マルコムの提案


 ユアンは暗い部屋――恐らく牢屋――の中で状況を整理していた。


 ――俺はたぶん国境警備隊に捕らえられた。服はそのまま、荷物はない。もちろん銃も。扉は外から鍵がかかっていて勿論開かない。奴らが俺を生かして捕まえたのには理由があるはず。奴隷生産国のこの都市なら十中八九……


 奴隷として、売るためだろう。


 反逆者まで金に替えるとはなんと合理主義なことか。なんとなく近くに人の気配がすることから予想するに、隣も牢になっていて誰かいるようだ。もしかしたらバートに協力していた他の情報屋たちの生き残りもここに捕らえられているのではないだろうか。


「奴隷として生きるか……ここで死ぬか……」


 奴隷として生きるくらいなら、死んでバートのところへ逝ってしまいたい。幸い、拘束されていない上に、頑張れば首を吊れそうな場所はある。腰のベルトはホルスターごと取り上げられているので、縄になりそうなものを用意する必要はあるが。


 ――だけど、バートが助けてくれた命を、簡単に投げ出していいのか?


 結局思考はそこで停滞する。

 頭を抱えてベッドの上で蹲っていると、カツカツと革靴が床を叩く音が遠くから聞こえてくる。

 足音だ。

 死なせる気がないなら、誰かが食事を運んできたのかもしれない。食事を出し入れする用の小さい窓があるから、扉は開かないだろうし、脱出のチャンスにはならないだろう。

 しかし、足音はユアンの牢の前で止まり、驚いたことに扉が軋んだ音をたてながら開いたのだ。


「こんばんは、ユアン・エルフォード君だね?」


 やけに丁寧な口調の、落ち着いた物腰の男。年齢は三十代前半くらいで、片眼鏡モノクルをかけ、栗色の髪を三つ編みにして垂らし、質のよさそうな服に身を包んでいる。背後にはもう一人体格のいい男が付き添っていた。足音は一人分しかなかったが、手練れの護衛のようだ。


 ――身なりがいいが、もしかしてもう俺には買い手がついたとでも言うのか?


 まだ捕まってから体感的に一日も経っていないと思うのだが。


「ああ、焦らなくていい。私は君の買い手ではないよ。そもそも君はまだここにきたばかりだ。君が捕まった日の翌日の夜と言えばいいかな? 出荷・・はまだ先だよ」

「…………!」


 こちらの思考を全て読み取ったような発言に、ユアンは眉をひそめる。“出荷”なんて言い方ができるのは都市側の人間しかおらず、つまり目の前の男が明確に敵であることを察した。


 と、同時にユアンは動いた。


 ベッドから出口まで。勿論逃げるためではなく、敵である男の頭部めがけて蹴りを放つため。脳の興奮で先程までの頭痛や目眩も吹き飛び、ただ相手の頚の骨を蹴り折ることだけを考えていた。


 ――後で自殺するにせよ殺されるにせよ、コイツだけでも道連れにしてやる!


「なっ!?」


 しかし、殺意を十二分に込めた一撃はあっさり阻まれた。

 護衛の大男が間に入り、ユアンの足首を掴んで止めたのだ。ユアンは片脚を高く挙げたままの不安定な姿勢で固まることになる。


「……おとなしくしろ」

「っ!」


 ぼそりと大男が警告してくる。ぎちりと脚を握る力を強められ、思わず息が詰まった。

 だが、高まった殺意はその痛みすら緩和させ、身体に動けと命じる。


「は、なせッ!」

「ぐぅっ……!?」


 片手を床につき倒立状態になると、掴まれた脚はそのままにもう片方の脚を大男の腕に絡ませ挟み込む。そのまま身体ごと回転させて腕を強烈に捻り上げた。大男は痛みに耐えられなかったのかユアンの脚を放し、ユアンも同時にベッド側に退いて距離を取った。


 そのまま睨み合う。が、軽快な笑い声が緊迫した空気を裂いた。


「……ハハハハッ! これは面白い! 油断していたとはいえ、ヘルマン相手に互角を張るとは!」


 護衛の男はヘルマンというらしく、ユアンを取り押さえられなかった失態を笑う男に詫びている。


 ――ヘルマンって男、あれで油断していたのか。


 どうやら今すぐ片眼鏡モノクルの男を殺すことはできそうにない。一対一なら善戦できるかもしれないが、応援を呼ばれたら敵わない上、こちらの身体も本調子ではないからだ。


「……あんた、何者だ。何しに来た」

「ハハ、悪いね。名乗るのが遅れた。私はマルコム・チャンドラー。この都市を牛耳る市議会議員が一人だ。こちらは護衛のヘルマン。ここで話すのもなんだ、場所を変えるからついてきたまえ」


