最低な真実
ユアンは己が耳を疑った。
「おい……この都市を脱出するってどういうことだ?」
バートはただ黙っている。
「……厄介な奴に目をつけられたのか?」
暗すぎる室内で、バートの輪郭がこくりと頷く様が見えた。こうも暗くては顔もよく見えない。
「くそっ、なんなんだよもう。とりあえず話聞くから明かりを――」
つけるぞ、と続くはずだった言葉。しかしそれは、照明のスイッチに伸びた手とともに叩き落とされた。
「
「明かりはつけるな」
「はぁ!?」
「多少の食糧と水は俺が持っていく。お前は貴重品と持って行きたい物を最低限選んでこい。できるだけ身軽にしろ。二十分後にはこの家を出る。――そして、もう帰らない」
有無を言わせぬ口調。こういうときのバートは非常に頑なで、説明を求めたところで絶対に応じることはないとユアンは経験上知っていた。
いきなり帰ってきて一体なんなんだとか、そもそも都市から脱出なんて無断出国で犯罪だろとか、俺の作った夕飯無駄になるじゃないか、とか。
正直爆発しそうなほど言ってやりたいことはいくらでもあったが、ユアンはそれらを苦渋の思いで飲み込んだ。
「バートッ! 後で説明しなかったら撃つからな!」
それだけ吐き捨ててやり、二階の自室へ上がる。暗すぎて荷造りどころではないので、手探りで燭台と蝋燭を探し、マッチで火を灯す。停電時用に一ヶ所にまとめて置いておいたのだ。
――貴重品と、持って行きたいものか。
要するに、今から行うのは夜逃げだ。できるだけ荷物の量はしぼらなければならない。
いつもの外着を着てユアンは荷物選びにとりかかる。
まず貴重品だが、大して貴重なものは持っていない。今までの手伝いによる稼ぎを少しずつ貯金していたのがそれなりの額になっているが、銀行に預けてあるため手元にはない。引き落とすための手形と通帳はあるが、本当に都市を出るならいらないかもしれない。
「いや、でも……!」
汗水(時には血を)たらして手にいれた金にはもちろん未練がありまくりだ。都市を出ることができるかはさておき、もし戻ってきたら、と考えてそれらを鞄に放り込む。
あと持っていかなければならないものは服だ。よく着るもの数着と下着、そして
「最低限だとこれくらいか」
これといってユアンの私物が少ないわけではない。十五年も過ごしていれば思い入れの無い物の方が少ないくらいだ。ただ、持って行っても邪魔にならないものと考えると難しい。
「……あ。あれなら――」
机の引き出しを開け、手前にある小箱の中から髪留めを取り出す。革紐の輪に金属の円環が通してあるもので、これで結び目を隠すことができるようだ。使ったことはないが、男が使っても問題無さそうなシンプルなデザインだ。軽い合金製で緻密な彫り物が施されており、安いものではないだろう。バートが今年の春、ユアンの誕生日に買ってきたものだ。伸ばしては売っていた髪だが、これを貰ってからはなんとなく切りづらくなってしまった。
――これくらいは持ち出しておこう。
寝起きでやや荒れ気味だった髪を手櫛でざっくり整え、高い位置で髪留めを使い縛る。頭が引き締められる感覚で、幾分か残ってた眠気も飛ぶ。
「……よし」
「準備できたか」
バートがいつの間にか部屋に入ってきていた。
「……それ、着けていくのか」
髪留めを着けたユアンをバートはまじまじと見て言う。妙に気恥ずかしい。
「あぁ、無くすと勿体ないから着けてなかったけど、持ち出すなら着けてた方が逆に無くしづらいと思って」
「そうか」
いつものように鉄面皮でわかりづらいが、一緒に長く生活していたユアンにはなんとなく、バートが一瞬だけ穏やかな表情をしたのがわかった。
しかし、すぐにそれは緊張感に満ちたものに変わる。
