第161話 お前は甘すぎ

 ユーリングに奪われたアルティナを取り戻すため、カジは彼らを追う支度を始めていた。

 彼が簡単にアルティナを手離すとは思えない。おそらく強引に引き剥がす形になるだろう。魔族領の混乱を収束させるためにも、師匠マクスウェルのためにも、失敗することは許されない。


 誰か協力してくれる心強い仲間はいないだろうか。

 シェナミィもクリスティーナも、アルティナとはあまり良い思い出はないはずだ。彼女たちに協力を要請するのは少し気が引けたのは確かである。


 夕方、カジはふらりと屋敷を出ると、繁華街へ向かった。日が傾き、そろそろ多くの居酒屋が開店する時刻。


「アイツに頼んでみるか……」


 ギルダにもユーリングを追ってもらうというのはどうだろうか。彼はカジたちと比べてユーリングが警戒しておらず近づきやすい。アルティナもギルダを英雄視しており、険悪な関係には至っていないはず。


 いつも彼が入り浸っているバーを訪ね、店内を見渡した。しかしそこに彼の姿はない。


「すまない、ギルダのヤツを探しに来たのだが……」


 カジは作業中の店員に声をかけると、彼は遠くを指差した。


「彼なら刀を持って向こうの山へ行きましたよ」

「山?」

「あの人、たまにふらりと消えるんですよ。何やってるんだか分かりませんけどね」


 そう言うと店員は再び酒樽をカウンター近くに積む作業に戻る。


「ったく、こんな寒いのに何をしてるんだ」


 結局カジは情報料として銅貨数枚を置いて店を出た。繁華街を吹き抜ける風は氷魔術を浴びたかのように冷たい。

 そのまま店でギルダを待っても良かったが、あんなモンスターも出没する山で彼が何をしているのか興味が湧いていた。


 裏路地を抜けて山へ入る。湿った林道を進んでいくと、ギルダの声が聞こえてきた。息が荒く、何か叫んでいるようだ。


「あれか……」


 カジがそこで見たのは、ギルダが刀を何度も素振りする姿だった。

 ギルダとの付き合いは結構長いが、彼があんな風に太刀筋を鍛えている場面は初めて見る。いつも酒を飲んでばかりの彼が裏で努力をしていたのは意外だ。


「酒に溺れても剣の腕は健在か?」

「敵に命乞いをさせるには、こっちが強いことが前提条件だからな」


 彼は刀を鞘にしまうと、カジに振り返って汗を拭った。


「何をしに来た、クソ野郎」

「アルティナを連れ戻すのを手伝ってほしい。それを依頼しに来た」

「……はっ、あの傲慢エルフに連れ去られたってヤツか?」

「そうだ」


 街中にユーリングを緊急指名手配したという旨のビラが配られており、酒場の席にも置いてあった。マクスウェルが逝去しアルティナが行方不明という情報はギルダにも届いていた。


「何で俺があのジジイの孫なんか助けなきゃいけねぇんだ。そんな義理はねえぞ」

「報酬が欲しいなら、ちゃんと用意する」

「っはぁ? 俺様が報酬だけで動くと思ってんのか? いくら高い金を積まれたってなぁ、嫌いなヤツを助けたりしねえぞ。そういうのは義理堅い良い子ちゃんだけでやってな」

「そうか。悪かったな。他を当たるよ」


 まあ、ギルダはそういうヤツだったな、とカジは踵を返した。捜索に協力してくれる仲間は一人でも多い方が良いと思って誘ってみたが、彼は気分で仕事を選ぶ魔族だからこういう結果は何となく予想はできていた。


 しかし帰ろうとするカジの背後で、刀を抜く音がする。


「カジ、てめぇ、俺様に甘すぎやしねえか?」


 ギルダは刀身をカジの首に当て、小さく首を傾げた。しかしカジは怯む様子もなく、平然と会話を続ける。


「急にどうしたんだ、ギルダ」

「気に入らねえんだよ。昔、お前が可愛がってるシェナミィとかいう冒険者を滅茶苦茶にしてやったのは俺だし、あのクソ王女と戦うように仕向けたのも俺だ。お前の慕ってたシジイと殺し合ったことも覚えているだろ?」

「ああ、そんなこともあったな」

「おまけに、お前の嫌ってる残虐行為ってヤツも、俺様は大好きだ。誰かの怒りや恨みを買おうが、弱いヤツらを痛め付けることが楽しくて仕方ねえんだよ」

「そうだな」

「なのに、どうしてお前は俺様に突っ掛かろうとしないんだ?」

「……俺と喧嘩でもしたいのか?」

「喧嘩したくならねえのか、っていう話だよ。殺しの趣味も女の趣味も合わねえ。加えてダチに嫌がらせをする――もしそんなヤツが俺の身近にいたら、そいつの家に乗り込んで家族ごとズタズタに切り裂いてやるけどな」


