準決勝戦開幕


 彼我の距離が百メートルの決闘開始線は、事実としてユアンに有利であった。ヴィンセント・キリアムは戦いに剣しか用いない。軍属であった頃は勿論規則上帯銃していたが。

 彼の剣は刀と呼ばれる、刃渡りの六、七十センチ程度の片刃のものだ。中・遠距離にいる相手を攻撃することはできない。


 開幕と同時に拳銃の有効射程――五十メートルまで近付けば。否、ファーガス戦で見せたように、ユアンならば百メートルあっても人体のどこかに当たるよう撃つことができる。


 故に勝負はヴィンセントが接近する前。中距離の段階で負傷させ、戦闘力を削ぐことが重要だ――というのが、何も知らない人間の考えだ・・・・・・・・・・・・


 持ち前の足の速さを活かし、数秒で距離を縮めたユアンは定石通り発砲。ハッキリ言えば、これは様子見。挨拶のようなものだ。


 これに対しヴィンセントは、目にも留まらぬ速さで抜刀し――弾を斬り捨てた・・・・・・・


 虫でも振り払うような、端から見れば身じろぎのような動きによって、弾は二つに割れヴィンセントの両脇を抜けていく。続けてもう二発撃ったが、それも斬られ、無駄弾に終わった。


 ――《剣聖》に飛び道具は効かない。


 四方八方から同時に射撃するならまだしも、正面戦闘での発砲は彼にとって意味を成さない。それは数多の決闘で証明されている。

 ユアンの銃弾撃ちと異なり、モノを斬るというアクションは引き金を引くよりも時間がかかる。にも関わらず銃弾を捉えられるのはつまり、ヴィンセントはユアン以上に敵の弾道を早くから読めるのだ。


 ――知ってるのと実際にやられるのじゃ話が違う! 俺の銃弾撃ちも連撃にはそう対応できないのに……!


「やっぱすごいなッ、《剣聖》は!」

「君の射撃もなかなか、だよ」


 ユアンがヴィンセントに襲いかかる形で二人が衝突する。拳銃は既にホルスターに収め、手にしているのはソードブレイカーと呼ばれる、ギザギザした峰をもつコンバットナイフだ。この峰の部分が、相手の刀剣を破壊しやすいことからその名がついている。

 以前マルコムが横流ししてきた軍用のものよりやや大振りで、刀身の質も数段良い。準決勝までは比較的時間があったので鍛冶屋に出向いて購入していたのだ。


「……っ、さすが。速いな」

「あなたも、な!」


 ヴィンセントは肉薄するユアンのナイフをひらりひらりと躱していく。刀で防げる軌道であってもだ。儀礼的な剣舞や木剣での試合ならいざ知らず、真剣で鍔競り合いは禁物。ファーガスとの戦いの時のように、刃物と刃物がぶつかれば双方簡単に刃零れする。特にヴィンセントは刀一本しかないため、防御の方法は限られるだろう。


「――何故、銃を使わないんだね?」

「俺も《剣聖》のファン、だからな。あなたが銃を潰せる・・・・・のは知ってる!」


 近距離で放たれた銃弾を剣で敵に弾き返す・・・・・・・・――なんて芸当を、この御仁はできてしまうのだ。それも狙った場所に。だから彼に接近した大抵の者は、自分が放った弾丸を自分の銃に返されて武器を失う。昔この目で見ていなければ信じられない話だが。


 ――でも、武器を狙ってるのはそっちだけじゃないぞ。


 現状、ヴィンセントは刀をまともに構えられず、ユアンの刃から距離をとることもできずにいる。


 拳銃で牽制しつつ、ナイフが有効となる超近距離戦に持ち込むことで、長所の格闘と俊敏性で優位に立てる――あわよくば刀を損傷させることができる、という読みだ。あの刀という剣は確かによく斬れそうだが、刀身が薄いためそう堅牢ではないだろう。“銃弾斬り”だって刀が万全でなければできないはず。


 リンやエヴァとの作戦会議の結果だ。ソードブレイカーつきのナイフを採用することも、リンが提案し、エヴァが鍛冶屋を紹介してくれた。今ここで二人に報いなければならない。


「――シッ!」

「……む!?」


 鬱陶しがるようにヴィンセントが距離を取ったタイミング。

 ここで袖に隠していた二本目・・・のナイフが登場する。回収が恐らくできないのは承知の上で投擲する。予備動作もなく、手品のように掌中に現れた小振りの得物にさしものヴィンセントも驚いている。

