告白


「ユアン君! よかった。怪我はないみたいだね」


 若き学者、ジェフリー・マクレガー。研究手伝いという名目で定期的にユアンを雇うと同時に、勉強を見てくれる青年である。かけよってきた彼は、ユアンの身体をざっと上から下まで検分し、無傷であることに安堵している様子だ。


「……あ、あの。先生は何故ここに?」


 驚きと戸惑いで遅れてしまった質問をやっとする。ユアンとジェフリーがいる廊下は《決闘祭》関係者しか使えないものだ。観客などの一般人を監視兵が絶対に入れるはずはない。


「ああ、大会運営にコネ・・があってね。なんとか入れてもらったんだ。ユアン君が《決闘祭》に出るって聞いていてもたってもいられなくて……」

「そう、だったんですね」


 ジェフリーは心底心配していたように見える。それなのに――戦闘後で気が昂っているせいかわからないが、なにかイヤな感じがするのだ。


 申し訳ないが適当に話を切り上げて控え室に戻ろう、と考えていたら、突然がしりとジェフリーに両肩を掴まれた。


「せ、先生?」

「ユアン君、すぐに《決闘祭》を辞退するんだ。こんなことを続けていたら、君は大怪我してしまう」


 真剣にこちらを案じる眼差しと強い力に、ユアンは少々驚く。ひょろひょろしている青年だと思っていたが、肩を掴む掌は大きく、目の前に立たれると身長差がかなりあることも改めて感じる。場違いにこの人も大人の男の人なんだなという感慨を抱いた。


 ――こんなに心配してくれてる人がいるんだな。


 それが嬉しくもあり、うしろめたさもある。この狂った都市から一人逃げるために戦っているのだから。

 せめてマルコムが適当に作った話に沿って説明だけでもしなければ、と思い口を開く。


「先生、その気持ちはとてもありがたいです。でも、俺には辞退できない理由があって――」

「うん。奴隷になってしま・・・・・・・・うんだろう・・・・・?」


 身体の反応は劇的だった。

 冷や汗が背中にぶわりと吹き出し、全身が総毛立つ。ジェフリーの腕を払い、後ろに飛び退いた。


 ――嘘だろ、なんで、どうして!


「先生……あなたは、何者だ」


 内心の混乱を捩じ伏せ、乾いた声で尋ねる。見えなくても自分の顔が蒼白であることは予想できた。


「僕は学者だよ、君の知っている通り。世襲で数年前から市議会議員も兼ねるようにはなったけどね」


 余裕が一切ないこちらとは対照的に、ジェフリーはいつもの穏やかな表情で言う。


「あなたが、都市のトップの一角だったなんて」

「本分は研究さ。でもこの素晴らし・・・・都市に関われることは誇りだよ」

「素晴らしい、って……」


 愕然としてしまう。都市の全貌を知りながら吐くセリフだとは思えない。


「先生、この都市は市民を奴隷にして売ってるんだぞ!? なんで――」

「それがどうしたんだい? スラムの人間は都市の施しを受け差別も不自由もなく暮らせる。喩え犯罪者でもね。その恩恵を都市に還元してから出ていくというだけの話だよ。実に合理的で素晴らしい話じゃないか。まぁ、足りないときは普通の市民で補充・・するしかないけど」

「な……」


 絶句するしかない。


“市議会の連中の中には素晴らしい仕組みだと信じて止まない者もいるが――”


 マルコムが言っていたのは目の前の青年のような人間のことだろう。人の命を、人権を道具としか考えていないやから。歪んだ性格と嗜好を除けば一般的な倫理観を持っているマルコムの方が、まだまともだ。


「ああ、ちょっと脱線しちゃったな。僕がここに来たのは、君を助けに来たからなんだ」

「助けに……?」


 ジェフリーは誰もが親しみを持つような笑みを浮かべ、嬉しそうに告げる。


「君は《決闘祭》を棄権し、奴隷になるんだ。そしたら僕が買い取って、君をマクレガー家に迎え入れよう」

「なっ?!」


 ――意味がわからない!


 ユアンの混乱は更に深まる。

 そこまでして自身を引き入れるメリットが、この青年にあるのだろうか。ジェフリーはマルコムのように暗躍するための手駒を欲しがるタイプには見えない。単純に昔馴染みだからだろうか。


「……何が目的なんですか?」

「も、目的って酷いな。そうだね、こんなところで言うつもりはなかったけど――」

「ッ!?」


 距離を詰めてくるジェフリーにユアンは後退るが、背中に壁の硬い感触を感じる。もう逃げ場がないことを悟った瞬間には、ジェフリーの体躯と両腕に閉じ込められていた。

 眼鏡の奥の細い双眸で見下ろされ、身体が勝手にすくむ。ジェフリーは視線を合わせるように少し屈むと、ゆっくりと囁いた。


「君を愛してる」


 ――怖い。


 おおよそ愛の告白を受けているときに抱くはずのない感情がユアンを支配する。


「君は美しく、賢い、僕の理想の人だ。君が誰かの奴隷になるなんて許せない。僕と一生一緒にいて欲しい」


 ジェフリーは滔々と彼の愛を語る。ユアンはそれどころではなかった。


 ――先生に、市議会議員に女だとバレた?


