逃走


 ――中央市議会地区セントラル


 都市国家ゲールの文字通り中枢を担う場である。

 今日も臨時会議の召集がかかり、都市の今後に関わる話し合いを行っている。


 秘密・・を知った者達について、という結論が決まりきったような議題ではあったが。


「……――ですので、彼らはその場で処分・・及び隠蔽を行い今のところ大きな問題は出ていません」

「そうか。……おい、チャンドラー君。今の報告聞いていたかね?」


 ――おっと、うとうとしていたようだ。


「すみません、昨日は子供がなかなか寝付いてくれなかったんで寝不足でして……」


 目を擦りながら言えば、会議室が和やかな笑いに包まれた。「君のところもそんな年頃か、大変だな」と議長は特に怒るわけでもなく言う。

 この中では自身が二番目に若輩ではあるが、だからといって批難されることもないので、親から継いだこの立場は非常に便利だと言える。多少舐められはしているだろうが。


 ――同じ穴の狢は無闇に潰し合わない。


「えーと、久し振りに嗅ぎ付ける奴がいたんでしたね。何が原因で見つかったんです?」

「情報屋の集団だったんだが、二流が交じっていたようだな。友人にうっかり話してしまったら、その友人が我々と友人だったというオチだ」

「あれま、それは二流ですな」


 また笑いが起こる。会議というよりお茶会だ。


 情報屋は例え家族が相手でも仕事の内容を口にするのはご法度だ。とはいえ、えてして人間は口に戸を立てられない生き物だったりする。


「――で、本当に・・・処分が終わっているなら、臨時会議なんてしないですよね?」

「さすがチャンドラー君。それはこれから話すところだったんだ」


 議長が感心した口ぶりでおおげさに言う。彼の隣に控えた秘書は報告書のページをめくり、つらつら続きを述べ始めた。


「一名のみ、逃亡した者がおります。さきほど素性が判明しました。名はバート・エルフォード、四十五歳。情報屋を営む第三ブロックの住人で、同居者に息子……十七歳の養子がいます。二人で十五年前に移住してきたようで、かつて二回ほど《決闘祭》に出場しどちらも準優勝しています」

「それはまた面倒な相手ですね」


 生半可な実力では決闘都市第二位にはなれない。一人だけ逃げおおせていることといい、頭も回るタイプなのだろう。

 一つ気になったのは、隣の席の議員がバート・エルフォードの名を聞いた途端、目を僅かに見開き、呼吸の深さと回数が変化したことか。動揺しているときの身体徴候がいくつか表れている。この中で一番若い議員だ。


 ――はて、名前はなんだったか。


「人相描きの手配と国境警備兵への連絡が必要ですね。《》はもう向かわせているのでしょう?」

「全て済んでおります」


 決まりきったことを適当に言えば、秘書は淡々と応答する。


「では、処分が済んだ後にまた連絡するということにしますかな。今回の会議はこれにて終了とする」


 議長がお開きを宣言すると、隣に座っていた青年議員がそそくさと部屋から出ていった。さきほど見せた動揺といい、いったいどうしたのだろうか。


 ――あぁ、思い出した。彼の名前。



「たしか……ジェフリー・マクレガーだったか」


 


***




「ユアン、そろそろ移動するぞ。追っ手がかかる」

「……ああ」


 蹲ったままでいると、バートの声が頭上から降ってくる。立ち上がりながら、ユアンはその言葉に一つ訊き忘れていたことを思い出した。


「そもそも、誰が追いかけてきているんだ?」

「《鷹》、と呼ばれる軍の隠密部隊だ。どこかで情報が漏れたんだろう、俺たち情報屋の会合場所を突き止めて強襲してきた。なんとか撒いて逃げてきたのは俺だけだ」

「じゃあ、他の情報屋の人達は――」

「何人か死んだ。残りは捕縛されてた」


 ユアンはごくりと生唾を飲み込む。つまり、同じように標的となっているバート(とユアン)も生死問わず無力化するように市議会から命じられているとみて間違いない。


「とにかく北を目指す。森に入ったら身を隠せる場所を探して休息をとる。へばるなよ」

「わかった」


 こちらが頷くとともにバートが路地裏から出て駆け出した。ユアンも石畳を蹴る。

 森まであと、十キロほど。夜のため鉄道は動いてないし、自動車オートモービルなんて高級品はもちろん手段に入らない。つまり走り通しだ。


 ――無事にたどりつけるだろうか。




 

