第123話 守りたい、守られたい
その頃、魔族領の収容施設では長時間に渡るロベルトの取調べが続けられていた。小さな机にラフィルとロベルトが向かい合い、シェナミィと記録係がその様子を見守る。
「随分とあっさり情報を寄越すんだな」
「別に、ヤツとはそれほど仲がいいわけではない。某が作戦に加わった理由は、シェナミィ殿を王国に連れ戻したかっただけだからな」
「これだから金で動く冒険者は……」
ラフィルは机上に広げていた調査資料を閉じた。
普段なら暴力的な手段を用いて拷問と変わらない取調べを行うことも珍しくないのだが、スムーズに進んでいたためにそれは避けられていた。それに、すぐ隣にシェナミィの目もあり、何か暴力的な事態が発生すれば確実に彼女が介入してくる。面倒な仕事を増やさないためにも、冷静に進めた方が良いだろう。
「今回の取調べはこれくらいで終わる」
「そうか……」
「貴様にはまだしばらくここにいてもらう。いいな?」
「ああ……」
今回の取調べでハワドマンや王国上層部の動きが判明した。ラフィルは立ち上がり、資料を持って取調べ室を出ようとする。
そのとき、ロベルトは机に身を乗り出し、シェナミィの方へ顔を向けた。
「最後に、某からシェナミィ殿に言いたいことがあるんだ」
「私に?」
「どうしてシェナミィ殿は自分の意思でカジの傍にいるんだ? 某と一緒に、王国で暮らして欲しい。そうすれば今もよりも平穏な生活が――」
プロポーズとも受け取れる発言に、シェナミィの胸はきゅうと締め付けられる。
こんなに愛されているのに、私はそれに応えることができない。
「私のこと、守ろうとしてくれるのは嬉しいよ。でも、あなたの愛は受け入れられない」
「えっ、何故……」
「ロベルトさんは自分たちだけが平和ならそれでいいの? 今、この世界はまだ大きな戦乱の中にある。私は誰かに悲劇を見せたくないし、起こさせたくもない。例えそれが誰かの邪魔になったとしても、私は争いを止めさせたいの」
そう言って部屋を出て行く彼女を、ラフィルもロベルトも見つめていた。いつもより肩が上がり、踏み出す力が強い。彼女の決意は固そうで、呼び止めて説得しても無駄だろう。廊下に響く彼女の靴音が聞こえなくなるのを、しばらく二人は待っていた。
「あんなじゃじゃ馬のどこが良いんだ、お前……」
「某は彼女に一目惚れしたんだ。魔族には彼女の魅力が分からないのか」
「ああ。人間族ってのは分からんな……」
ラフィルは彼女が消えていった方角を向きながら首を傾げる。
シェナミィは人間族の中でも、より多くの異性を惹き付けられる存在なのだろうか――そんなことをラフィルは思った。
* * *
夕方――。
カジの家でも、とある変化が起きようとしていた。
「ほら、約束通り料理を教えなきゃな。定番家庭料理の作り方くらい知らないと、共同生活に支障が出る」
「えぇ……い、今からか?」
「じっくり定番料理を教えるってのは、平和なときにしかできないからな」
裏庭で丸太の素振りをしていたクリスティーナの腕を掴み、カジは彼女をキッチンまで連行した。キッチンに並ぶ食材や調理器具を前に、クリスティーナは頬を引きつらせる。
「今晩はセリカッチェでも作ろうかと思って、具材を揃えておいた」
「せ、セリカッチェ?」
「肉と野菜を煮込んだ料理だ。王国でも農民がよく食べる定番料理だと聞いたが、知らないのか?」
「も、もちろん知っているぞ! 門下生のとき、食べたことがある……多分あれだな!」
クリスティーナは近くにかけてあったピンク色のエプロンを手に取り、紐をきつく結んだ。
戦地や王城にいた頃はエプロンを着ける機会などなかったが、もし今後カジと結婚でもしたら何度も着用することになるのだろうか。
先日キスをしてから、頻繁にカジとの交際について考えるようになってしまった。さすがにあの接吻は関係を先走り過ぎた気もする。
クリスティーナはふと壁際の鏡に反射する自分を見た。髪を結い、エプロンをかけた姿は、本当に新妻のようだ。
「ほら、ボーッとしてないで具材を食べやすい大きさに切ってくれ」
「あ、ああ。そうだな……」
しかしクリスティーナによる具材の切り方は滅茶苦茶で、明らかに細かくし過ぎだ。力加減も間違えており、まな板や指まで切断しそうになる。
「ひ、酷い……お前を見ていると、幼い頃の調理学習の大切さが嫌というほど分かる」
「くっ……いつの日か見返してやるからな!」
「本当に負けず嫌いだな、クリスティーナは」
それからしばらくの間、カジはキッチンで悪戦苦闘する彼女の姿をぼんやりと眺めていた。エプロンをかけて調理する様子は、まるで家事に励む新妻のようだ。彼女の凛とした横顔を見つめる。
もし今後クリスティーナと結婚したら、こんな光景が待ち受けているのだろうか。
ふとした瞬間に、彼女からキスされた夜のことを思い出してしまう。あれから彼女との将来や今後の関係をかなり意識するようになった。
ただ、カジもクリスティーナもキスのことは恥ずかしく思っており、口に出して振り返るようなことはしないが。
「なぁ、カジ?」
「ん?」
「どうしたんだ、ボーッとして。この次はどうすればいいのか教えてくれ」
「あ、ああ……そこの皿に用意した具材を鍋に――」
そのとき――。
「たっだいまぁ~」
勢いよく玄関の扉が開き、シェナミィが帰宅した。ニコニコ微笑みながらキッチンに向かい、調理中のカジたちと対面する。
