第171話 漁村へ

 それからカジたちは貿易都市中央を離れ、海岸沿いの捜索を始めた。日は落ち、クリスティーナは松明を片手に砂浜を照らす。


 海岸には軍艦の破片と船員の死体が流れ着き、おぞましい光景が広がっていた。

 屍肉を求めて巨大なフナムシのようなモンスターが集まり、ギィギィと鳴き声を上げて仲間をさらに呼んでいる。


「うぇ、気持ち悪。脚があんなに沢山……」

甲冑舟虫レグバスだな。気性は荒くはないが、危険を感じると襲ってくるぞ」

「内陸育ちの思い浮かべる海って憧れだったけど、いきなり理想を打ち砕かれたわ……」


 山奥の田舎で育ったシェナミィにとって、海岸に生息する甲冑舟虫レグバスを見るのは初めてだった。彼らの脚がゾワゾワ動く様子を見ていると、体に鳥肌が走る。


「王国の主要都市も、軍の管轄から一歩外れたらモンスターの巣窟か。都市から出るゴミを狙って集まっているんだろうな」


 都市に人や物が集まるほど、それだけ廃棄物も多くなる。貿易都市から流れてくる廃棄された食料などを狙い、周辺の海岸は甲冑舟虫レグバスの住み処となっていた。


 カジやクリスティーナたちに目もくれず、彼らは打ち上がった死体を一心不乱に貪り続ける。下手に刺激しないよう、カジはそっと横を通り抜けた。


 彼らの食べている死体はどれも王国海軍の制服を纏っている。カジの目に留まったのは、制服の胸元に光る勲章――。


「あの死体、胴をバッサリ切断されている。ザンバの仕業か……」

「制服の勲章からして、サウスランド将軍だな」

「知り合いか?」

「王国海軍の艦隊長だ。大規模な海賊鎮圧で勲章を授与されたのだがな。まさか彼まで命を落とすなんて……」


 クリスティーナが知る限り、将軍は気骨があり、自分の艦隊を誇りに思っていたはずだ。王国の混乱の中、海軍のリーダーとして兵をまとめてくれることを期待していただけに、彼の死はショックだった。


 ユーリングに王都まで侵攻されなかったものの、失われた都市や人材を考慮すると、今回の攻撃が王国内部に致命傷を与えたのではないかと不安が募る。


「敵になったとはいえ、昔の仲間の死は辛いものだな……」

「そう簡単に割り切れるものでもないだろ」

「しかもこんな風に死体が食われるなんて、慕っていた仲間からしたら堪ったものじゃない」


 クリスティーナの見ている前で、将軍の死体も甲冑舟虫レグバスの胃袋へ収められていく。彼が胸に着けていた勲章がポロリと砂の上に落ちると、波によって海の中へ見えなくなった。

 王国の栄えた歴史も、それに貢献してきた人々の命も、あの勲章のように儚く消える運命なのだろうか。


 そんな光景を見ながら歩いていると、クリスティーナは不意に妙な感覚に襲われた。体中の血液を固められたように魔力が動かなくなる――間違いなくアルティナは近くにいる。


「カジ、アルティナに魔力を吸われている感じがする」

「ああ。俺もお前の魔力が変化しているのが分かったぞ」


 彼女の魔力が抜け、空中を経由してどこかへ流れていく。その流れを追っていくと、甲冑舟虫が密集する場所を見つけた。


「カジ、あそこに手が――!」


 数百もの蠢く脚の隙間に、小さな手を確認できる。


「そこをどけ! お前ら!」


 カジは一匹の甲冑舟虫レグバスを持ち上げると、それを暗い海の中へ投げ飛ばした。危険を察知して襲い来る虫を、その脳天をメリケンサックで叩き潰して捩じ伏せさせる。透明な苦い味の体液が、割れた頭から飛び出た。


「ティー! 足元からでかいのが来るぞ!」

「承知した!」


 カジが察知したのは、砂中を蠢く魔力。クリスティーナの足元から現れた顎を飛び上がって回避すると、彼女は剣を振るい、現れた巨大な甲冑舟虫硬王レグバス・ロードを切り裂く。


「集まってくるヤツは私に任せろ! お前は早くアルティナを!」

「分かった!」


 多くの甲冑舟虫レグバスを排除していくと、彼らを引き寄せていた物体の正体が見えてくる。


「いた! やっぱりアルティナだ!」


 彼らはアルティナに興味があったのか、触角を彼女に擦り付けていた。果たして、これは食えるか、食えないか。人工生命体ホムンクルスという自然界に存在しない特殊なものを口にして良いのか迷っているようだ。


