最期の言葉


「バート……嘘、だろ……おい!」


 倒れたバートに飛び付くように駆け寄る。何発か銃弾が飛んできているが、そんなことはどうでもよかった。

 見たところ、まだ息はある。心臓を掠める位置で当たったようで、即死には至ってない。しかし、弾は貫通し血は止めどなく溢れている。バートのシャツはほとんど血に染まっていた。

 動かしたくないが、このままだとまた撃たれてしまう。背後からバートの両脇に手を回し、ずるずると引き摺って樹の陰に隠れた。

 すると、バートから呻き声が微かに漏れた。


「……っ……ユアン」

「バート!」


 あまりにも弱々しい声だった。焦点も定まっていないのか、どこかぼんやりした視線を投げてくるバートを見て、息をのむ。急いで止血に使えるものを探そうとすると、バートは血だらけの手でユアンの腕を掴んだ。何もするなと、止めるように。


「逃げろ……ユア、ン……」

「何言ってんだよ!? 絶対あんたを置いてなんていかないからな!」

「さっき、のは……国境、警備隊……だ。お前だけ、でも……っ」

「バート!!」


 言い切る前に、バートは咳き込むような音と共に大量の血を吐いた。もう、今の時点でどれほど出血したのか検討もつかない。

 ジェフリーが言っていた。人は血液の半分、およそ一・五リットルを失うと死んでしまうと。

 気づけば、熱い液体がぼろぼろと目から溢れていた。


「やだよ……なんでだよ。なんで俺たち、こんな目に遭ってるんだよ。俺は、あんたと居られれば……それ以上なんか、望んでないのに!」


 遠くから人の気配が近づいている。こちらが手負いなのを知っているためか、ろくに気配も殺していない。国境警備隊が確実にこちらを仕留めるため、距離を詰めに来ているのだろう。時間のかかり方からして、もしかしたら逆方向からも回りこんでいるのかもしれない。


「……お前は……優しい、子に……育った。エル、フォード……なんて、つまらん……名を、名乗らせ……たのは、俺の……エゴだ。……すまん」


 わざわざ養子にして同じ家名を名乗らせなければ、他の家に預けて、援助するだけの関係ならば、こんなことに巻き込まずに済んだ。そんな想いが、謝罪の三文字に含まれていることを嫌でも感じ取った。


 ――そんなこと、言って欲しくない。


 バートは、ユアンにとって唯一の家族。血は繋がらないけれど、いつの間にか彼に拾われ、物心つくときには彼と共にいた。だから、ユアンは孤児でありながら孤独を知らないし、生きる術は彼から全て学ぶことができた。それがどれほど幸福なことか、ユアンはわかっている。


「謝んなよ! 俺はあんたの家族であることが誇りなんだ! あんただって、俺のせいで、う、撃たれて」

「俺は……もう、いいんだ」

「よくない!」


 満足げな顔をするバートに思わず怒鳴ってしまう。感情の制御がでない。駄々を捏ねる子供のようだと心のどこかで思いはするが、悲しみと怒りと混乱で、頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。

 堪えきれずにユアンの口から嗚咽が漏れ出す。


「泣く、な……ユアン。……スープ、うまかっ……た」

「っ!」


 無駄になっていたと思っていた夕飯を、バートはいつの間にか食べていたらしい。荷造りしていたあのときか。


「あんなの、いくらでも食わせてやるから、俺を一人にすんなよ……!」


 ぼたぼたと涙が落ち、バートの頬の傷痕にも一滴かかってしまう。バートはろくに動かないだろう腕を動かし、ユアンの頬に手を宛てる。その双眸に常の鋭さはなく、焦点の合わない目をこちらに向けていた。

 恐らく、もう見えていないのだ。

 ユアンの流す涙から、ユアンの顔の位置がわかったのだろう。


「バート……」


 血で湿った大きな手に、体温は僅かしか残っていなかった。


「ユ、アン」


 色のない唇の端が少だけ持ち上がり、微笑みを作りながら、彼は言葉を紡いだ。



「生きろ。どこまで、も……誇り……高く。……お前は……自慢の、だ……」


 