 

 タネは仕掛け好きの鍛冶屋がエヴァにサービスで渡した(下心見え見えだったが)、隠し短剣スリーブナイフだ。小さなリールが内臓された奇妙な形のバンドで、腕に巻いてナイフをセットし、バンドから伸ばしたワイヤーつきの金具を袖口に取り付けることで準備は完了。あとは金具を引っ張ることで自動で鞘が解放され、抜き身で掌に現れる……という仕組みだ。パッと見革製のインナーアーマーのようでカッコいいのだが売れていないらしい。


『暗殺者ならまだしも、正面きって戦う決闘祭の参加者相手じゃ売れんだろうな』


 とはリンのコメント。今回のように投擲してしまえば使えるのは一度きり。お守りにしかならない暗器だ。


 ともあれ、正面きっての戦いであっても不意打ちには使える。投げナイフだってバートから勿論習っていたが、これまでの決闘で軽々に使わないでいてよかった。


 キンッと僅かな音をたて、ヴィンセントが刀身で小さなナイフを防ぐ。彼ならきっと躱すこともできただろうが、咄嗟のことで判断が遅れたのだろう。

 決定的なチャンスだ。


 ――もらったッ!


 構えたコンバットナイフごと突進するように距離を詰める。そして、ヴィンセントの左脇に刃が半ば近く埋まった。


 埋まった、ように見えた。


「……っえ?」


 ユアンから戸惑いの声が漏れる。


 ――違う。だって肉を刺した感触はしなかった。


「この程度で隙を作ったとでも?」

「はっ……!?」


 ナイフが半ばまで刺さっているのではない。半ばで折れ・・・・・ているのだ・・・・・


「呆けている場合かね?」


 死ぬぞ、とヴィンセントが囁いた気がした。本能が逃げろと叫びたてる。

 がむしゃらに土埃を立たせて後ろに跳ぶ。


「っ、あぁッ!!」


 けれど間に合わない。

 袈裟斬りにされた胸元が熱い。血がじわりと溢れ出しているようだ。肋骨上部から鎖骨にかけて切り裂かれている。咄嗟に上体を反らしたため傷は浅いが、ユアンを狼狽させるには十分だった。


 ――冗談だろ、あの体勢から何故俺のナイフが斬れるっ!?


 一度は投げナイフの防御に使った刀。そこから構え直し、斬る動作が何故間に合うのか理解できない。問題は、斬る動作そのものが見えなかったということ。


「決闘で暗器は意外だが、手品のような小細工では私に通じないよ。老いぼれなりに、大抵のことは驚かなくなってしまってね」


 ヴィンセントは動揺などしていなかった。ユアンを油断させるために敢えて隙を作って見せたということなのだろう。

 服ごと胸を押さえ距離をとったユアンに、ヴィンセントは追撃をかけない。話しながら刀をためすがめつ持ち変えては、刀身に歪みがないか確認している。大気が震えるような殺気も、ない。――これは彼なりの降参の促しだ。この所作をする彼に、恐怖し、参ったという対戦者はどれほどいたか。


「舞台を降りたまえ。君をこれ以上斬る理由はない」

「そう、簡単に、諦めませんよ……」


 滑らかな切り口を見せるナイフを投げ捨て、ユアンは体勢を取り直す。


 ――クソッ、どうすればいい。


 諦めないとは口にしたものの、状況は絶望的。残る武器は拳銃のみだ。弾は半分ほど残っているが、ヴィンセントは弾を斬ることも、意図的に跳弾させることもできる。八方塞がりだ。


 ――……リン。これが、次元の違う戦いってやつなのか?