 ……などと考えていたが、特に追っ手が襲ってくることもなく、あっさり農地と森林区域の境目周辺に到着した。

 目の前には真っ暗な森が広がっている。

 本当に、自分たちを追う隠密部隊なんていないんじゃないか、とうっかり思うくらいに何も起こらなかった。


「警戒しながら荷物背負って十キロ、は……はぁ、つ、疲れる……」


 農地に入ったあたりからすっかり足許が石畳から未舗装の道へ変わり、ガス灯もなくなったが、目が慣れたのか月明かりだけで歩いても問題ない。ただ、気を張って長距離を走っていたせいで身体が重い。普段走り込みをしていなかったら もっとキツかっただろう。 


「気を抜くな。森に入っ――」


 こちらを振り返ったバートは、息が上がった様子もない。化物じみてる、などと考えているとふいにバートの言葉が止まる。


「走れッ!!」

「っ!?」


 突然の怒号。ユアンはバートとほぼ同時に地を蹴り森へ走り出す。反射的に身体は動いてくれたが、意識は状況把握まで追い付いていない。

 静かな農地にけたたましい銃声がいくつも鳴り響いた。


「なんなんだよッ!?」

「《鷹》だ! スコープの反射が見えた! 狙撃されてるぞ!」


 数メートル後ろ、さきほどまで自分たちがいた場所あたりに着弾していることが背を向けて走っていてもわかる。当たっていないのに背中がちりちり焼けつくような錯覚さえある。

 森に入ってすぐに銃声は止んだ。


「じきに追ってくる。いいと言うまで走れ」

「ちょ、はや……!」


 バートの指示で暗闇の中、木の根に足をとられそうになりながらも彼の背を追い続ける。かなり夜目が利くのか、とんでもなく速い。


「……バート、」

「ああ」


 延々と森を進んでいる気分になっていたところ(恐らく実際は数分しか経っていないと思うが)、バートがぴたりと走る足を止めた。その理由は聞かず、確認の意味を込めて低く名を呼ぶと彼は頷く。


 ――隠れてるけど、誰かいる。たぶん十時の方向。


 腰のホルスターから銃を抜き、安全装置を外しておく。


「いい加減出てきたらどうだ」


 バートが低い声で告げると、感じた通りの方向から大柄な人影二つが樹の後ろから飛び出す。しかも、出てくると共に発砲してきた。


「――っ!」


 暗闇の中、シリンダーとバレルのギャップから火炎が出る様子がゆっくり網膜に焼き付く。そのおかげで銃口の位置がわかり、反射的に身体をそらして銃弾を回避できた。


「このっ!」


 お返しの一発を片方の人影にぶちこむ。膝と思われる部位を狙ったら、当たったようで倒れこむ様子が見えた。

 しかし、倒れた人影の後ろには、もう一人が隠れてライフルを構えていた。


 ――しまった!


 撃たれる、と思い全身に緊張が走る。

 しかし、一発の銃声と共に倒れたのは敵の方だった。


「バート!」

「詰めが甘いぞ、ユアン」


 バートがユアンの背後から仕留めたようだ。彼の手には自分と同じ型のリボルバー拳銃が握られている。

 そのまま、バートは銃の狙いを変え、低い位置の何かを撃つ。呻き声が短く聞こえた。


「なんで……!」


 それは、ユアンが最初に撃った人物だった。近寄って見れば、二人組はどちらも濃紺の戦闘服を着た男で、頭部を撃ち抜かれて絶命している。


 バートが、人を殺したのだ。


「あんた、急所は避けるようにって俺に教えたじゃないか……」


 思わず非難するような物言いになってしまい、言葉は尻窄みになっていく。バートは自分を助けてくれたのに、人の死が彼によってもたらされた現実が衝撃的すぎて、何を言っていいのかわからない。

 

「こいつらは《鷹》だ。任務はたとえ死んでも遂行しようとする奴らだ。膝を撃ったくらいじゃ腹這いでこっちを撃つことも最後に自爆することもできる。即死を狙うしかないんだ」