 マルコムと名乗った片眼鏡男は拘束されてもいないユアンに牢を出るよう手招きする。


「……拒否権は?」

「もちろんある。とはいえ、これからする話は君にとっても有益たり得るだろうから、来ることをお薦めするよ」


 古物商のじいさんが言っていた。選択肢を与えているようで一つの答しか選べない問いかけをする奴は信用しない方がいいと。こいつは正にその通りだろう。


「拘束、しなくていいのか」

「至るところに私兵が山ほどいる。無駄なことはわかっているだろう?」

「…………」


 絶対に信用できないのはわかっているが、実際にとれる行動は一つしかない。

 無言で睨み付けながら、ユアンはマルコムの方へ歩く。マルコムが歩き出すのについていくと、背後をヘルマンが静かに歩く。犯罪者の護送のよう――というよりそのものだ。

 地下室から廊下へ、廊下から階段を上がって扉を幾つか介すると、殺風景な石壁ばかりの内装が様子をかえる。廊下にも赤い絨毯が敷かれ、品よく絵画が壁を彩っている。どこかの屋敷の中、のようだ。


「いやはや、さっきは驚いたね。まさか出会い頭に蹴り殺そうとしてくるとは思わなかったよ。聞いていたよりも君が可憐な少年だったから油断してしまったね」


 歩きながらマルコムは楽しげに喋る。ユアンはただ眉をしかめて聞き流すことにした。どうもこの男の言は癇に障る。

 

 ――まてよ、“少年”だって? 俺が女なのはバレていないのか。


 マルコムの性格からして、ユアンの本当の性別を知っていれば、それを交渉のカードにしたりこちらを追い詰めるのに使うのは明白だ。どうやら持ち物を確認されたぐらいで、意識を失っている間の身体検査等はなかったようだ。


 ――ラッキー、と捉えるべきだろうな。持ち物もわかりやすいもの持ってこなくて良かった……。


 ユアンの持ち物には胸に巻いているサラシの替えと、鉛筆型の眉墨が含まれていた。体つきが変わり始めたあたりから、ユアンは人前に出るときはサラシで胸を潰し、眉や鼻梁、喉仏(があるあたり)に陰影をつけて男らしく見えるようにしている。サラシと眉墨はただの布と鉛筆だと思われたのだろう。

 だがこれから先、奴隷として出荷されるまで隠し通すのには無理がある。


「さきほどから静かだが、何か聞きたいことがあればある程度は答えられるよ」

「なんだと?」

 

 不意にマルコムがそんな言葉をかけてきた。

 この男と話すのは不快だが、今は情報が惜しい。

 まずは位置を確認したい。


「……ここは、もしかして市議会庁舎か?」

「ご名答。よくわかったね」

「半分は勘だ。こんなデカい建物、都市に多くはない」

「なるほどね。他に質問は?」

「……じゃあ、あんたについて訊く」

「ほう?」


 マルコムは興味深そうに少しだけこちらを振り返る。


「あんたは、この都市が何をやっていることを理解しているのか」

「ふむ。その質問はとてもつまらないね。理解しているに決まっているだろう? 私は名乗った通り市議会議員だ。むしろわからないことの方が少ないかもしれないな」

「それなら何故――!」


 市民の奴隷化なんて、非人道的なことができるのか。

 そう言葉にする前に、マルコムの足がある扉の前で止まる。「続きは中でしよう」と入るように促され、仕方なく入室し示された席につく。ソファ二つと机、観葉植物だけがあるシンプルな部屋だ。応接室だろうか。

 窓側の、ユアンの正面の席にマルコムが座り、護衛のヘルマンは入り口付近で隙なく立つ。……逃げ道は当然ないようだ。

 マルコムは用意されたコーヒーを飲み、一息ついてから再び話し始めた。


「さて、話の続きだ。私が何故この都市のやり方に従っているのか知りたいのだろう? 市議会の連中の中には素晴らしい仕組みだと信じて止まない者もいるが、私は別にそこまでは思っちゃいない。私が市議会に与する理由はとてもシンプルだ」


