第173話 ロベルトの故郷

 泊まった家の裏へ足を踏み入れようとしたとき、カジとクリスティーナは聞こえてきた話し声に動きを止めた。


 もしかして、本当にシェナミィとロベルトがデートしているのだろうか。


 二人の邪魔をしてはいけない。

 そう思いつつも息を殺して家の外壁に張り付き、話の内容に耳を傾けた。


「昨日、ここに廃村があるなんて、よく知ってたね。おかげで助かったけど」

「ま、某が連れて来られた理由は案内だからな。それよりも話したいこととは何だ?」

「もしかしてさ、ここってロベルトの故郷なの? 迷いなくこの家に入ったからさ」

「……そうだ。某はこの村で生まれ育った。昨夜泊まったのが、某の実家だ」


 カジもロベルトが一直線にこの家へ入ったことに少し違和感を覚えていた。慣れ親しんだ実家ということなら、あの行動にも頷ける。


「ここはかつて栄えていた漁村だった。今では人っ子一人いないが、昔は漁師が毎日沖に出ては大量の魚を持ち帰ってきて、海の恵みに感謝しながら皆暮らしていた」

「そうなんだ」

「もうここに戻る理由はないと思っていたのだが、人生とは分からないものだな」

「……どうして家を捨てることになったの?」


 シェナミィは庭や道に放置された漁具を見つめた。使い古された道具のようだが、今は土埃をかぶり、草むらに埋もれている。


「話せば長くなるが……王国のせいだな。昔の戦争でこの村からも多くの男が駆り出された。ほとんどが帰って来れず、村は働き手を失った」

「ロベルトのお父さんも?」

「ああ。父も戦死した」

「大変だったね……」

「いや。まだ序奏さ。さらに近くの貿易都市が発達したせいで河川の環境が変化して、周辺の魚が姿を消した。かつての村民はこの村を捨てざるを得なくなった」


 湾に入ってくる巨大な貨物船。

 都市開発による海草群の消失。

 様々な環境変化が重なり、海から食料を得ることができなくなった。男手不足で近隣の畑や果樹園に現れるモンスターの駆逐も難しくなり、ある者は自然豊かな場所を求めて引っ越し、ある者は都市での暮らしを選んだ。


「お袋は村を出て、某を養うために貿易都市の市場で働き始めた。昔はタダで好きなだけ釣れた魚も、同じ量を買うのに毎日毎日働かなければならない。体が弱かったのに無理をしているお袋の姿を、市場の陰からよく眺めていたさ」


 都市に出てモンスターに襲われる心配はなくなったものの、そこには窮屈な生活が付き纏っていた。働いて得た金は生活費に消える。体が弱く長時間働けない母は、命を削るようにロベルトを育てていた。


「昔は良かった。生活費に追い回されることもなければ、依頼主に足元見られながら気の滅入るような安い賃金で仕事することもなかった」

「冒険者の報酬って、よっぽど強くないと安いもんね……」

「この村が消えたのは結局のところ、王国が豊かさの意味を履き違えたのが原因だと思ってる」

「豊かさ?」

「魔術や都市の発展で部分的には便利になったこともあったが、その裏でこの集落は潰された。魔族との戦争も、元はと言えば王国が資源欲しさに始めたことだ。最初から侵略などしなければ互いに犠牲を出さずに済んだものを……世の中には変えなくていいことも沢山あるし、多くの金と物を獲得することが豊かさだと、某には思えんのだ」


 ロベルトの言葉には、シェナミィも納得できるところがあった。彼女の父親も戦死し、もしあの戦争がなければあんなに悲しむことはなかったのに、と戦争を恨んでいた時期がある。


「某にはユーリングというヤツの気持ちも分かる気がする。王国の施策によって故郷を失い、その復讐のために彼らの発展を無に帰したいとな」

「ロベルト……あなた、王国を恨んで……」

「尤も、そんなことをしたところでどうにもならんがな。当時の生活は帰って来ないし、人々は今の社会構造に慣れすぎた。ユーリングがやったのは都市の破壊だけじゃない。多くの難民や失業者を生み出し、王国民を野垂れ死にさせる毒を打ち込んだのさ」


 ユーリングの台頭によって状況は一変した。都市も都市同士を繋ぐ街道も森林に戻され、何十年もかけて作られた生活基盤は崩壊している。

 あの貿易都市に住んでいた人々はどうなったのだろうか。都市を包んでいた結界は消え、身を守れそうな建造物は倒れている。生き残ったとしても、この周辺で生きていくことは難しいはずだ。


「ここに来るまで多くの都市を見てきたが、あれだけ広大な森林を元に戻すのは容易ではないだろうな……」





     * * *


「耳の痛い話だな、ティー」


 そこまで立ち聞きしていたカジたちは踵を返し、家の玄関へ歩き始めた。

 この古民家が、ロベルトの実家。

 そう考えると感慨深いものがある。彼はここで様々な悲劇を体験してきた。実際にその人物の家に行くと、生き方や考え方が伝わってくるものだ。


「ああ。色々な物資や金が世に出回るようになれば国が発展して民が幸せになるとばかり思っていたが、そうでもないのだな……」

「本当に民が幸せな国か……」


 魔族領の発展も、進化を遂げる王国を模倣して行われた過去がある。このまま魔族も都市開発などを進めていたら、王国と同じ問題を抱えてしまう。そのことをカジは恐怖した。


「できることなら、もう一度王の仕事をやり直してみたいな……今度はバルザノフの作った思想に囚われず、復讐にも囚われずに……」


 クリスティーナは呟いた。


 金や物が出回るようになれば、国は豊かになる――王国でそのように唱えたのは、初代国王バルザノフ・エルケストだった。

 クリスティーナも先祖の言葉に盲目的に従って政策を進めたが、その裏で幸せな生活が犠牲になった人々を見てしまった。親を戦争で亡くしたシェナミィ、故郷を失ったロベルト、恋人を奪われたユーリング――きっとこれは、暴虐を尽くした王家の罪だ。


「もし、この大陸の情勢を立て直せる機会があったらさ、ティーを新たな王に推薦してもいい」

「ふっ、いいのか? 弟や部下にも裏切られた人望のない淫婦だぞ?」

「俺からの信頼じゃダメか?」

「いいや。心強いよ……」


 クリスティーナはカジの腕を抱き寄せ、柔らかく微笑んだ。

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