 じっとりとした汗が背中を伝い、心拍数が跳ね上がる。しかし、ジェフリーの次の言葉でその焦りが杞憂であることを知る。


「僕は次男だから家からは好きな相手を選べと言われている。正式に結婚できないのは残念だけど、男の君を選んでも文句は言われない」


 一瞬頭が回らなかったが、ジェフリーはユアンを男だと思った上で・・・・・・・・愛しているらしい。そういうこともある……のだろう。

 内心ユアンは安堵するが、


「こんな危ない競技に出るのはもう止めるんだ、ユアン君。君の綺麗な身体に他の奴が傷をつけるなんて、考えただけで腸が煮えくり返りそうだ。君は、僕の側にいればいい。誰の目に触れることなく、僕だけの――」

「先生っ……!?」


 気づけばユアンの顔はジェフリーの肩口に埋まっていた。

 突然ジェフリーに抱きすくめられ、ユアンは一瞬硬直してしまう。歳の近い異性に接近されたことがなくて戸惑う気持ちよりも、恐怖によるところが大きかった。


 ――この人の愛情は、歪んでる。


「っ、やめろ!」

「なっ……ユアン君?」


 ユアンはジェフリーを突き飛ばす。体格差はあっても、細身で筋力に劣るジェフリーは簡単に引き剥すことができた。また追い詰められてはかなわないので通路側にすぐさま移動する。

 立ち尽くすジェフリーは、感情が抜け落ちたかのような無表情で、呆然とユアンを眺めていた。


「僕を拒絶するのかい? ユアン君。決闘なんてしなくても、僕が君を守るのに。僕は、こんなに君を愛してるのに」


 無表情でありながら、ジェフリーの声はどこか泣きたげで、たどたどしかった。その様子は、第二ブロックでときどき見かける、欲しいものを買ってもらえなかったときの子供の姿を彷彿とさせた。


「……あなたのそれは、愛じゃない。俺からすれば所有欲だ。それに、あなたは間接的にたくさんの市民を奴隷にし……バートを、俺の親父を殺している。俺があなたのものになることは、絶対にありえない」

「…………」


 正面からジェフリーに対峙し言い放つ。彼は黙って俯いていた。


「俺は優勝してこの都市を出ます。そしていつか復讐しに帰ってくる。あなたには恩義があるけれど、邪魔するようなら殺します。二度と、俺の前に現れないでください」


 それだけ言うと、ユアンは足早にその場を去る。とにかく、ジェフリーとこれ以上顔を合わせていたくなかった。ずんずんと、ただ一心不乱に廊下を歩く。



「……どんなことをしても、君を必ず手に入れるよ。ユアン君」


 一人残された若き学者が、何を言ったのか――ユアンには知る由もなかった。






 控え室に無事辿り着くと、誓約書を書かせた例の監視兵に帰りが遅かったことをなじられたが、何も言う気が起きず無視して部屋に入った。監視兵はユアンの顔色を見て何か驚いているようだった。


「中途半端、だな……」


 部屋の扉によりかかり、ずるずると背中を引き摺ってうずくまる。自嘲で漏らした呟きは、乾いた響きだけを残して床に落ちたように感じた。


 最愛の養父を失い、親しかった青年は敵だった。


 ジェフリーだってマルコムと同じ市議会議員だ。同じようにあの場で殺しにかかることだってできたはずなのに、ユアンはそれができなかった。あの場では恩義などと言ったが、実際は違う。


 ――自分と繋がりのある人をこれ以上失いたくないだけの、自己満足だ。


 そんな甘い考えは捨てるべきだろう。ジェフリーのユアンに対する執着はかなりのものだ。今後なんらかの障害になる可能性は大いにある。


 そのときは、宣言通り彼を殺さなければならない。


「勘弁してくれよ……」


 その日はベッドに入っても、なかなか寝付くことはできなかった。









***








「プッーーアハハハハハハッ!」


 紳士然とした見た目を裏切る大笑い。「やっぱコイツ本当に嫌いだ」とユアンは改めて感じた。



 翌日の昼、ユアンはマルコム・チャンドラーの私邸に招かれていた。もちろん美味いランチを馳走するという言に乗せられたのではない。


『一回戦を勝ち抜いた祝いに、君にイイ・・モノ・・をやろう』


 そんな伝言が添えられていたため、行かざるを得なかったのだ。マルコムの勿体つけるような物言いは、非常にイラつくがこちらにとって重要であることが多い。渋々地下牢から出され、マルコムの自家用車でここまで来たのだが。


「ハハ、いやぁ、まさかジェフリー君に迫られたとはね。彼はソッチの趣味だったか」

「……アンタなんかに言うんじゃなかった。今猛っ烈に後悔してる」


 目敏いマルコムがユアンの顔色の悪さに気付き、何があったのだとしつこく訊ねてきたのが始まりだった。無論、彼はユアンを心配しているのではなく、百パーセント好奇心からの行動である。仕方なく、ジェフリーの情報収集のためにも話しておくしかないかと諦めて話せばコレだ。