「アルティナ! おい、起きろ!」


 激しく揺さぶるも、アルティナは反応しない。彼女の体は海水に冷えており、ぐったりとしていた。


 そのとき――。


「生命維持限界まで、残り10分です」


 アルティナの装着する金色の首輪が突然声を発した。

 この首輪はユーリングが人工生命体ホムンクルスを操るために用意した特製品だろうか。普通の奴隷用首輪とは仕様が異なっている。


「一体どうすれば救えるんだ……!」

「解決法を模索中――肉体の体温低下を防ぎ、自己再生用の魔力注入が必要です」

「自己再生用の魔力? 人工生命体ホムンクルスは魔力さえあれば自己再生できるのか?」

「可能です」

「近くにテントを張って、そこでアルティナを温めるか」


 まず体温低下を防ぐには、風雪を必要がある。保温性に不安はあるものの、手持ちのテントならすぐに用意できる。


 しかし――。


「いや、もっと良い場所がある」


 そう切り出したのは、ロベルトだった。


「この近くに廃村になった漁村がある。結界は張られていないが、そこなら誰も来ないし、暖炉の入った古い建築物も残っているはずだ」

「よし、そこに行こう!」


 ロベルトが先陣を切って走り、カジはアルティナを抱えながら彼を追いかける。クリスティーナによる撃退もあって、甲冑舟虫レグバスたちはもう追って来なかった。

 やがて古い民家が立ち並ぶ漁村が見えてきた。ロベルトが言っていた通り、誰も住んでいないため明かりが灯っていない。


「ここが廃村か……」

「この家に入るぞ!」


 長い間手入れされていないのか、雑草の枯葉や土埃の溜まった玄関。廊下に放置された漁師道具。その具合からして、住民がこの地を去ってから十数年は経過しているようだ。


「シェナミィとロベルトは表に残っている薪で暖炉に火を焚いてくれ」

「オッケー」

「俺たちは濡れている服を脱がすぞ」


 びしょびしょに濡れたアルティナの服を、クリスティーナと共に剥がしていく。目立った外傷は見当たらないが、油断はできない。


「さっきからすごく魔力を吸われるのだが……」

「自分を回復させるために、魔力を奪っているのか?」


 カジにも自分の魔力がアルティナのところへ吸収されていくのが分かった。クリスティーナやシェナミィからも魔力を集め、肉体を急速に回復させているように見える。


 普通の魔族なら魔力を与えただけで体力を自動回復などしないが、人工生命体に与えられた特殊な能力だろうか。

 今振り返ると、アルティナが病気や怪我をした記憶がない。周囲から魔力を集め、回復させていたのか。


「俺たちの体温で温める。原始的だが、一番効果的だ」

「そうだな」

「こうした方が魔力の吸収も早いだろ」


 カジとクリスティーナも服を脱ぎ、肌を直接当てて体温を分け与えた。アルティナを前後で挟み込み、さらにクリスティーナは胸の精霊紋章を押し付ける。アルティナの小さく細い体は、あまり力を入れ過ぎると折れてしまいそうだ。


「うぁ……冷たい」

「緊急事態だ。頼む」

「分かったよ、カジ……」

「わ、私も魔力をあげる」


 火を焚き終えたシェナミィも服を脱ぎ、布で自分たちを覆う。

 一方でロベルトは暖炉に向き合い、燃える薪を眺め続けていた。自分の背後で女性たちが裸で体を温め合っている――そんな状況に息を呑みつつ、性欲に押し負けぬよう留まった。


「魔力を吸われ過ぎて、体が干からびる感じがする……」

「まだ魔力の補給は終わらないのか?」

「骨折箇所修復完了――体温上昇開始――まもなく自己再生終了」


 もう周囲から魔力が集まっていく流れは感じられない。どうやら再生はうまくいったのだろう。介抱のおかげか、アルティナの顔は徐々に血の気を取り戻してきた。


「寒かったよな、痛かったよな、アルティナ」

「……」


 カジはアルティナの体調が正常に戻っていくのを確認すると、彼女の首にかかっていた金色の首輪を取り外す。首輪からの音声は沈黙し、彼らはアルティナの寝息に耳を澄ませた。

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