***





「……ねぇ、あのヴィンセント・キリアムが魔導を使っている・・・・・・・・ってほんとなの?」


 ひそひそと、最低限の唇の動きでエヴァは訊ねる。今いるのは第一ブロックの外れ――一部の政府高官や軍関係者の居住区画に存在する、古い館。薄暗い廊下を、タオルなどの洗濯物を抱えて歩いていた。


「あくまで推測だが、間違いないだろう。考えてみろ、人間は確実に老いと共に弱くなる。筋力はもとより、視力も齢五十を過ぎれば如実に落ちる。弾道を読んで斬ったり跳ね返したりなんてこと、普通は不可能だ」


 問いに対する応えは、エヴァが運ぶタオルの中から聞こえる。妙に古めかしいというか、尊大な口調。潜り込んでいるリンの声だ。


「私も信じられないけど、実際にそんなことができちゃってるんでしょ? それどころか、彼は若かった頃より技の精度が上がってるらしいって話よ」

「そこが肝だ。肉体は老いによって弱るが、年月によって上達するものがある――それが、オドの操作だ。……そもそも、この話はユアンの家でしただろうが。さては聞いてなかったな、小娘」


 ぎくり、とエヴァの蜂蜜色の頭と、その上に載るホワイトブリムが跳ねた。ホワイトブリムというのは、家政婦の頭を装飾するフリルのことである。……つまるところ、エヴァはメイドに扮し、館に潜入していた。


「む、難しい話が苦手なだけ。慣れない共通語覚えるだけでも大変だったんだから。……ええと、前に言ってた《身体強化》のことよね。無自覚にできる人もいる、って。ユアンもちょっとやったかもしれないやつ」

「そうだ。ヴィンセントという者は、自己流で知覚や反射神経に特化したものを習得したのだろう」

「じゃあ、やっぱり……」

「――シッ、口を閉じろ。誰か近づいてくるぞ」


 エヴァは慌てて言葉を切る。廊下の向かい側から他のメイドが歩いてきたのだ。互いに会釈をし、何事もなくすれ違う。……この館に来てから、エヴァの心臓はドキドキしっぱなしだ。

 なんといってもエヴァは目立つ。濃い蜂蜜色の髪も、そこらの男性に並ぶ長身も人目を惹く。なのにこうもすれ違う人々に「いて当たり前」のように扱われ、違和感を持たれないのは逆に気持ち悪い。


「……ほんとに、気づかれないわね」

「当然だ。私の術はそう看破できん」


 リンの魔導術により、他人からはエヴァの容姿がこの館に元々いたメイドのものに見えるらしい。当のメイドはちょっと手荒な方法で眠ってもらっている。館の塀をよじ登って入るところを見られてしまったので、仕方なかったのだ。

 ……心が痛む分、「丁度いい、こいつの身ぐるみを剥いで貴様が着ろ」などと平気で宣った猫より自分は鬼畜じゃないはずだ。


 それはともかく、


「……リンの術だけ見ても、私の理解を超えてるわ。《剣聖》がオドを操作して身体を強化できるなら、それは、リンが言った通り次元の違う戦いよ。ユアンじゃ勝てない」

「だろうな。そのまま・・・・だったら・・・・


 リンの含ませた物言いに首を傾げる。


「えっ、どういうこと? だって魔導術もユアンは『形にならなかった』って言ってたわよ?」


 戦闘に役立つかもしれないと、最初こそユアンとエヴァは魔導術の練習もしていたが、エヴァはそもそも基礎であるらしい『魔導理論』に使われる共通語の言葉が難解すぎて挫折した。異国の専門用語を前に、エヴァの脳は悲鳴をあげてシャットアウトしたのだ。つまり寝落ちた。


 ――そのあともユアンは個人練習を続けてたけど、私は潜入の下準備で忙しかったから、あんまり知らないのよね。でも上手くいってないみたいだから一緒にナイフや暗器買って策は立てたけど……。


「私にも教えた側としての矜持プライドがある。無策では送り出したりしない。……後は、奴が土俵に立てるかだ」


 最後の方は声が小さく、タオルでくぐもって聞こえなかった。

 なんて言ったのか聞き返そうか、と思ったが、視界が目的とする場所を捉えた。廊下の突き当たりの扉。他の使用人から聞き出した場所だ。


 比較的安全な潜入は、ここで終わる。


 この先、失敗は許されない。この館には軍や市議会の関係者が出入りしていることが確認されている。見つかればエヴァとリンは殺されるか、奴隷や売り物にされるか。ぞっとしない未来しか待っていないだろう。


 緊張から拳を強く握ったエヴァを、タオルから顔を出したリンが赤い瞳で見上げる。


「奴には奴の、こちらにはこちらの戦いがある。術も長くはもたない。気を引き締めろよ、小娘」

「ええ!」


 ――ユアン、こっちも頑張るから、負けないでね。


 ……しかし、小娘呼びはどうにかならないものだろうか。

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