 どんよりと顔を曇らせるユアンとは対照的に、マルコムはひとしきり笑ったためか上機嫌な様子だ。


「傷心のところ笑い飛ばしてすまないね、話してくれた礼にほら、デザートだ」


 チリンとマルコムが手元のベルを鳴らせば、フルーツがふんだんに使われたゼリーが侍女によって運ばれてくる。今の暑い季節にはとても魅力的な品だ。


「……いただきます」


 食べ物に罪はない。マルコムがユアンに毒を盛ってもメリットがない以上、目の前の料理を警戒するようでは却ってみくびられる。正直、出された料理は全て美味かった。家主マルコムは気に入らないが、この家のシェフとはいい話ができそうだ。


「ふむ、確かに笑い話ではないだろうね。マクレガー家は私の家と同様、都市誕生の頃からある名家で権力もある。本気で決闘の妨害をされたら相当厄介だろう」


 同じゼリーを口に運びながら、マルコムは思案顔で言う。先に白状されたが、マルコムはジェフリーが自分達の周囲を嗅ぎ回っていることに気づいていたらしい。まさかユアンに懸想していたための行動だとは思わなかったらしいが。


「そうか。二回戦以降は何か起こるつもりで臨んだ方が良さそうだな」

「下手な横槍で君の物語が終わってはつまらないし、何か分かれば知らせるくらいはしてやろう。だが、これは君が招いた事態だ。基本は自身で対処してもらうよ」

「それで構わない」


 いっそ尊敬するぐらいマルコムのスタンスはブレない。不快な思いはしたが、この件について話しておくのは下策ではなかったようだ。


「つーか、伝言にあったイイモノ・・・・って何なんだよ」


 ゼリーを食べ終わった頃にふと思いだし、訊ねる。そもそもそれが目的で来たのだった。


「あぁ、これを渡そうと思ってね」


 そう言ってマルコムが懐から取り出したのは――


「“臨時釈放許可証”……?」

「そこから読めるのか。目がいいね」


 それは革のケースに入った小さな札のようなものだった。携行目的のためか金属のチェーンが通されている。切符サイズの札の中央にかなり小さな文字が綴られており、そのまま読み上げるとマルコムは驚きながらも投げて寄越してくる。

 しゃらりとチェーンが音をたてて、それはユアンの手に収まった。


「で、これなんなんだ? 釈放っていうなら今だって外出てるだろ」

「私や監視がいるもとで、だろう。それを持っているときは正式に釈放が適応される。銃の整備なんかもするだろうし、そろそろ自分の家に帰ってもらおうかと思ってね」


 ユアンは瞠目する。しかし、すぐさまマルコムを睨み付けた。


「……条件あんだろ。言えよ」


 無条件で国家反逆者を野放しにするなど、眼前の男にそこまでの権限はないはずだ。


「可愛いげがないな。私が他の連中を口先でなんとか丸め込んで手にいれたものなのに」


 マルコムはわざとらしく肩を竦めた。


「臨時釈放中、君が都市から逃亡を試みた場合、または都市に対し反逆ととれる行動をとった場合――君の知り合いを抹消・・する。例えば、第二ブロックのお店の人達……とかね」

「なっ、あの人達は関係ないだろッ!」


 机に手をつき立ち上がる。空の食器が騒々しい音を立てたが、マルコムは表情一つ崩さない。


「あくまで人質というだけだ。君が何もしなければ問題ないだろう」

「くそ……っ!」


 悪態をつきながら荒々しく椅子に座り直す。

 第二ブロックの人々は、ユアンに残された数少ない繋がりの一つだ。それをマルコムは見抜いているからこそ、条件とした。監視や護衛といった人員を必要としない最も手軽な方法だが、ユアンを縛り付けておくには十分だ。


「ここまでしたのだから、街中で軍や憲兵とトラブルを起こしたりしないでくれよ。そこまで庇う気はないからね」

「わかってる。話が終わりならそろそろ帰らせてもらう。昼飯ごちそうさま。シェフに美味かったって伝えておいてくれ」

「ああ、妻にそう言っておく」

「アンタもうちょっと不幸になっておいた方がいいぞ」


 夫人は料理上手らしい。なんでこんな奴が人生勝ち組なのだろう。

 マルコムは弾かれたように「そうかもしれないな」と言って笑う。常にニヤニヤしている男だが、今のは割と素のように感じた。こう見えてマルコムは愛妻家のようだ。


「車を待たせてある。牢にあった君の荷物も積んであるから、そのまま君の家まで送らせよう。明日の二回戦も頑張ってくれたまえ」


 変なところで妙に気が回るマルコムに礼を言うか一瞬迷ったが、友人でもなければ人質すらとられているのにそれも変だ。結局「……そうさせてもらう」と短く応えるのに留める。


 来たときにも乗った、黒塗りの厳めしい車に踏み入る寸前、わざわざ見送りに来たらしいマルコムの声が聞こえた。


「次の対戦相手は都市有数の狙撃の名手だ。奮戦期待してるよ」


 ――言われなくとも。



 無言を以て応えると、車は走り出した。――久し振りに帰る、バートのいない我が家へと。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る