第167話 夢の途中で

 最初ユーリングには何が起きたのか分からなかった。トレントとして巨大化した自分の肉体に突然大きな穴が開き、生命力たる魔力が漏れている。

 追い詰められているハワドマンがこれほどのダメージを与えてくるとは思えない。向かってくる魔術攻撃は全てアルティナが反射させており、トレントまで届くことはないはずだ。


「クソォ! どこだ! 敵はどこだあああっ!」


 彼は攻撃してきた敵を探し、自分の周辺に大きく根を張り巡らせる。しかし周辺にハワドマン以外に異様な魔力を示す反応はない。

 どうやったらトレントの巨体にこんな風穴を開けることが可能なのか。自分の知らない強敵が王国にまだ潜んでいたのか。ユーリングの中に焦りが募っていく。

 このときユーリングは冷静さを欠いており、離れた沖からの砲撃だと気づくことはできなかった。


 刹那、感じたのは異常な熱さだった。今度は自分の体が燃えている。トレントの腕が真っ赤な炎を上げながら、灰となって崩れ落ちていく。


「グゥああああああっ!」

「ようやく魔術が通りましたね」


 ユーリングが怯んでいる間に、ハワドマンの炎魔術がトレントの腕に直撃。

 その絶大な威力に苦しむトレントの姿をハワドマンが嘲笑う。


「何をしている、アルティナ!」


 魔術が当たるなんてどういうことだ。

 ユーリングが怒鳴り声でアルティナに問いかけるも、彼女は答えない。

 嫌な予感がして、彼は恐る恐るアルティナの檻に目をやった。


「アルティナ……?」


 アルティナを閉じ込めていた場所に、彼女の姿はない。先ほど受けた砲弾の衝撃で彼女を閉じ込めていた檻が破壊され、空中へ投げ出されてしまったようだ。大きな空洞に風が吹き抜けていく。


「さて、反撃といきましょうか!」


 再びハワドマンは杖を高く掲げて特大の火球を作り出し、トレントに浴びせる準備を整えた。


「さようなら、野生のエルフ」

「このままやられ――!」


 ユーリングは何本もの長い根を鞭のように使い、ハワドマンの攻撃を止めようと必死に振るう。しかしその根は結界によって阻まれ、火球に吸い込まれるように焼かれた。

 一気に迫る太陽ほどに熱い火球。自分の感覚が炎に失われていくのを感じながら、ユーリングは小さく呟いた。


「なぜだ……僕は、この国を滅ぼすために、何年も……」


 ユーリングと融合したトレントは炎の海に飲まれ、ボロボロと崩れ落ちる。彼の作り上げた森林も、記憶を操って結成させた軍隊も、ハワドマンの力の前に消えていった。

 王国の台所とも呼ばれた豪華絢爛な貿易都市に残されたのは、焦げて黒ずんだ木々だけ。王国滅亡というユーリングの夢は、あと少しというところで、百年の努力も虚しく灰と化した。




     * * *


 ユーリングがハワドマンに敗れた頃、カジも戦場の近くまで来ていた。彼の後ろにはクリスティーナとシェナミィ、それからロベルトが続く。記憶を操られた冒険者たちだろうか、土に複数の足跡が地面に残されており、それを追い続けていた。

 そのとき勢いよく風が吹き、カジは樹海の湿った空気に似合わない妙な匂いを感じ取った。


「……何か臭う」

「どうしたのカジ?」


 するとカジは突然走り出し、目の前の斜面を上った。その先は高い丘になっており、周辺の景色を一望できる。カジはやや息を切らしながら頂上へ立った。


「もう始まっていたか……」


 そこから見渡せたのは、燃え盛る貿易都市。王国の外交拠点とも呼ばれた街が跡形もなく消え去っている。カジが感じたのは草木の焼ける臭いだった。


「どうしたんだカジ、急に走り出して――」


 カジに遅れてクリスティーナも頂上に辿り着き、その景色を見渡して絶句する。

 彼女もその街には何度か足を運び入れたことがあった。異国の雰囲気が漂う貿易品売り場や港に停泊する巨大貨物船が全て消失し、巨木の焼けた残骸が散らかっている。


「まさか外交拠点までユーリングの手に落ちるとは……」

「いや、違う。様子がおかしい」

「どういうことだ?」

「ヤツが勝ったなら、森林が都市全体を覆い尽くしているはずだ。ユーリングは負けたのか?」


 これまでユーリングが制圧してきた都市はどこも樹海の中に沈む廃墟となっていた。

 しかし今回は街のほぼ全てが焼けている。


「アルティナ……!」


 ユーリングが敗北したということは、彼に追随しているアルティナも危険に晒されていることを意味する。

 まだ彼女は生きているのだろうか。無事に彼女を連れて帰れなかったら、マクスウェルの望みが潰えてしまう。


「急ぐぞ。アルティナが危険かもしれん」


 カジは森を駆け、海沿いの焼け野原を目指す。街に散見されるのは、王国軍兵士の装備と魔導兵器の残骸。軍の大部隊が集結していたであろう正門を抜け、焼け落ちた巨木の根元へ急ぐ。


 彼を追ってクリスティーナやシェナミィもついていく。そのとき、クリスティーナは小走りをしながら、隣を走るシェナミィに小さな声で問いかけた。


「なぁ、シェナミィはアルティナについてどう思う?」

「どう思う――って?」

「アルティナには色々酷いことをされてきたし、正直あまり助ける気力が湧かないというか」


 アルティナには良い思い出がない。クリスティーナが彼女と最初に出会ったときも、「ドブおっぱい」などと大衆の前で呼ばれて恥を晒され、その後も身柄を押さえようとカジの屋敷に特殊部隊を仕向けてきた。さらに獅子鬼オーガ襲撃時には彼女に拘束され、その後もユーリングの計画に加担して結果的に彼に犯されるよう後押しした。


「でも、アルティナちゃんはマクスウェルさんの大切な人なんでしょ? 私、マクスウェルさんにはお世話になったから、その恩返しで助けるつもりなんだけど……」

「確かにそうだが……」


 マクスウェルには亡命する上で多くの手助けをしてもらったし、彼はクリスティーナと同じくユーリングの実験の被害者でもある。

 アルティナは嫌いだが、マクスウェルの恩には報いたい。そんな複雑な心境のまま、クリスティーナはこの任務に赴いていた。


「カジも気づいているんじゃないかな。クリスティーナさんがアルティナちゃんを助けたくないこと……」

「そ、そうなのか?」

「クリスティーナさんって、目には目を、歯には歯を、っていうタイプの人だから」

「むぅ、否定できんな……」


 ギルダの復讐に身を捧げてきた過去を考えると、シェナミィの言うことも間違ってはない。やられたことをやり返さなければ王家や国のプライドが崩れてしまうことを危惧していたせいか。


「でも、カジとクリスティーナさんが敵同士だったのに仲良くなれたのって、カジから歩み寄りがあったからだと思うんだよねぇ」


 クリスティーナがカイトに首を締められていたときも、指名手配されて王国内を逃走していたときも、救いの手を差し伸べてくれたのはカジだった。

 自分が彼の立場だったら同じことをしただろうかとクリスティーナは首を傾げる。


「もう少し様子を見ても良いんじゃない? アルティナちゃんも案外クリスティーナさんと同じような性格かもね」


 強情で執念深いあたり、アルティナも自分と同類なのかもしれないな、とクリスティーナは頷いた。


「シェナミィは他人のことをよく見ているな」

「ずっとスナイパーをやってるからね。観察眼は長けてるつもり」


 シェナミィは自分の瞳を指差し、ニッカリと笑った。


 

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