第162話 緑の大地

 森人族エルフのユーリングが魔族領から行方を眩ませてから数日。彼の憎む王国内は状況が一変していた。王都と地方を結ぶ中規模な都市が次々にユーリング率いる軍勢に襲われ、今や森林の中に佇む廃墟と化しているという情報が諜報部から寄せられた。


 魔族に王国内の地理について詳しい者は少ない。かつて王国を縦横無尽に荒し回っていたギルダなら熟知していたかもしれないが、手を貸してくれなかったのは少し惜しい気もする。

 彼を見つけてアルティナを取り返し、マクスウェルを手にかけた罪を問いたださなければ。


 その翌朝、カジはラフィルと共に人間族の収容施設に向かった。鉄格子に囲まれた物々しい雰囲気の建造物。施設の長官に出迎えられ、彼らは巨大な門の前に止められる。


「朝早くからお疲れ様です。どういったご用件でしょうか?」

「こちらに引き渡して欲しい囚人がいる」


 ラフィルは許可証を提示し、鉄のゲートを開けてもらった。

 以前ユーリングが多くの人間族を何やら魔術の実験台に使ったらしく、長らく多くの部屋が空になっていた。しかし先日ジュリウスを救出した際に多くの冒険者を捕らえており、現在は人相の悪い男たちで埋められている。


「前に来たときよりも囚人が殺気立っている気がする……」

「優秀な拷問官が抜けてしまいましたからね。ヤツら、生意気になっているんですよ」

「泣く子も黙るギルダ様……か」

「黙るどころか、あんなのに拷問されたら大人だって泣き出しますよ」


 ピリピリした空気の中、カジにとある檻の前で立ち止まった。


「体調はどうだ、ロベルト」


 簡易ベッドに寝転ぶ大男――ロベルト。彼はゆっくり立ち上がると、檻越しにカジと向かい合った。他の囚人と比べて態度こそ大人しいが、彼の瞳の奥はカジへの敵意に満ち溢れているように見える。


「こんな男だらけでむさ苦しい場所に何の用だ?」

「お前に命令だ。ある任務に同行してもらう。主な内容は王国内の案内だ」

「まさか、王国に入るのか?」

「ああ。ユーリングという魔術師を追っている。数時間前、お前の出身地付近で目撃されたという情報を入手した。他にその辺に詳しい仲間がいなくてな……」

「なるほど……」


 ロベルトは俯いてため息を吐くと、どっかりとベッドに座り込んだ。


「どうせ某に拒否権なんてないのだろ?」

「消極的と見える」

「これまでの経緯を考えれば当然だろう。某を何度も襲った魔族を故郷へ案内するんだぞ? 誰が嬉しくてそんなことをするんだ」

「まあ、それもそうか」


 ロベルトの態度など構わず、管理担当者は牢屋の鍵を外し始めていた。


「お前に一つだけ朗報がある」

「何だ、それは」

「シェナミィも来る」


 その言葉を聞いた瞬間、ロベルトは目を見開いて立ち上がった。心拍数が上がり、一気に気分が高揚したのが分かる。


「えっ――」

「本当にアイツのこと好きなんだな、お前……」






     * * *


 出発はすぐだった。

 案内役として、クリスティーナとシェナミィ、それから囚人として捕らえられていたロベルトを連れてきた。ロベルトには今も奴隷用の首輪が着けられ、カジの命令通り動くようなっている。


 王国内に忍び込みユーリングの目撃地点に向かう中、カジは彼がすでに襲撃した都市の中を通った。


「これは凄いな……」


 地図によれば、今立っているこの場所には王国内で有名な商業都市が広がっているはずなのだが。


 街のシンボルだった冒険者組合の集会所が、見上げるほど巨大な根に飲み込まれている。踊り子の活動が盛んだったと言われている広場は、噴水が壊れたのか池になっていた。すでに大小のモンスターが新たな住み処を求めて入り込んでおり、カジたちは茂みに息を潜める。


「この場所、田舎暮らしだった私から見て、憧れの都会だったんだけどな……」


 シェナミィがポツリと呟く。


 ユーリングがこの都市を襲撃してからそんなに時間は流れていないはずだが、まるで数十年経過した廃墟のようだ。緑が人間族の文明を押し潰し、人々は花となって風に揺られている。


「この森が、種子から作られたのか……」


 クリスティーナは巨木の根に手を触れ、枝が伸びる先を見上げた。

 ユーリングに魔力を極限まで高められ、体内で形成された魔力の結晶。あの物体が人々をこんな目に遭わせていると思うと、クリスティーナの胸が痛んだ。


「あの種を作らせたのも使ったのもユーリングだ。ティーのせいじゃない」

「そうかもしれんが、悔しいのだ、私は」


 あのとき心に刻まれた傷はなかなか消えない。胸の奥のモヤモヤを晴らすためにも、ユーリングを見つけ次第止めなければ。後悔と恨みの念が彼女を突き動かす。


 アリサとプラリムは屋敷に残ることになった。今もハワドマンに狙われるのが恐いらしい。

 確かに王国へ踏み入る以上、ハワドマンと遭遇するリスクがある。


「さて、ハワドマンは動くかな……?」

「リミルの動向も分からんな」


 王国が崩壊するということは、ハワドマンが生き甲斐としている精霊紋章のコレクションをやりづらくなる、ということだ。ユーリングに王国の支配権を握られれば、ギフテッドを求めて悪事を働くのに苦労する。


 リミルという新国王も、王国を乗っ取った直後にこんな災害に遭っては堪ったものではないだろう。せっかく手に入れた国を簡単に潰されたくはないはずだ。


 彼らとユーリングが本格的に対決する未来は、きっとそう遠くない。そうなる前にアルティナを連れ戻せれば良いのだが。


 そのとき、双眼鏡を覗いていたシェナミィが遠くに人影を見つけ、声を上げた。


「向こうに騎士たちが来てるね」

「きっと王国軍の調査団だ。見つかる前に離れるぞ」


 茂みの陰に隠れながら、カジたちはその場を離れ始める。

 そのときロベルトの目は、カジとクリスティーナが手を繋ぎながら歩くのを見逃さなかった。


「なぁ、シェナミィ殿?」

「何?」

「あの二人は、できているのか?」

「できてるよ。子どもはできてないけど」

「ええっ!」


 元王女が魔族と恋人同士になっていた――ロベルトは思わず声を上げてしまった。クリスティーナは強い男性が好きだという話は聞いたことがあるが、まさか魔族の男と付き合うとは思えなかった。


 では、シェナミィとカジの関係はどうなったのか?


「シェナミィ殿は、その、捨てられたのか?」

「いや、違うから! 元々そういう関係でもないから! 友達だから!」


 全然誤解が解けてないではないか。

 今もカジの性奴隷と思われていることに、シェナミィは頭を抱える。誰がそういう嘘を吹き込んだのか分からないが、その思い込みのせいで心の距離が縮まらない。


「私、恋人なんていないよ? もちろん、奴隷みたいに扱うマスターもね」

「えっ。じゃあ――」

「あなたの恋人になること、考えてもいいよ?」


 シェナミィはロベルトの耳元で囁いた。彼の顔は一瞬にして湯で上がり、過呼吸気味になる。


 カジたちは森林を離れ、ユーリングを追うためにさらに王都圏へ足を踏み入れた。

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