 森が凪ぐ。

 腕が力を無くし落ちていく。バートの苦しそうな息づかいが、心臓の音が、全て聞こえなくなった。

 バート、と何度も名を呼び、身体を揺すっても彼が目を開ける気配はない。


 少年――否、少女の慟哭が、辺りにこだました。


 ――そしてこれが、ユアン・エルフォードにとって、全ての始まりの夜だった。








***







『逃亡者、バート・エルフォードの死亡を確認。追跡していた《鷹》十名は一名軽傷、九名死亡。バート・エルフォードの殺害に成功した国境警備隊は息子のユアンを確保し、地下に収容した』



 中央市議会地区セントラルの市議会庁舎の中、各議員に用意された執務室。

 市議会議員、マルコム・チャンドラーの許には、私用で雇っている密偵がいち早く情報を運んでいた。


「なんともお粗末な報告ですね。《鷹》は精鋭と聞いてましたが、まさか九人も死んだとは……。想定していたよりバート・エルフォードが優秀だった様子。そういう手練れはこちらの陣営に是非とも欲しい人材でしたねぇ」


 死んだものはしょうがありませんが、と呟きつつ、上等な細工の施されたティーカップを傾ける。


「そのことですが、少し意外なことがありまして……」


 密偵が歯切れ悪く言う。


「なんですか?」

「私も最初はバートによって《鷹》が壊滅状態になったと思ったのですが、そうではないようです」

「……というと?」

「バートと連携し、息子のユアンが約半数の《鷹》を撃破したようです。また、国境警備隊からも二名の重傷者が出ています。バートが殺された後、徒手にも関わらず半狂乱になって抵抗したようで――」


「面白いっ!!」


 執務机をばんっ、と叩いて立ち上がり、マルコムは密偵に詰め寄った。いきなり報告を遮られた彼は非常に戸惑った表情を浮かべている。


「ど、どうしたのですか?」

「そのユアンという奴について調べましたか?」

「それは……私も十七歳の少年がやることだとは思えなかったので、一応情報は洗いましたが、時々用心棒をやっている以外は普通の市民と変わりません。《決闘祭》の参加歴もゼロです」

「貸しなさい」


 密偵が持つ資料を取り上げ、端から字を追っていく。ユアン・エルフォードはよく第二ブロックで働いていたとある。肉屋、食堂、酒屋、古物商……商店街のあらゆる店の名前が挙がっている。短期間で情報が集まったのは彼が人前に出る仕事を多くこなしていたためだろう。