「お、おかえり、シェナミィ。あの男から巧く情報を引き出せたか?」
「うん。カイトに移植されてた精霊紋章は、国中の刑務所に収監されていたギフテッドから集められたみたい。ハワドマンがそう言ってた、って」
「刑務所に命令を下せるということは、つまりハワドマンは確実に王国の上層部と蜜月っていうことか」
その報告にクリスティーナは顔をしかめた。顎を引き、深く考え込むような仕草をしながらシェナミィの言葉に耳を傾ける。
「クリスティーナさん、何か気になることでもありましたか?」
「本当に、弟は精霊紋章の移植を認めたのか、少し疑問なんだ」
「弟……ジュリウスのことですね」
クリスティーナは額に手を当て、物憂げな表情を見せた。
「せっかく政権を握れたのに、そんな危険なスキャンダルを犯すかな……って」
「確かに、情報漏洩でも起きたら全部が水の泡になりかねないな」
いくら王族と言えど、国民の許容には限界があることくらいジュリウスも分かっているだろう。精霊紋章移植を密かに承認しているとなれば、ジュリウスは窮地に立たされるはずだ。
「ハワドマンを政府内に手引きした者の名は分かったのか?」
「いえ、それはロベルトさんも知らないようです」
「つまり真の黒幕はジュリウスとも限らない――ということか」
頷くクリスティーナに、カジはどこか違和感を覚えた。まるで、ハワドマンを仕向けた黒幕の正体がジュリウスでないことを祈っているようにも見える。
「黒幕が弟かどうか心配しているのか?」
「少し……気になることがあるだけだ」
「っていうか、どうしてお前とジュリウスはそんなに仲が悪いんだよ」
「色々あるんだ、アイツとは……」
クリスティーナは踵を返し、キッチンへ戻っていく。その日、彼女はジュリウスのことについてそれ以上話したがらなかった。
* * *
夕食を済ませ、シェナミィとクリスティーナは同じベッドで横になった。カジが離れ、ようやく女子同士の本音を話せる時間。薄暗い部屋の中、シェナミィはクリスティーナの腕を抱き、息がかかるほどに顔を近づける。
「クリスティーナさん?」
「どうした?」
「私がいない間、カジとの関係は何か発展しましたか?」
「うぅっ……!」
シェナミィの興味津々な瞳に、思わずクリスティーナは目を逸らした。シェナミィは恋愛的な話題にグイグイ首を突っ込んでくる。これまで王女という立場的に自由恋愛を封じられてきたクリスティーナにとって、なかなか踏み込みづらい内容であった。
「やっぱ、クリスティーナさんって恋愛に疎いですよね」
「い、言わんでくれ……」
「それで、今日はカジと何してましたか?」
「料理を、教えてもらっただけだ……」
告白もせずに勢いでキスをしてしまったことは、さすがに恥ずかしくて伏せておいた。もし接吻を交わした事実を知ったら、シェナミィはさらにテンションを上げて根掘り葉掘り聞いてくるだろう。
「と言っても、調味料やスパイスの名前も覚えられてないんだがな」
「ええっ、まだそのレベルなんですか?」
「自分がこんなにも調理が下手だと思い知らされるなんてな……ふふっ」
クリスティーナは自嘲気味に笑い、天井を見つめた。
「ただ、ああやってカジの傍にいると、守られているようで安心する……」
「それ、何か分かるような気がします」
「師匠を亡くしてから、私はずっと仲間を守るために戦ってきた。だから誰かに守ってもらうなんて
師匠を殺害されてから、今度は自分が誰かを守る番だと心に誓い、先頭に立って剣を振るってきた。守られているような感覚に包まれたのは、自分の初恋相手である師匠と接しているとき以来だ。
「まだ自分にも、誰かに守られたい願望が残っていたのかもしれん……」
「それでいいと思いますよ。誰かに守ってもらえるって、嬉しいことですから」
シェナミィは自分を好いて守ろうとするロベルトのことを思い出していた。自分を王国へ連れ戻そうとしていたのも、「守りたい」という一種の表現だったのだろうか。
そんなことを考えながら、シェナミィたちは目を閉じた。
* * *
同時刻、カジもベッドに横たわって体を休めていた。
「クリスティーナ……」
眠りたくても眠れない。昨夜の出来事が何度も脳裏に再現される。
突然クリスティーナからされたキス。体を包み、唾液と共に口の中へ入り込んでくる魔力。ふにふにと柔らかい頬と唇の感触。
あんな刺激、普通の魔族や人間族と恋愛をしていても味わうことはできないだろう。思い出す度に心臓が高鳴り、息が止まりそうになる。
「『裏切らないでほしい』……か」
そのとき、カジは門前に立ち尽くす異様な気配を察知した。敵意までは感じないが、その不気味さにベッドから飛び起きて身構える。
「この気配は……アイツか」
その禍々しさからして、ギルダが持っていた藍燕という妖刀に間違いない。
カジは急いで階段を降りて玄関を開け、庭の向こうにギルダの姿を認めた。暗闇の中、街灯に照らされながらポツンと立ち、こちらを見つめ返す。彼の目はくすんだ水晶玉のように生気が感じられず、まるで屍のようだった。
「お前……ギルダじゃないな?」
「……シェナミィはどこだ?」
鼓膜を痺れさせるほど殺意の篭った声がカジに届いた。
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