることが、嬉しい。


 きっとこんな気持ちは不謹慎で、まだどこか葛藤を滲ませるヴィンセントには申し訳なさすらある。だが、ユアンは純粋に戦いに昂っていた。ファーガスと格闘戦をしたときのような、戦いによって自身が研ぎ澄まされるような感覚。

 もとよりユアンが臆病で、負けたら奴隷に堕ちることを恐れているのは変わらない。しかし、バートが自分以上だと認め、己の目からも圧倒的強者として映る男と対峙できる喜びの方が上だった。


「……勝ちたいな。俺、自分で思っていたよりも貴方に勝ちたいみたいだ」


 無意識にそんなことを言い口許は自然と笑みを作る。それが凄絶なほど美しいものだと、ユアンだけが知らない。

 暗器にすら驚かず、逆手に取ってみせたヴィンセントが――ほんの僅かに怯んだ。


「あくまで退かないのだね」


 ヴィンセントの放つ殺気が《剣鬼》のものになり、彼が臨戦態勢であることを知らせた。決闘再開だ。


「ええ。俺の仲間と、この相棒を信じます」


 言い終わりには、ホルスターから抜いていた自動拳銃を早撃ちしていた。

 挙銃とほぼ同時に発砲されたにも関わらず、ヴィンセントは鞘に納めていた刀を僅かに抜き、弾丸を刀の峰で受け止め跳ね返す。奇跡のような絶妙な角度とタイミングで成されたそれは、刀の峰の表面を少し傷つけただけで、大きく武器を損傷することもない。


 跳ね返された弾丸は真っ直ぐユアンの左足を貫く軌道。


「――――ッ!!」


 ゼロコンマ何秒か。観客には知覚することもできない世界の中で、ユアンは身を翻しソレを避けた。新調した外套に穴は空いたが、ユアン自身が避けられたことに驚いた。


 ――俺は今、どこに弾が返されるか分かって避けたのか?


 弾丸撃ちは相手の挙動をつぶさに観察して射線を予測するが、それとも違う。刹那の間で、ヴィンセントの指の関節の細かい動きから身体の重心、刀の微妙な角度――何故かそれらを瞬時に理解し、脳が勝手に回避行動をとらせた、ような。

 例えるなら、熱いものを触って「熱い」と思う前に手を引っ込めるような……知覚と行動の順番が入れ替わるような、不思議な感覚だ。


「今のはどこに返すか分かって避けたのかね? ……否、それは不可能か」

「う、っ!?」


 カウンターが外れたところでヴィンセントが攻撃の手を緩めるはずがなく。気づけば彼は眼前に踏み込んでいた。何故か体側に鞘に納めた刀を持っており、腰を落とした姿勢はかなり低い。こんな構えは、知らない。


「試し斬り以外で使うのは、初めてだが」


 これは、やばい。


「…………!!」


 抜刀は確実に弾丸よりも速かった。まさに神速。銃を持つ腕が斬り飛ばされたと感じた。


 はずだったが、


「……あ、れ?」

「ふむ。またしても避けたか。“居合い”と言う、科学者の彼から口伝で知った技ゆえ、我流の構えでは完璧でないのかもしれないな。とはいえ、何故避けられるのかね?」


 ユアンはヴィンセントから数メートルの距離をおいた場所で、五体満足で立っていた。

 銃を持たない左手のみで後方転回し距離をとる……最適解の動きを、ユアンが咄嗟にしたのだ。

 反応速度が格段に上がっている。この短時間でありえないほどに。


 ――もしかして、これが……?


「……たぶん、貴方のマネです。ヴィンセントさん。俺にもよくわからないけど」


 ヴィンセントは興味深そうに「ほう」と片眉を上げて反応した。


「もしよければ、種を明かしてもらいたい。話の最中の不意討ちはしないと約束しよう。最も、今の君に意味はないかもしれんが」


 勿論嫌なら断っていい、と続けられ、ユアンは思案する。彼は己の技術が何であるのかを切実に知りたいのだ。達人たる人間として当たり前の心情だろう。


「……わかりました。ただ、俺が何故貴方の技術をマネできるのかは、話せません。それ以外でよければ」

「構わないよ。君から花の・・香り・・がすることが関係していそうだが、深くは聞くまい」


 ひゅ、と息が詰まる。本当に、リンの言う通りなのか。

 互いに睨み合い距離をはかるフリをしながら、ユアンが口火を切る。リンが明かした、ユアンの“秘密”。それだけを伏せて。


「この都市では知られてませんが、この世には、オドと呼ばれるものと、魔導というものがあるんです――」


 