「……これは」


 勤め先のリストを見ていたマルコムは、ある一ヶ所に目をとめる。

 そして、静かに唇の端を吊り上げた。


『第三ブロック四二八番地マクレガー邸』


 国家反逆者バートの息子であるユアン・エルフォードと、学者にして最年少市議会議員のジェフリー・マクレガー。


 ――偶然の繋がりか、そうでないのか。探ってみる必要がありそうですね。


 先日の臨時召集で血相を変えていたことにも何か関係している。マルコムの勘がそう訴えている。


「つい先日まで一般市民だった悲劇の少年……これは面白いことになる。否、私が面白くしてみませましょう・・・・・・・・!」


 新しい玩具を見つけた子供のようにマルコムははしゃぎ、笑う。 密偵の男は呆然と佇む他ない。




「…………」


 執務室の扉の前で、その様子を盗み聞いている人影――ジェフリー・マクレガーは、ギリ、と奥歯を噛みしめその場を後にした。普段の穏やかな彼とは、似ても似つかぬ形相で。








***








 朦朧もうろうとした世界。


 独特な視覚情報の曖昧さから、目で見た世界ではなく、脳で直接認識する世界――夢、だとわかった。夢だとわかる夢は、確か明晰夢というのだと、学者の青年が教えてくれた。


 ゲールにある自宅のリビング。椅子に腰掛け静かに新聞を捲るバートはかなり若い。白髪もほとんどなく、顔つきからして三十代前半の頃だ。

 しばらくすると、バタッと玄関の扉が開き、勢いよく小さな人影が舞い込んでくる。

 黒髪短髪の活発そうなこども――三、四歳頃のユアンだ。


「バート、オレ、おおきくなったらバートとけっこんする!」


 よりにもよって昔の夢。

 三人称視点で昔の自分の行動を見るのは、なかなかに恥ずかしいものがある。


「……結婚? 意味わかるのか?」


 若いバートは少し驚いた感じに聞き返す。今思えば、突っ込むところそこかよと言いたい。


「シスターがえほんをよんでくれたんだ。さいごはおひめさまがおうじさまとけっこんするんだ」

「そうなのか」

「けっこんは、するとずっといっしょにいられて、しあわせになれるらしい。でもおおきくならないとできないって。だから……」

「俺と結婚する、と」

「そう!」


 バートは無表情のまま、「そうか」と言ってチビユアンの頭を撫でた。


「……だがな、結婚は男女じゃなきゃできない。あー……ややこしいな。お前は女だが、周りには何て言ってる?」

「おとこ!」


 チビユアンは元気に答えた。バートは仕事でユアンを一人にしやすいことを考慮し、ユアンに男として振る舞うよう教えたのだ。


「ちゃんと約束は守れているのか?」

「バートいがいのひとにはだかはみせてないし、おんなだっておしえたことない」

「語弊が……まぁいい。つまり、他所からしてみれば俺たちは男同士だから、結婚はできない」

「えぇ!」


 ショックを受けるチビユアン。

 そもそもユアンが養子であることや、歳の差が二十八もあることは説明が難しいからか置いておくようだ。


「……別に結婚しなくてもお前と俺は家族だ。だからずっと一緒にいられる」

「そっか、じゃあいいや」


 振り返って見ると少し、否かなり恥ずかしい会話だが、このときのバートの表情はとても柔らかかった。緩んでいたと言ってもいい。バートの飲み仲間のおっさんたちが、翌日に「バートは何かいいことでもあったのか?」と訊いてきたのを覚えている。ユアンからしてみれば、子供特有の無知さを露呈しているだけの会話なので、何が嬉しかったのかいまいちよくわからないが。


 ――起きたら訊ねてみようかな。


 そういえばこんな会話してたよな、あのときなんで嬉しそうだったんだ? と食事の席で訊いてみれば、なんだか面白い反応が見れそうな予感がする。

 バートが次に帰ってくるのはいつだったか。いや、そもそも……



 ――この夢をみる前に、自分は何をしていた?





「――バートッ!!」


 覚醒と同時に叫んだ。

 口の中はカラカラで、血の味がする。起きた途端に眩暈がする上、頭がじんじんと痛む。


「ここはどこだ……?」


 意識を取り戻したユアンは辺りを見回した。

 手近なものは固いベッドに肌触りの悪いシーツ、石造りの窓のない部屋で、部屋の隅には簡素なトイレ。光源は鉄格子の嵌まった扉から漏れ出る光しかない。つまり、


「牢屋? 俺は、確か……」


 都市脱出を目指して北の森に行ったら《鷹》の強襲に遭い、それを倒した後、


 国境警備隊に、バートが殺された。


「――ッ!」


 衝動的にユアンはベッドを殴り付ける。固いマットレスに衝撃が吸収されてなお、大きく軋んだ音を鳴らした。


 あのときバートの亡骸の前で、もう自分も死んでしまおうと思った。けれど、バートが生かしてくれたのに、「誇り高く生きろ」と言ってくれたのに死んでしまうことは裏切りのように思えて、何もできずにいた。そこで国境警備隊が近づいてきたのだ。亡骸の前で呆然とするユアンを、戦意喪失とみなして拘束するために。

 そのとき、視界が真っ赤になるほどの怒りと絶望を感じた。自分もバートのように問答無用で撃ち殺せばいいのに、何故殺してくれないのか。頭の中で、自分たち親子がこんな目に追いやられていることよりも、自分を殺してくれないことに理不尽を感じた。


『殺してくれないなら、お前らを殺す』


 その後のことは、ぷっつりと記憶が途切れている。

 眩暈と後頭部の痛みから、恐らく殴られて気を失ったところを捕らえられたのだと思う。


「俺は……どうなるんだ?」



 その疑問に答える者が、牢にゆっくりと近づいてきていることを、ユアンはまだ知らない。


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