第119話 打ち砕かれる期待
アリサはプラリムを抱えたまま路地裏を抜け、大通りに向かって走る。
「どこだ、どこにいった……!」
背後にハワドマンの追ってきている気配がする。アリサが持つサラマンダーの精霊紋章を求め、分かれ道の多い路地裏を彷徨っているようだ。幸い、この街に住み続けていたアリサたちの方が土地勘があり、不定期に何度か訪れただけのハワドマンにはそれがなかった。
ようやく大通りに出ることができた。いつもと変わらぬ人々の往来に安堵し、乱れていた呼吸を整える。
さすがにここまで来ればハワドマンも派手には暴れられまい。
もう少し進んだところに国家騎士団の駐在所がある。そこへ逃げ込めば一安心だ。
「アリサさん、早く騎士団駐在所に……」
プラリムがそこへ逃げ込もうと促すも、アリサの足は進まない。
「待って。嫌な予感がする……」
騎士団が助けてくれることに期待を寄せる一方、アリサの胸には大きな不安が澱んでいた。
カイトに精霊紋章と獅子鬼を譲渡して魔族領を襲撃させたのは武器商人ドレイク――ハワドマンだ。
では、そもそもなぜハワドマンは魔族領を襲撃しようと思ったのか。
カイトの目的はクリスティーナの逮捕だったように思えたが、事件の裏では王国が絡んでいるような気がしてならない。
「アタシ、ハワドマンと王国が裏で繋がっているような気がする」
「お、王国が?」
「だって、
「まさか王国がハワドマンに襲撃を依頼したんですか?」
「高い金を払っても、依頼する価値はあると思う」
駐在所の前に立つ騎士の動きが慌しい。
「東区の宿屋『銀鯨館』にて身元不明の死体が発見された! 直ちに現場を保存し、周辺住民に聞き込みをしろ!」
「了解」
装備を整えた騎士たちが一斉にプラリムの宿屋の方向へ走っていく。おそらく宿屋での異変を誰かが通報したのだろう。
そんな中、若い男性の騎士が駐在所に留まり、現場へ向かっていく仲間を側近と共に見送っていた。
あれは……勇傑騎士団長のリミルか。
アリサは彼の姿を認めると、近くの物陰に潜んで彼らの会話に聞き耳を立てた。
「また例の外科医が事件を起こしたようですね、リミル団長」
「まったく困ったものだ。火消しに追われるこちらの身にもなってほしい」
「見つかった死体には骨すらも灰になっている部分があって、通常の炎魔術では再現不可能です。あんな殺し方ができるのはヤツだけですよ」
改めて死体の状態を聞いて、アリサの胸は締め付けられた。
これまで何度も世話になったルファを、ちゃんと弔うこともできない。あんなに働き者で優しかった娘があんな殺され方をするなんて信じられなかった。
それに加え、彼らの口から出た言葉にも驚いた。「火消し」――一体どういう意味だろうか。
「ジュリウス様の命令では『先生が力を蓄える時期だから邪魔するな』とのことです」
「ハワドマンを放置しろと?」
「私も不本意ですが、仕方ありません。まったく何を考えているのでしょうね、ジュリウス様は」
やはり王国とハワドマンは繋がっていたのだ。しかもそれをジュリウスが承認している。
このまま国家騎士に助けを求めたら、自分たちはどうなるのだろうか。
アリサはそこまで立ち聞きすると、足音を立てぬようゆっくり踵を返した。
* * *
ハワドマンが宿屋を襲撃してから一夜明けた。
アリサとプラリムは街近くの農場にある藁小屋の中で目を覚ました。ハワドマンから逃れるため、その中に身を隠したのだ。数頭の家畜がこちらを不思議そうに見つめている。
「うぅ……おはよ……」
「……」
アリサがプラリムに声をかけても、彼女は返事をしなかった。心身ともに疲れ果てている。プラリムは虚ろな瞳で地面をぼんやりと眺めていた。昨夜、妹が殺されてしまったという現実をまだ受け止められないようだ。
「ほら、どこかに逃げよう?」
「……」
アリサは彼女と向かい合い、衣服に付着した藁を手で払った。
