第148話 禁書

 ある夜、ジュリウスは寝室を抜け出すと、謁見の間に向かった。王家の紋章が描かれた大きなタペストリをめくると、そこに石壁に偽装された隠し扉があった。

 ジュリウスは手をかざし、魔法陣を浮かび上がらせると、扉のロックを解除するために血印を示した。


「なぜリミルが紋章移植を……」


 かつて王家が禁忌に定めた紋章移植の方法は情報統制されており、記された書物は一般に出回っていない。そうした本は法令で禁書に指定され、見つけ次第没収し、焼却する対象になっている。ただし、の話だが。


 回収し切れなかった禁書をリミルがどこかで見つけて移植を実行している可能性や、禁書なしで手探りで方法を探っている可能性もあるが、まずジュリウスは彼が王城の保管庫に侵入した可能性を疑った。


 保管庫に入るためには王族の血印が必要であり、リミルは入室できないはずだが、万が一のことを考え、確認に至ったのだ。


 ジュリウスは地下へ繋がる石の階段を下りていく。

 保管庫の闇の中、ランプに照らされたのは禁書を保管する巨大な本棚。倫理的に問題のある生命実験などを記した本や、表に出せない暗殺の指示書などが並んでいる。


「特に、盗まれた形跡はない……か」


 本棚に浮かぶ魔法陣に記された閲覧記録を見ても、部外者が侵入した形跡は見当たらなかった。彼は王家に血縁関係もなく、血印を使えない。そうなると、リミルは何か別の手段で禁書の内容を入手したのだろうか。

 ジュリウスの知る限り、存命中の人物でこの部屋に入れるのは、自分とクリスティーナだけだ。


「まさか、姉上が禁書の内容を漏らした? いや、それはさすがにないか……」


 クリスティーナは恩師を魔族に殺害されており、復讐のために紋章移植に手を染めた可能性は捨てきれない。

 しかし、国民の命を守ることに尽力していた彼女が、仲間の命を奪う手段を使うとは考えにくい。


「それにしても、昔の人間はよく紋章を移植するなんていう発想ができたものだな……」


 かつて紋章移植を技術として確立するために実験を盛んに行っていた時代があった。そのために多くのギフテッドの命が奪われたという。


 ジュリウスは分厚い書物に手を伸ばし、パラパラとページをめくった。


「これは……」


 そこに記してあったのは、移植の実験記録だった。紋章を取ってから死亡するまでの様子や、移植失敗時に起きる体調の変化など、その内容は吐き気を催すほど克明に記録されている。

 さらに驚くべきは、その実験回数だった。


「一体、何人殺しているんだ、こいつは……!」


 少なくとも数百ものペアに移植手術を行っている。つまり、それだけ死者が出ているということだ。大虐殺と言えるレベルの惨事に、ジュリウスの本を掴む手が震える。

 ジュリウスは主要なページを読み終えると、著者名を確認した。


「馬鹿な……!」


 ジュリウスは急いで本を閉じ、棚に戻す。

 本棚の横には、王国の創始者であるバルザノフ・エルケストの肖像画が飾られていた。鷹のように鋭く描かれた目が、こちらを睨んでいるようで不安になる。


「我ら王族の先祖が……こんな悪魔だったとは」


 紋章移植の書物の著者は、バルザノフ・エルケスト。

 バルザノフの罪を隠すため、後代の王族は広まってしまった紋章移植を禁忌と定めて取り締まりを始めた――というのが真実らしい。


「あなたに向けられるべき疑惑が、今頃になって私に向けられるとは……何という因果だ……」


 もしかすると、これは王族に定められた運命なのかもしれない。

 国民の間に広がる紋章移植の噂が王族をどんな結末に導くのか、ジュリウスは不安を抱えながら禁書棚を後にした。




     * * *


 ジュリウスが寝室に戻ると、天蓋付きベッドの手前で一人の若い女性が待ち構えていた。ネグリジェ姿、ロングヘアで可愛らしい顔立ちをしている。彼女は貴族の娘で、ラナという名だった。


「ジュリウス様、どちらにいらしたのですか?」

「少し書斎にな」


 ジュリウスは彼女を抱き締めると、そのままベッドに押し倒す。彼女の口元に唇を押し当てると、それに応えるように唾液とともに舌が返ってくる。


「ジュリウス様。今夜は積極的ですね」

「ラナの方こそ……」

「だって、私はジュリウス様の婚約者ですから」


 それからの二人は激しかった。長い交際期間を経て結ばれる喜びに身を任せ、人間族の本能を披露し合う。


 そして、互いに疲れを感じ始めた頃、ふとラナは彼へ質問を投げ掛けた。


「ジュリウス様、姉上を処刑されようとした件、本当によろしかったのですか?」


 その言葉に、ジュリウスの動きが止まる。

 ラナもジュリウスも、クリスティーナの行方は気がかりだった。もしあれだけの強さを持つ戦士が魔族に加担したら、大きな損害は避けられないだろう。


「またその話か」

「だって、クリスティーナ様は血の繋がった本当の姉弟ではありませんか」


 ジュリウスは彼女から体を離すと、横へ転がって仰向けになった。天蓋に向けて深く息を吐き、疲れを癒やそうと、ゆっくりと目を閉じる。


「ギルダの生存が露呈したおかげで、市民の間で姉上に落胆した声があったのは確かだ。法螺吹きなど国王の座にいるべきではないとな」

「あなたとクリスティーナ様は仲が良かったのに……いつも庭園で水遊びをされて……」


 ラナは王族と幼少期から交友があり、クリスティーナとジュリウスが一緒にいる場面を何度も見ていた。一緒に魔術を勉強したり、庭園の草花を手入れしたり、あれだけ仲が良さそうに見えたのに彼が姉を指名手配にしたことが不思議で仕方なかった。


「昔の話だ。姉上はギルダと出会ってから人が変わってしまったよ。病や不安を抱える両親を無視して剣の修行に走り、戦場に出ていった。姉上を守るために、多くの部下が犠牲になった。それはラナも知っているだろう?」

「ええ……」


 ラナもその頃からクリスティーナを見る機会が減ったのを覚えている。先先代の国王は心臓を悪くし、王妃は精神を患っていたという。

 クリスティーナが戦場から戻ってきたのは、国王の葬式の時だった。前の国王は最も愛情を注いできた愛娘に看取られずに死んだのだ。


「私はあの頃から、姉上の言動に対して怒りを覚えるようになっていった。王族ならあんな無鉄砲な行いは慎むべきだとな。姉上に国の舵取りをさせるのは危険すぎる」


 あのような現場主義の王女に国を任せるのはどうか、という意見が貴族内であったのは事実である。国民からの人気は高くても、うまく政府が機能しなくなることを皆恐れていた。


「だが、姉上はようやくこの国から消えてくれた。清々する。亜人種を孕んだのも自業自得だ。私なら、姉上のような危うい真似はしない。わざわざ戦場に出なくとも、民を守る方法なら沢山ある」

「ええ、そうですね……」

「一緒に新たな時代を作っていこう、ラナ」

「はい、ジュリウス様……」


 クリスティーナとは違う方法で、この国を発展させる。


 ベッドの上で二人の愛は再燃し、王国を次の世代へ繋げるため、男女の夜を続けた。

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