「出発する。事情は行く道で話す。俺の言う通りについてこい」
ゲールは凸状の国土を持ち、二本の大きな河に挟まれた巨大な三角州である。北の飛び出している部分は山と森が広がっており、二本の河の水はそこから流れ出しているのだ。
北の森の近くは小さいが農業地帯があり、南へ行くほど農家が減って今度は住宅街――第三ブロックとなる。
国土の中央は第二ブロックの商店街と第一ブロックの
南の全域は海に面しており、国土の四分の一を占める広大な工業地帯・第四ブロックが広がる。おまけ程度に漁港もあるが、あまり盛んではない。
第五ブロックは特殊で、後付けで作られた二つの地区のことを指す。というのも、第五ブロックは東西の国境――つまり河の周辺に次第にできてしまったスラムの集落のことで、東西二ヶ所あるものの総じて「第五ブロック」と呼称する。
以上が都市国家ゲールの地理だが、ユアンとバートが向かうのは、
「――北だ」
「一番近い西側の国境に行くんじゃないのか?」
ガス灯の光から隠れるように、暗い路地ばかりを選んで街を疾走する中、ユアンはバートに今後の計画をたずねていた。
「西はだめだ。マリスベル王国と都市は睨み合っているから国境警備が厚い」
マリスベル王国は西の隣接国で、貴族中心の政治が行われているという噂だ。比較的歴史が浅い都市国家ゲールが栄えているのが気に食わないようで、挑発のためか国境線の河沿いで軍事演習をしたりするらしい、とバートが続ける。
「じゃあ他は?」
「東は遠い上に国境の河を越えたらニンス連邦の無人地帯にぶつかる。深い森がずっと続いてて集落がないから補給できない。南の海は問題外だ。航海術もないし港を出入りする船には厳重なチェックが入る」
ユアンはバートの博識さに改めて感心する。閉鎖的なゲールの中で国外の状況をここまで知っているのは驚くべきことだ。
「北は大丈夫なのか?」
「山と森があるぶん身を隠しやすい。国境を突破できればニンス連邦の辺境の村があるからそこで補給もできるし、連邦まで入れば手出しできないはずだ」
「……なあ」
ユアンは一呼吸おく。頭のなかでずっと引っ掛かっていたことを言葉にするために。
「俺たちはもしかして
どうもバートが相手取っている者が一個人や一組織ではないように思える。ゲールは流れ者が多い都合上あまり治安がいいとは言い切れない。しかし、検挙率の高い憲兵隊が存在する。
憲兵隊は有力な名家などの影響を受けず、市議会と上部組織である軍にしか左右されない独立性を持つ市民の味方だ。事情を話せば保護だってしてくれるだろう。
しかし、それが通用せず、わざわざ国外まで出ようとするなど、追っ手が市議会や軍に関係していると考える他ない。
「……そうだ」
バートは走りながら、振り返ることもなく答えた。
「どっちだ。市議会か? 軍か? どの官僚に目をつけられたんだ?」
「
「すべて……って」
敵は、市議会と軍の全て。つまり――都市そのものだ。
現実味のない話なのに、寒気のようなものが背筋に迫っている感覚がする。
「不都合なことを知ってしまった俺を、この都市は消そうとしている。恐らく家族のお前も消されるだろう」
「何を……何を知ったんだ、バート」
聞いたら何かを失う予感がしたが、それでも聞くしかない。教えなきゃ撃つと言ったのは自分だ。
バートは細い路地裏でようやく足を止め、家を出てから初めてユアンに向き合った。
「――知ったのは、この都市の最低な真実だ」
《決闘都市》と名高いゲールは、持ち前の科学力と《決闘祭》で栄えた国家だ。しかしそれは、真実を断片的に見た結果でしかなかった、とバートが続ける。
「ことの発端は俺が十数年前に《決闘祭》に参加したことだ。俺はあのとき参加者の一人の男と意気投合した。スラム出身だが妻子のために入賞すると意気込んでいた……」