「……そう、だよな。ごめん……」


 暗くて表情はわからないが、バートの声はどこか重く低い。彼も決してやりたくてやったことではないのだ。

《鷹》の二人の持ち物をしゃがんで検分していたバートは、通信機らしきものを見つけ舌打ちする。

 その意味がわからないユアンではない。最初、二人は木々に隠れてこちらを窺っていた。こちらの位置は他の《鷹》に割れてしまったと見て間違いないだろう。


「《鷹》は自動車オートモービルで移動してきたんだろう。二人しかいないということは……待ち伏せのためにいたというよりは、森に斥候したところと偶然鉢合わせたようだな」

「運がないな……。バート、早くここを離れよう」

「ああ」


 月の位置から北の方向にあたりをつけ、その場を去ろうとしたその時だった。


 あれだけ暗かった視界が、真っ白に染まった。


「――――ぐっ!?」


 反射的に腕で光源を遮るより先、一秒の半分にも満たない一瞬だった。バートがユアンの肩をその太い腕でひっかけ、自身ごと樹の陰へ飛び込んだのだ。気づいたらバートの腕のなかにすっぽり収まるという間抜けな体勢になっていた。

 その直後、いくつもの銃弾が視界を横切る。


「他の《鷹》に追い付かれたのか……!」

「八人はいたな。百メートルくらいか」


 一瞬だけ見えたが、光源の正体は軍用の大型夜間照明だった。一つ一つが盾のように大きく、三台ほど並べられていた。

 バートはあれだけの光源に曝されたにも関わらず、敵の人数と距離を確認できたようだ。しかし、状況がよくないことを裏付けするような情報しかない。

 今も隠れている大きな樹の幹に、大量に銃弾が撃ち込まれている。このままでは近づかれて蜂の巣だ。


「ユアン、急所を狙えと言えば、狙えるか」


 突然のバートの質問に、ユアンは時間をかけずに頷く。さきほどの斥候二人との戦闘の後に、ずっと考えていたことだったからだ。


 ――二人で助かるために、バートばかりに人殺しをさせたくない。


「やれることは全部やる。俺を、上手く使ってくれ」

「わかった」


 バートはかなり手短に作戦を伝え、できるかと確認してきたが、「できる云々じゃなくてやるしかないだろ」とユアンは鷹揚に応える。

 いい加減隠れている樹もボロボロになってきている。ぐずぐずしている時間はない。


「――距離二十五だ。いくぞ」


 銃声から距離を判断したバートは《鷹》達と自分達との中間に位置する場所を狙い、掌に収まるサイズの筒のようなものを投げた。


 地面に転がったそれは、勢いよく白煙を撒き散らす。


 軍の最新型スモークグレネード。バートが斥候の《鷹》二人の持ち物を検分したときに拝借したものらしい。性能はかなり良いようで、ライトに照らされた煙が既に蔓延している。


「くそっ! 逃げられるぞ!」


《鷹》の誰かが焦りを見せていた。


 ――逃げるかよ。


 いつまでもこんな連中に追われていたら国境など越えられない。だからここで潰すしかないのだ。


 ユアンは自分とバートの二人分の外套を、《鷹》達の前を横切るようにぶん投げる。

 強い光が当てられている煙の中で、《鷹》達には投げた外套がぼんやりとしか見えない。それこそ、人間の後ろ姿と間違えるくらいには。


「撃てッ!」


 逃げられるかもしれないという焦りからか、彼らは大して疑いもせずに空中の外套を集中射撃した。


 その隙にバートが樹の裏から素早く抜け、光源たる大型の夜間照明を全て撃ち抜いた。ガラスが砕ける音と視界がいきなり暗くなったことに《鷹》達は大きく動揺する。

 奇しくも、彼らが最初に照明を浴びせてきたことへの意趣返しになったようだ。


 再び闇に包まれた森の中で、ユアンとバートは《鷹》の方へ突っ込んでいく。一人で四人、倒さなければならない。


 バートほど暗闇への順応が早くないユアンは、照明が破壊されてからの射撃に自信はない。だからバートは、『明るい内に人と物の配置を頭に叩きこめ』と言った。


「まだ近くにい――ぁ!?」


 まず一番手前で棒立ちになっていた男の頭部を撃ち抜く。たぶん一番経験が浅かったのだろう。暗闇で喋るのは音から位置が分かりやすい上、動かなければそれだけ撃たれやすくなる。現に、目が慣れていなくても当てられた。


 こんなにも、人は簡単に殺せる。


 ――怯むな。躊躇うな。そんなの後にしろ!