***





 どちら様ですか。

 それが少年の第一声だった。


「あ、わ、私は怪しい者じゃないわ! エヴァンジェリナ・ノースブルック。エヴァでいいわ。あなたを助けに来たの。こっちは喋る猫のリン」

「そういうことだ。喚くなよ小僧」


 囚われの少年・マークが叫ばなかったのは奇跡だった。《怪物》相手のときよりも、本当に。

 だって白い猫が喋ってる。

 怪訝に思う視線に気づいたのか、猫(?)がフン、と尊大にそっぽをむいた。


「《剣聖》の対戦相手がお前を助けろとほざいたので救出に来てやったのだ。わかったらそれ以上のことを訊くなよ」

「もう、リンったら! 言い方! まずは経緯とか言わないと信じてもらえないでしょう?」


 エヴァと名乗った金髪の女性が白猫を窘める。見知った顔のメイドが部屋に来たと思えば、霞のように顔や体格がぼやけて彼女が現れたのだから、こちらにももかなり驚いたものだが。


「えっと……状況は概ねわかります。僕は、この屋敷の人達――院長の敵に騙されてここで働かされ、いや、閉じ込められていました。たぶん、院長は僕を人質に決闘を要求された。逆に言えば、僕がいなければ戦うことを躊躇うような、友好的な人物が対戦相手だということ。だったらその仲間である貴方たちは信用できます」


 マークは仕事以外では、外から鍵がかかるこの部屋に閉じ込められていた。嵌め込み式の開かない窓を睨み付けながら、マークは情報を絶たれたこの屋敷の中で、必死にヴィンセントを取り巻く状況を捉えようとしていた。故に、頭を整理さえすれば二人を疑う余地はない。……猫が喋ることについてはもう無視するしかない。


「存外理解が早いじゃないか。ならばとっとと脱出するぞ」

「は、はい。あの……決闘は、大丈夫なんですか?」


 決闘について知りたいのはヴィンセントの安否が気になるから、だけではない。恐らく、この二人が決闘に乗じて侵入してきたからだ。

 この屋敷にいた要人らしい人間は皆、決闘の観戦に出掛けている。人質を取ってまで戦わせているのだから、見に行くのは当然だ。警備員らしい軍人達も護衛としてかなりの人数がついていったから、屋敷は手薄になっている。《怪物》も同行するためいない、と他の使用人が言っていたはずだ。

 リン、という白猫はこちらの言わんとしていることを察し、答えた。


「奴にはなるべく長引かせろと言ってある。まだ屋敷の人間が帰ってこないということは、どうにかやっているのだろう」

「え……? 院長相手に、この時間を!?」


 決闘開始からもう十分以上経っている。ヴィンセントとそれだけの時間戦える者がいることに驚いた。


「ユアンは強いけど、一体どうやって《剣聖》に対抗してるのかしら……?」


 エヴァが脱出の準備なのか、ばさりとメイド服を脱ぎ捨てながら言う。十六歳のマークは「ひぇ」と叫び目を覆うが、彼女は下にしっかり服を着ていた。複雑である。

 というか、動転して気づくのが遅れたが、エヴァもここ最近有名になった決闘者だ。《初撃必殺》のスナイパーが強いという相手とは一体何者なのだ?


「……奴は《相関者エフェクター》という特殊体質だ」

「エフェ、クター?」


 徐にリンが言う。聞いたことがない単語に首を傾げた。


「オドは全生物の中を循環する力。《相関者》はオドの循環量が図抜けて多い。そこに伴う特性が三つある」


 白猫が何を言っているのか、マークにはさっぱりわからない。困惑したところで、リンは気にせず続けるだけだ。


 しかし。


「一つ目は――」


 続くはずだったリンの声は、屋敷を揺らす爆発音に掻き消された。





***





「なるほど。オドの操作……そういうものだったのか」

「作り話だとは、思わないんですね」


 端的にしか説明しなかったが、ヴィンセントは特に疑問も否も唱えなかった。


「思わないよ。むしろとても得心がいった。そういう不可視のものがあるなら、君が突然反応速度を上げた理由もわかる」

「……というと?」

「オドは使うと身体から抜けていく、というのは感覚で感じ取っていた。体外に出たオド。君はそれを読み解くことができる――恐らく、いくつか条件があるようだが」


 ユアンは乾いた笑いを小さく漏らす。感覚だけで核心を掴むのは、超人故か、歳のなせる業か。


『《相関者》には三つの特性がある』


 リンが説明した、ユアンの特殊体質の特性。


 その一つは、相手が発散したオドを極僅かに吸収し、オドが使われた用途をなぞることができるというもの。つまり“模倣”。ただしこれには条件がある。

 条件は、“共鳴”すること。相手に集中し、相手とユアンが精神的に同調しなければならない。これについては正直よくわからない所が多い。リン曰く、必ずしも同調する必要はなく、屈服もしくは心酔させるといった方法でもいいらしい。そして、《相関者》は“共鳴”しやすい――つまりカリスマ性のようなものがあるらしい。それが二つ目の特性。

