第172話 それはカジの主観

 それはまるで長い夢を見ているような感覚だった。意識が朦朧として、自分の意思とは関係なくあちこちを歩き回っている。

 こちらを見て笑う森人族の男。

 崩壊して緑に覆い尽くされた街並み。

 花に変えられていく人々。


 そして、そんな状況で最後に見たのは、暗闇の中で自分を抱える魔族の男。必死に自分へ何かを叫んでいるが、その言葉は聞き取れない。

 だが、それでもなぜか彼を見ていると胸が高鳴り、腕の中にいると心地いい。

 しばらくこのままでいたい――アルティナはそう思った。





     * * *


 しかし目は覚める。

 汚れの溜まった窓から差し込む朝陽が、埃を反射している。徐々にアルティナの意識は覚醒し、ぼんやりと目の前の景色を見つめた。


「え、カジ?」


 眠っている男は、幼い頃からの友人であるカジ。彼の真っ白な広い胸板に、自分は頭を押し付けながら眠っていたようだ。


「おはよう、アルティナ」

「何だこれは、どういうことじゃ! 儂ら、裸で――!」


 さらに背後からも温かく柔らかい感触がして、アルティナは振り返った。そこには金髪の女がいて、胸を押し付けながらこちらを睨んでいた。


「うわ! ドブおっぱい!」

「久し振りだな、アルティナ」


 クリスティーナもまた、カジと同じく裸。彼らは川の字になって眠っていたのである。

 一体、どういう経緯でこういう状況になったのか。アルティナにはさっぱり分からなかった。


「何がどうなっておるのじゃ? ここはどこで、今は何時いつじゃ?」

「……記憶はほとんどないか」


 ユーリングに操られていたときの記憶はほとんど消失したが、いつもの彼女へ戻っていたことにカジは安堵した。

 彼女に何が起きたかを理解させるために、カジはこれまでの経緯を説明する。マクスウェルが亡くなったことも、ユーリングに操られていたことも、戦いに巻き込まれて運河へ投げ出されていたことも。話し辛い内容ばかりだったが、アルティナは時折驚きながらもその内容に最後まで耳を傾け続けていた。


「そうか、そんなことがあったか……」

「ああ。すでにユーリングは逮捕された。今後ヤツが表舞台に出ることはないだろう」

「爺はどうなったのじゃ?」

「城に保管されていて埋葬されるのを待っている状態だ。埋葬の場にはお前が居た方がいいと思ってな」

「そうじゃな。ずっと世話になった爺じゃ。別れの言葉くらいかけてやらんと」


 カジもクリスティーナも、マクスウェルから世話になっていた。彼を失うことは辛かったし、仲間に与えた悲しみは計り知れない。


 アルティナはぼんやりと天井を見つめた。

 こんな場所で唐突に話されても、なかなか現実の出来事として受け止めづらいだろう。


「ところで、儂らはどうして裸で寝ておるのじゃ?」

「お前が波打ち際で倒れていて、体が冷たくなっていたんだ。俺たちの体温でお前を温めると同時に、傷の修復のために沢山の魔力を使ったんだ。魔力を分けてくれたティーに感謝しろよ」

「ティーって誰じゃ?」

「あぁ、クリスティーナのことだ」

「お主、いつからドブおっぱいのことをそんな風に呼ぶようになったのじゃ! それに、そのあだ名は儂の幼い頃と被るではないか!」

「そういや昔はお前のこともティーって呼んでたな……」

「何か屈辱的なものを感じるのぅ! ドブおっぱいをティーと呼ぶのは却下じゃ!」

「別にあだ名くらい同じでもいいじゃないか。俺もお前に魔力を分けたが、ほとんどはティーの魔力だ。ティーがいなかったら、お前は死んでたぞ」

「ひえっ……」


 アルティナは振り返ると、クリスティーナの胸元に光る精霊紋章を凝視する。

 これが自分を救った魔力の源。これから先「ドブおっぱい」と彼女を馬鹿にできない。アルティナが精霊紋章をつんと突くと、それに呼応するようにふわっと魔力が漂った。


「まるで魔力の母乳みたいじゃの」


 最初はカジもクリスティーナを捜索に連れていくことに消極的だったが、結果的にこれで良かったと思う。


「悪いな、ティー。こいつ昔から天邪鬼な性格でな、なかなか素直になろうとしない」

「ふっ、子どものくせに面倒くさいヤツだ」

「お主も面倒くさい性格じゃろ」


 両方面倒くさい性格だと思うが。

 しかし二人ともその面倒くさい部分が愛おしい気もする。


「ほら、アルティナ。一言くらい礼をしたらどうなんだ?」

「うぅ……」


 カジはアルティナをクリスティーナに向き直させ、トンと背中を押した。

 これまで見下してきた人間族に感謝するのは彼女のプライドが許さないのか、なかなか言葉が出てこない。クリスティーナはニッコリとした笑顔を作り、アルティナが喋るのを待った。