「アタシ、非常食のビスケットを持ってたんだけど、食べる?」
「……」
アリサはポケットから携帯食料を取り出した。遭難したときに備え、多くの冒険者が持ち歩いている物だ。アリサはそれを半分に割り、片方をプラリムに差し出す。
「はい。半分あげるから……」
「……」
「食べてよ……プラリム……」
プラリムは何もアクションを起こさなかった。
* * *
最早プラリムは歩く屍と化していた。アリサがその手を引いて歩かなければ彼女は動いてくれない。思考は完全に停止し、言葉すら発することがない。
そんな状態のプラリムを連れたままの逃避行は続いた。自分はいつまで逃げなければいけないのだろうか。日常を取り戻すにはハワドマンを倒さなければならないのだろうか――そんな疑問が頭の中で何度もループする。
山に拓かれた街道を徒歩で進み、あの慣れ親しんだ街からとにかく距離を取った。時折振り返り、尾行している人物がいないことを確認する。あの神出鬼没な武器商人が近くに潜んでいるような気がして恐かった。
「今日はここに泊まろうか?」
アリサたちが辿り着いたのは山間にある農村だ。旅人向けに宿泊事業も展開されており、アリサは宿屋の扉を叩いた。
「いらっしゃい」
「すいません。二人分、部屋は空いてますか?」
「ええ。大丈夫ですよ」
「良かった……」
プラリムが結界を張ることもできない状態で野宿することは危険だった。侵入者を阻むこともできず、夜盗やモンスターに遭遇する可能性が高まる。日が暮れる前に宿を確保できたのは幸運だった。
「お連れ様がかなり疲れている様子ですが、大丈夫ですか?」
「ええ。結構歩いたものですから……」
部屋へ案内されたアリサはプラリムをベッドに寝かせ、いつでも追っ手に対応できるよう自分の杖を傍に立てかける。
「ほらプラリム、夕食よ?」
「……」
宿屋の女将さんが部屋に運んで来たスープを、スプーンでプラリムに一口ずつ飲ませる。
いつまでもこんな逃亡生活を続けるわけにはいかない。近いうちに自分にも精神的身体的限界が来る。どこかに王国やハワドマンの手が及びにくい場所はないだろうか。
そんなことを考えているうちに、アリサはふと思い出した。
「魔族領……」
数日前、カジと会ったときに言っていた。「ハワドマンの情報を持っているなら、魔族領で保護してやる」と。
あの言葉が本当ならば、魔族領へ逃げることができる。しかし、もし嘘だとしたら――。
「王国も地獄、魔族領も地獄か……」
そのとき廊下がドタドタと騒がしくなる。いきなり扉が開かれ、宿屋の主人が大声を上げた。
「おい! 起きているか!」
「ど、どうしたんですか急に……」
「魔族だよ! 魔族が近くの結界を破って、この村を焼き払いに来やがったんだ!」
「そんな……!」
宿屋の主人はその手に剣を握っており、魔族と戦う準備を整えていた。アリサも彼に続いて杖を取り、プラリムに微笑みかける。
「すぐ戻ってくるから……」
「……」
室内に微かに漂う灰。表へ出てみるとすでに炎魔術で火が放たれ、家々が燃えていた。屋内から子どもを抱えた村民が飛び出し、熱気の中で右往左往としている。
闇と黒煙に紛れてうっすら見えるのは魔族の大群だ。雑多で統一されていない装備品からして正規の部隊ではないだろう。山賊や傭兵を寄せ集めたような印象を受ける。
「さぁ行け、お前ら! しくじったら承知しねえぞッ!」
村に轟く魔族の怒号。聞き覚えのある野太い声に、アリサは目を凝らした。
「まさかアイツは……!」
大勢の魔族を率いていたのは、刀を抜いたギルダだった。昂った闘志が目を赤く輝かせる。
「やっぱり魔族も信用ならないってことね!」
アリサも杖を構え、ギルダと対峙する覚悟を決めた。
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