 三つ目は……まだ、使いこなせていない。


『とにかく貴様は模倣のための条件を整えろ。ただし“共鳴”すると相手がお前のオドを知覚しやすくなるから気を付けるんだな』

『オドを知覚?』

『オドは感受性があれば五感で感じることができる。一番多いケースは嗅覚、香りだ。貴様の香りは――』


「……マグノリア・・・・・

「っ、!」


 ヴィンセントが本気で刀を構えだした。話は終わりだ、という合図。


「君からした花の香り。木蓮マグノリアだろう? 妻の趣味が園芸だったから、覚えてたよ。アシュタに多い木のようだがね」

「……そう、らしいですね!」


 ユアンも即座に銃を撃つ。


 マグノリア。ユアンは嗅いだこともない植物の香り。オドの香りは「魂の匂い」とも言われ、その人間の人生に所縁のあるモノを表すらしい。全く覚えはないが、やはり自分はアシュタ帝国に何か縁があるのだろうか。


 だが今は、そんなことどうでもいい。


 ギンッ、と甲高いのか濁っているのか判別に難い音をたて、放った鉛弾は刀で弾き返される――が、ユアンには弾かれる先がわかる。ならばやることは一つ。


 もう一発の銃声とほぼ同時に、ユアンに返された弾丸が地に落ちる。二つの銃弾が結合した形で。


「銃弾撃ち、か……!」


 これにはさしもの《剣聖》も目を剥いたが、歴戦の剣士は冷静になるのも早い。


「だが、私に弾は届かない」


 結果としてユアンの攻撃は通用せず、有効打になる武器を持つのはヴィンセントのみ。


「終わりだ」

「――――ッ!」


 鋭い踏み込みと同時の、上段からの袈裟斬り。ユアンは射撃直後の中かがみに近い姿勢だ。

 ヴィンセントの眼にはユアンがもはや避けられないことが、重心や筋肉の緊張状態などからわかっていた。肉食動物が、獲物が逃れられない瞬間を見極めて襲うように。


 しかし、ヴィンセントは刀を振り下ろす直前で気づく。


 ユアンから再びマグノリアの芳香がすることに。

 そして、拳銃を手放していることに。


 パシンッ、と乾いた音が空気を伝う。


「馬鹿なッ!?」


 白刃取り――刃はユアンの両手により止められていた。ヴィンセントを模倣した知覚と反射神経を使い、ユアンはこの瞬間を狙っていたのだ。

 

「――らァ!!」

「ガ、ハァッッ!?」


 渾身の上段廻し蹴りがヴィンセントの横っ面に直撃する。衝撃で刀を手放したヴィンセントはそのまま後方へ吹っ飛ばされた。砂埃が彼を包む。ユアンは奪う形になった刀を持ち直し、砂塵の向こうに鋒を向けた。


 果たして。受け身は取れたらしいヴィンセントは、額を血に濡らし、地に膝をついていた。


「――ふふ、ははは! 完敗だ、ユアン君。私が君の油断を誘ったように、君もやり返してきたね。一本とられたよ」


 降参を示すようにヴィンセントは座り込んで両手を挙げる。その皺と節が目立つ掌を、ユアンは呆けたまま見つめていが――集中の糸をぶち切るように、割れんばかりの歓声と拍手が鳴り響いた。


『誰が予想できたかっ!? 準決勝戦――勝者は、ユアン・エルフォード!』

「ぁ、……ヴィンセントさん!」


 司会の声でハッとユアンは我に帰り、ヴィンセントに駆け寄る。額の血は少ないが脳震盪を軽く起こしているようで、立ち上がる動作がややふらついている。ユアンは抜き身の刀を鞘に納めさせ、すぐさま肩を貸した。


「ああ、私は平気だ……ただ、マークが、あの子をどうしたら……」


 ヴィンセントは既に《剣聖》でも《剣鬼》でもなく、我が子を心配する親の顔をしていた。


「大丈夫です。俺の仲間が救出に行ってますから」


 それを聞くや否や、ヴィンセントは地面を彷徨っていた視線をぐいと上げ、「それはまずいぞ」と血相を変えて言う。


「私から人質を取ったのだ。マークの側には必ず奴がいる……! 君の仲間が危険だ!」

「奴……? っ、まさか」


《剣聖》が恐れる唯一の人物。


 焦燥から声が漏れ、思わず件の館の方向へ目を向ける。


「リン、エヴァ……!」



 ――季節外れの曇天が、不安を煽るように雷鳴を響かせた。


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