 片眼鏡が妖しく反射する中、勿体つけてマルコムは告げる。


「――惰性・・だよ。市民奴隷化は都市が始まってからずっと続く産業にして伝統だ。建国当初からの純粋なる市民だけが幸せでい続けるためのシステム。市議会議員の地位を父から受け継いだとき色々知ったが、ただ惰性でこなすだけ。特別な感慨はなかったよ。人のせいにするのはよくないが、父の教育の影響かもしれ、」

「ふざけるな人でなしが! あんたらせいでどれだけの人が不幸になったと思ってる!?」


 滔々と悪びれもなく言われ、ユアンは声を荒げて話を遮る。対し、マルコムは小さく首を傾げた。


「君が思っているほど、私は異常ではないと思うが? どこにでもいる、我が身が可愛い普通の人間だ。愛する妻と子供もいるのに、この強大な都市に逆らって何かメリットはあるのか?」

「それは……」


 確かにこの男一人が都市のシステムに逆らったところで、排斥か暗殺の憂き目に遭うのが関の山だろう。だがそれを理由にただ荷担し続けることが倫理にかなっているとは到底思えない。

 渦巻く思考を遮るように、マルコムは「ただね、」と続けた。


「君の言いたいことも、自分に罪悪感というものが欠如していることも概ね理解しているよ。だからこそ、できることもある」

「……どういう意味だ」

 

 勿体つけるような言い方ばかりする目の前の男に、苛立ちが募る。いい加減本題に入れと目で訴えれば、マルコムは小馬鹿にしたように肩を竦めた。


「つまり、君にチャンスをやる・・・・・・・ということだよ」

「チャンス?」


 今まで警戒しながら言葉を選んでいたが、思わず無防備に聞き返してしまう。マルコムはこちらの食い付きに満足げだ。


「今この都市において重罪人である君を、条件付きで解放してやろう。私の権限でね」

「なっ……」


 二の句が継げないでいると、マルコムは指を二本立てて示し、「二つ提案する。もちろん拒否権はアリだ」と前置きしてくる。


「一つ目は、私の部下になるというもの」

「断る」


 バートを殺したも同然の男の下で働くなど考えただけで怖気おぞけが走る。バートに対する裏切りにも等しい。そう思い、反射的に答えていた。


「そんな即答してくれなくてもいいじゃないか。君がこの都市への復讐を望んでいるなら、都市の中枢の一人である私についていれば内部からその様子を伺う機会もあるかもしれないのに」


 ――その手もあったか。

 

 もう少し考えてから喋れよと脳内で自分を罵倒する。マルコムはこちらがだいたい何を考えているのか察したのか、クスクスと笑っている。非常にムカついた。


「裏切りを前提にしてまで俺を引き入れるメリットはあるのか?」

「使える私兵を増やしたくてね。ヘルマンと張り合える逸材はなかなかいない。それに、何をするかわからない相手が近くにいるのは退屈しなくていい」

「……“我が身が可愛い”んじゃないのかよ」

「まぁ、それも場合によるさ」


 嫌味などこめず、マルコムは本心から言っている様子だ。ユアンは、これまでの言動からマルコム・チャンドラーという男を少し掴み始めていた。

 

 ――俺に寝首を掻かれない強い自信があるわけじゃないんだろう。ただ面白い・・・から俺を手元に置きたいだけ。自分の破滅すら楽しめるタイプの享楽家ヘドニスト


 厄介だ。こういう奴こそ思考が読めないし、それこそ何をするのかわからないのだ。


「とにかく、あんたの部下にはならない。たとえ一時でもこの都市に荷担するのは反吐がでる」

「そうか、残念だ。――じゃあ、二つ目の提案をしよう」


 残念だと言いながら、ユアンの答えがわかりきっていたかのような態度。ユアンは、マルコムにとって本命の提案はこれから言う内容なのだろうと予測する。


「これは私の趣味によるものなんだが」


 マルコムはテーブルに身を乗り出し、ユアンに顔を近づけ、告げる。これまでの裏が読めない笑みとは違う、楽しみな何かを待つような顔で。



「――《決闘祭》に出場してみないかね?」



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