結果として、その男は奮闘して入賞こそしなかったものの、軍からのスカウトを受けた。辺境での任務になるからしばらく会えないという話をし、バートは最後にスラムまで行って彼の家族と共に食事もした。
「その半年後くらいに、俺は近くに用事があったついでに男の家に寄ってみた。しかし、住んでいたのは別の一家だった」
「引っ越した……ってことか?」
「俺もそう思ったが、近隣の住民に聞いてみたら『あそこの親子は父親に会いに行ってから帰ってこないから、今はどこかで三人一緒に住んでいるんじゃないのか』と言われた」
ユアンは首を傾げる。
「それのどこが変なんだ? 家族が一緒に住めるのはいいことだろ?」
「いや、その男は俺に『いなくなった後の妻と子供を頼む』とまで言っていた。一緒に住めるようになったのなら手紙の一つでも来るのが普通だ……。しかし、その後その一家の消息は全く掴めなかった」
ここまでなら様々な可能性が考えられる。男が筆無精だったとか、たまたま手紙や連絡が届かなかっただけだと思えば事件性などない。しかし、どこか不審に思ったバートは他にも《決闘祭》を期に姿を消す一家がいないか調べたという。
結果は、当たりだった。
「スラムや、時には第三ブロックの住人に至るまで、《決闘祭》で軍にスカウトされた者とその家族がほぼ全て消えていた」
「待てよ、古物商のじいさんは息子がスカウトされたけどいるじゃないか!」
息子が軍人になったっきり寂しいらしい、と肉屋の主人も言っていた。
しかし、バートは首を振る。
「
「対象って、なんの……」
「奴隷だ。――この都市は、市民を奴隷として売り飛ばしていたんだ」
今度こそ本物の寒気がユアンの背筋を駆け抜けた。
「嘘だ……。この都市に奴隷はいないはずだ。奴隷制自体ないじゃないか」
「この都市にはいない。しかし外なら別だ。まだ奴隷制を採用している国なんてごまんとある上、質の良い奴隷は高く売れる。それこそ法外な金額でな。例えば――健康で、読み書きができたり、腕っぷしが強かったりする奴だ」
ユアンは衝動的に路地裏の壁を殴りつけた。
繋がったからだ。頭の中で、全てが。
「クソッタレが……! 全部、全部そのためなのかよッ!!」
スラムの人間に教育と炊き出しを施すのは良質な奴隷とするため。また、スラムでの待遇を知った貧しい外国人を都市に誘い込むため。
《決闘祭》を開くのは自然な形で市民を誘拐するため。
外国人の受け入れに寛容なのは、スラムの人間を補充するため。
国外の情報が出回らないことや、出国の制限が厳しいのは、都市の外に人口が流出するのを防ぐため。
全て、市民を奴隷化することに都合よくシステム化されているのだ。
「バートが調査していたのは、そのことだったのか……」
「ああ、情報屋の真似事をしながら稼ぎつつ、他の情報屋とコネクションを作って密かにやり取りをしていた。今日、情報屋が調査結果を報告する集まりがあった。都市外に部下を持つ奴がいて、消えた市民の行方を調べてくれていたんだ」
「報告の内容は、外国で市民が奴隷になっていたこと……だったのか」
「そうだ」
バートは、これはまだ裏が取れていないが、と続ける。
「俺の調査では、スラムに
「捨て子まで拐われて奴隷にされている可能性があるのか……?」
「確証はないがな」
ユアンは細長い息を吐き出しうずくまる。ここまで走ってきた疲れも少しはあったが、それよりもバートの話が衝動的すぎた。
――『俺もここはいい国だと思います』か。
今日の自分の発言を唾棄したい。
この《決闘都市》ゲールは、最低最悪の国家だ。
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