 カジに挑発的な行為を仕掛けても、彼は強く反撃をしてこない。いい加減自分がカジの仲間と知っていながらシェナミィを傷付けたことは分かっているはずだ。しかし一向に怒りを直接ぶつけて来ないのが、ギルダにとって不思議だった。


「それはお前も同じだろ。俺やシェナミィが嫌いなら家に直接乗り込んで来ればいいのに、お前は俺との直接対決を避けたがる」


 嫌がらせや罠に嵌めるような真似はされても、直接ギルダと戦いをしたことはなかった。マクスウェルとも斬り合う好戦的な男が、なぜか自分には間接的でしか攻撃してこないのか不思議だった。


「俺と戦うことが怖いわけでもないだろう?」

「良い子ぶりやがって。お前こそ、俺様のことを怖がっているんじゃねえのか?」

「無益な戦いをしたくないだけだ」

「だったら俺様のことは徹底的に無視すりゃいいのによぉ」


 結局ギルダと殴り合いをしたところで、得るものが少なく、損害と釣り合わない。だからお互いに意見が一致せずとも水に流してきた、というのがカジとギルダの関係である。


「ひとつ質問をいいか?」

「逐一質問をするのに許可を求めるのか? そういうところが良い子ぶってんだよ」


 そうかもな、とカジは笑ってみせる。

 確かに質問なんていきなりぶつけてしまえばいいのに、どうしてかそういう尋ね方をしてしまった。


「どうしてお前は人間族をそこまで斬ろうとするんだ?」

「こんな世の中に産み落とされた怒り……って言ってもお前は分からねえだろうな」

「意外と哲学みたいなことを言うんだな、お前」

「そんな大したもんじゃねえよ。俺の親父は熱心な宗教家でな、絵に描いたような善人だった。嘘は吐くな、他人は傷付けるな、酒は飲むな、宗主様の教えってヤツを口酸っぱく言ってくるんだよ」


 ギルダの身の上話は初耳だ。長い付き合いがあっても、聞いたことがない。

 彼の過去に関しては様々な噂が流れていた。世界で名を馳せる海賊団の団長の息子だとか、人間族に村を焼き払われた恨みであそこまで残虐になったとか。誰も恐ろしくて尋ねることができなかったが。


「だが、ガキってのは育てたようには育っても、育てたいようには育たねえんだなこれが。あまりに厳しくてしつこいから、とうとう嫌気が差して俺は家を出た。その後、いつも俺をからかってきてたガキ大将をボコボコにして、背中にナイフでクソ野郎って彫ってやった。それを肴にしたら美味かったな」

「なかなかすごい子ども時代だな」

「正々堂々なんて疲れるだけなんだよ。法だの思いやりだのはクソ食らえだ。そんなものを美徳にしているヤツらの気持ちが分からん。お前も少しくらい気に入らないヤツをグチャグチャにしてみたらどうだ?」


 要するに、父親の敷いたレールをどこまでも脱線したのが、今のギルダということらしい。


「ついでに、お前も教えろよ。俺様に甘い理由をな」

「俺はそんなに甘いか?」

「じゃなきゃ酒を奢ったりしないだろ?」


 ギルダはゆっくり刀を鞘に戻した。カジは目を閉じ、ギルダを戦士として意識するようになった当時のことを思い出す。


「昔の戦争で、兵を送り出した村がお前にいくつも全滅させられたらしいな」

「何だよ? 俺様を咎めるつもりか?」

「いや。その影響で多くの集落が守りが手薄になるのを恐れて出兵を拒んだ。王国は思い通りに兵を徴集できなかったらしい。最終的に前線の維持に苦労し、魔族は王国の侵略を防いだ。お前のやり方を肯定も否定もしないが、お前のおかげで多くの仲間が救われたのは事実だ」

「それが、お前が俺様に甘い理由か?」


 住民を皆殺しにして金品を奪う――ギルダの行動はあまり褒められたものではないが、そのおかげでカジの所属していた防衛隊が助けられたこともあり、複雑な心境を抱えていた。


「だが、お前のやり方は必要以上に恨みを買う。どこぞの元王女みたいにな」

「クヒヒッ、恨まれるのが恐くて殺しをやってられるかよ」

「そろそろ行くよ。別のヤツに声をかける」

「ま、せいぜい頑張るんだな」


 相手の感情や命に対して無神経なところは、周囲の顔色を窺いながら育ってきたカジにとって羨ましいところでもある。

 しかし自分も彼のような性格だったら、シェナミィやクリスティーナとの関係は築けていなかった。





     * * *


「ただいま」

「おかえり」


 家に戻ると、仲間が優しく出迎えてくれる。そんな光景にカジはホッとため息を吐いた。

 やはりギルダの真似はできないな。

 カジはクリスティーナとの愛を確かめるように、彼女と軽くキスをした。

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