 しかし――。


「相変わらず、胸からドブの臭いがするのぅ」

「なっ!」

「ついでに言えば、股の方から獣の臭いがするわい。発情期真っ只中じゃな」

「貴様……!」


 クリスティーナはアルティナを背後から抱き締めると、毛布に巻かれながら一緒に床を転がっていく。彼女が上に乗ると、アルティナに体重をかけた。


「ぎゃあ! 重い! 重い! 胸に押し潰される!」

「私の胸と股がどうしたって?」

「やめろ! そんなところ、触るでない!」

「ほら、良い匂いがするだろ、私の胸は」

「あぅあ、止めい! カジ、儂を助けろ!」


 毛布の中でクリスティーナがアルティナに色々なことを仕掛けている。ようやく反撃の機会が与えられたことが嬉しいのだろうか、彼女の攻撃は止まるところを知らない。アルティナの反応から弱い部分を探り出し、そこへ執拗に攻撃を重ねていく。クリスティーナは高らかに笑い、アルティナがぐったりするまで続けた。


「はぁ……アルティナ……」


 全く感謝の色を見せないアルティナに呆れ、カジはため息を吐いた。その一方で変わらない彼女に安堵もしていた。




     * * *


 アルティナを発見したことを知らせる式神を飛ばし、体を暖炉で温め直しているときのことだった。


「なあ、カジ?」

「どうした?」

「少し、この村の様子を見ないか?」


 クリスティーナに誘われ、カジは彼女と共に家の外へ出た。

 夕べは急いで駆け込んだため、この廃村について詳しく調べる間もなかった。散策して避難路を考えるのも良いだろう。

 家の周りを歩き、近くに広がる浜辺を眺めた。昨夜の雪雲はどこかへ去り、今は爽やかな青空と湾を一望できる。しかし微かに焦げ臭い風が、焼け野原となった貿易都市から流れて来ていた。


「救出作戦も、ひとまず一段落ついたか」

「そうだな」

「まったく、ここまで来て助けてやったのに、アイツは礼の一つもなしか。魔力も簡単にホイホイ出るものじゃないのに……」


 早速クリスティーナは愚痴をこぼした。もしかすると、彼女はこの愚痴をカジに聞いてもらうために呼び出したのかもしれない。

 これも恋人の務めだろうか。

 愚痴はちゃんと聞かないと夫婦仲が壊れる、と誰かから聞いたことがある。

 カジは愛想笑いをしつつ、クリスティーナの隣を歩く。


「まあな。アイツらしいと言えばそうだけどな」

「こっちがどれだけ苦労して探したのか分かってないのだ、アイツは」

「アルティナはあんな反応をしているが、ちゃんと感謝はしていると思うよ。色々なことがあったが、弱さを見せないために気丈に振る舞っているのさ。そういう面ではトップに向いている性格かもしれん。まあ、ときには素直に感謝することも必要だがな」


 昔からアルティナはそうだった。

 他人に泣き顔を見せようとせず、空気が重いときは敢えて明るく振る舞う。マクスウェルに心配をかけないよう気を遣っていたのだろう。


「詳しいのだな、アルティナのこと」

「そりゃガキの頃からの付き合いだから……」

「随分と仲が良いのだな」

「もしかして、アルティナとの関係を疑っているのか?」

「ぬぅ……」


 クリスティーナは少し眉間に皺を寄せたが、すぐに表情を元に戻した。


「いや、うむ……そうだな。少し疑っているのだ、私は」

「俺とアルティナは兄妹みたいなものだし、やましいことは何もないよ」

「しかしそれはカジの主観であって、向こう側がどう思っているのかまでは分からんぞ。付き合いが長いからこそ恐いのだ」

「そんなことないと思うが……」


 随分と疑ってくるな、とカジは辟易としていた。

 いやいや、そんなはずないじゃないか。

 あんなに毒舌で横暴な態度をとってくるアルティナが、自分のことをそんな風に思っているわけがない。


「私の初恋の相手は何歳も年上の男だったからな。周りの男とは違う余裕のあるところに惹かれるんだ。もしかするとアルティナは夫を取り合う手強い恋敵になるやもしれん」

「そんな大袈裟な……」

「いや、違う。もっと警戒すべきは――」


 今後カジと夫婦生活をする上で、彼を奪いに来るリスクのある危険人物は、クリスティーナの頭の中に二人浮かんでいる。

 一人はアルティナ。カジとは年齢が多少離れているが、彼との付き合いは長く、互いに性格を熟知している。魔族としての容姿は抜群であり、将来的にクリスティーナを抜き出る可能性もある。

 そしてもう一人は、恋愛において奥手を装っているが小悪魔で動きの読めない女――。


「そう言えば、シェナミィはどこに行ったのだ?」

「俺に食料を探しに行くと言ってたが、ロベルトも見てないな」

「まさか、デートか?」

「あり得ない話でもないな……」


 しばらく歩いていると、建物の陰から二人の話し声が聞こえてきた。

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