 一瞬だけグリップを握る手が強ばったのを感じ、余計な思考を頭から追い出す。こちらの存在に気付いた《鷹》達が反応する前に一気に仕留めなくてはいけないのだから。


「当たれ……!」


 照明が消える前の光景をよく思い出し、狙い、撃つ。


《鷹》達の頭上の樹の枝。


 夏らしく葉が大量に繁ったそれらを二、三撃ち落とすことに成功する。


「なんだこれは!? がぁっ!?」


 突然降ってきた枝葉を驚いて払いのける《鷹》の一人に飛び掛かり、ナイフを心臓に突き立てる。ぶすりと、生々しく肉を貫く感触が手に伝わる。それに対して何かを考える暇もなく、ナイフを抜こうとしたら筋肉が締まっており抜けなかった。


「くそっ!」


 すぐに手放す判断をしたが、他の《鷹》がこちらに銃口を向けるには充分な時間を与えてしまう。


「おらああああっ!」


 咄嗟に二メートルほど前方にいるもう一人の《鷹》に向かって、ナイフが刺さったままの死体を力一杯蹴って突き飛ばした。

 

「ぐぁッ!?」


 勢いよくぶつかり、《鷹》の一人は死体の下敷きになった。地面に転がる石に頭を打ったのか、ゴッ、と鈍い音がしていたので、暫く起き上がらないだろう。ユアンとしてはラッキーだ。

 しかし、敵は近くにまだ一人残っている。


「死ね……!」


 殺気を迸らせた《鷹》のナイフが迫るのを、顔を少し傾けることでなんとか避ける。頬の皮一枚が裂かれる感触を妙にゆっくりと感じた。

 相手は近すぎる彼我の距離を考え、得物をライフルからナイフに換えたようだ。


「死ねるか、よ!」


 ユアンも素早くもう一本のナイフを腰から抜き、次の一撃を峰で受け止める。だいぶ暗闇に順応してきたが、拳銃には弾が一発しか入っていない。外す可能性を考慮すると今はナイフがベストだ。


《鷹》が鋭い舌打ちと共に後ろへ跳んで距離をとる。初めて認めた《鷹》の全体像は、中背中肉の特徴のない男だ。しかし、その表情は仲間を殺された怒りや焦りで興奮に染まっていた。その様は、最初に襲われたときの自身に重なるものがあり、ユアンははたと、追い詰められる立場が逆転していることに気づく。


 ――こいつらは俺達を殺しにきた。だったら、


「殺される覚悟もしてるだろ?」


 ぼそりと落とした呟きに、《鷹》の男はびくりと反応し――獣のような声をあげてユアンに襲い掛かった。

 ユアンは動じず、ナイフと男の動きを目で追い続ける。相手は暗殺のプロで、正面戦闘がたとえ不得手でも安易な攻撃はしてこない。最初は膝を狙っているように見えたナイフは、ユアンが自分のナイフで防御する直前で心臓へ軌道を変えた。

 フェイントだ。


「シッ!」

「なっ!?」


 ほぼ垂直に振った脚で、相手の利き手を思い切り蹴りあげる。ナイフはどこかへすっぽ抜けていき、驚愕する男の額に密かに抜いていた拳銃を押し付ける。


「やめろ! こ、殺さ」


 喚く声は一発の銃声で沈黙する。


 あとはもう、ひたすら長いため息を吐いてへたりこむしかなかった。


「すまない」


 残り四人を引き付け、一呼吸ぶんほど早く決着をつけていたバートが話しかけてくる。


「いいよ、家族だろ」

「ユアン……」


 恐らく、お前をこんなことに巻き込んで、とか、お前にこんなことをさせて、と続くはずだった言葉を、ユアンは先回りして答えた。

 バートは苦々しげに顔を歪めていたが、あえて笑顔をつくって彼を見上げる。


「早く出ようぜ、この都市を」

「ああ……そうだな」


 ぎこちなく微笑むバートを見て、絶対二人で生きぬいてやろう、と改めて感じた。



 ――その一瞬だった。



 バートが明後日の方向を見てユアンの名を叫び。


 身体が動かず呆然とするユアンを突き飛ばし、


 彼の心臓に銃弾が吸い込まれる様を見送ったのは。



「―――――――――ッ!!」



 声なき悲鳴が、森のざわめきに掻き消えた。




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