第5章 エルフの魔術師

第13節 ザンバ

第116話 寿命は長くとも気は短いエルフ

 その頃、ギルダは森林の奥深くに構えたアジトで、奇妙な夢にうなされていた。

 田舎の小さな村。目の前で、一人の人間族の少女が草原を走り回っている。あるときは一緒に食事をして、徐々に成長し、やがて彼女は思春期まで育った。


 どこかで見覚えがあるぞ。

 ああ、あのシェナミィとかいう女か。

 どうして俺の夢に、いつもこいつが出てくるんだ。




     * * *


 その夢は、最後に割れたガラスのように世界が崩壊して終了する。現実に戻ると視界は明るくなり、ギルダは目を覚ました。アジトとして使っている洞窟に、柔らかな朝陽が差し込んでいた。


「チッ……またあの夢か」


 この夢を見たのは、これが最初ではない。最近、夢の中にシェナミィらしき少女が頻繁に出現する。自分の嫌いな人間族と一緒に生活する夢なんて、見ていて気分が悪い。


 一体、どうしてこんな夢ばかり見るのだろうか。


 思い当たる原因は、自分の傍らに置かれた禍々しい魔剣――藍燕だ。所有者の精神を侵食し、心身共に大きな影響を及ぼす力を持つ、魔族の中でもギルダにしか扱えない代物――それが何らかの変化を起こしているとしか思えなかった。


「どうなってんだ、こいつ……あの女を斬ってから」


 シェナミィの夢を見るようになったのは一ヵ月ほど前――カジのキャンプで彼女を斬ったときからだ。最初は見る頻度が少なく、気にも留めていなかったが、徐々にその頻度が増してきた。ここのところ、毎日だ。


 前回、体が勝手に動いてクリスティーナやシェナミィを助けたこともあり、ギルダは魔剣「藍燕」に怒りすら覚えるようになっていた。このままでは、自分はどうかなってしまいそうだ。一刻も早く、この現象を抑える方法を見つけなければ。


「アイツに相談するしかねぇか……」


 ギルダはベッドから立ち上がると、床に散らばった酒の空瓶を蹴散らして洞窟を出た。





     * * *


 ギルダが向かったのは、魔族領の大きな街。

 その外れにある小さな工房。赤、黄、紫、青――多くの花々に囲まれた華やかな庭を進んで行く。一見、コンパクトな建築物だが、内部には本棚や大量の魔導器具がズラリと並んでいる。

 ギルダが上階を見上げると、そこには亜麻色の長髪をした中性的な外見の人物が魔導書を読み耽っていた。瞳は澄んだサファイアブルー、尖った耳――人間族とも魔族とも違う特徴は、森人エルフ族という種族の証だった。


「おい、久し振りだな。ユーリング」


 ユーリングと呼ばれたその人物は、細い目でギルダを見下ろす。


「珍しいな。君から僕に会いに来るなんて」


 その低い声に、ようやく彼が男性であることが分かる。

 するとギルダの足元に魔法陣が出現し、彼の体はエレベーターのように浮かび上がった。一気にユーリングのいる上階まで案内され向かい合う。


「何をしに来た、ギルダ?」

「お前に相談がある」

「相談? 君が? 悩みの種など斬り伏せそうなのにな」

「うるせぇ……」

「で、相談したいことは何だ?」

「最近この剣を持っていると調子が狂う。こいつを作ったお前なら、その原因が分かるだろ」


 ギルダはユーリングに魔剣「藍燕」を突き出した。

 かつての戦争中、この藍燕を作ったのは彼ら森人エルフ族であった。その事実を知るのは、かつての魔王とその側近だけ。魔族でも一部の権力者しか知らなかった。


「具体的な症状を教えてほしい」

「変な夢を見るし、体が勝手に動く。最近になってから急に、だ」

「分かった。一度メンテナンスをしてみるよ」


 ユーリングが刀を受け取ると、それを石版の上に置いた。石版の表面には大量の古代魔法文字が映し出され、彼はそれを一行一行じっくり目を通していく。


「妙な文字列が書き加えられているな……藍燕が自ら書き加えたのか? ふぅむ……ギルダ、最近この剣で何か変なものを斬ったか?」

小鬼ゴブリン獅子鬼オーガ、人間族……特に冒険者は沢山斬ったがな」

「思い当たる節があるなら、正直に話してほしい」

「……」


 もちろん心当たりはある。シェナミィのことだ。せっかく託された刀を自ら使い物にできなくしてしまったことに、ギルダはどこか罪悪感を覚えていた。そのため普段の口煩さはいつもより抑えられている。


「……その剣の素材になった男がいるだろ? そいつの娘だ」

「なるほど、血縁者か。その娘は今どうしてる?」

「まだ生きてる。カジの野郎が妙な情に目覚めて保護してんだよ」

「ほう……」


 ユーリングは興味深そうに頷くと、視線を石版の文字列に移した。


「それじゃあ、お前が見るという夢の内容について話してくれ」

「その娘が原っぱで駆け回っていたり、目の前で食事していたり、とにかくそいつの幼少期の映像ばかりを見せつけてくる。おかげで気が狂いそうだ」

「それじゃあ、体が勝手に動いたときの状況を教えてほしい」

「あの小娘を狙っていた人間族を勝手に斬ろうとしたんだよ。俺はさっさと逃げたかったのに。何であんな小娘を守らなきゃならねえんだ」

「原因は確定だな……」


 ユーリングは作業を終え、石版の上から藍燕を取った。「やれやれ」と、彼は特に表情を変えることもなく、薄ら笑いを浮かべたまま刀をギルダへ返したのだった。


「早く結果を教えろ」

「結論から言うと、剣の生成する魔力が強まっている」

「何でだ?」

「封じ込められている魂が、自分の娘の血を吸い、まだ守りたい存在がいることを思い出したんだろうな」


 ギルダの予想していた通り、やはりあのときシェナミィを斬ったことが原因だった。軽率に斬りつけてしまった当時の行動が悔やまれる。

 まさか、今の刀にそんな欠点があったなんて……。


「で、変な症状を抑えるにはどうすればいい?」

「この剣を折って捨てればいい。それで解決するはずだ」

「簡単に言いやがって……この剣を捨てたら、俺は不死じゃなくなるんだろ?」

「もちろん。君を蘇らせるための魔力はこの剣から供給されているからね」


 ギルダが不死である秘密はその魔剣に隠されていた。彼が死ぬ度、刀から魔力が送られ、肉体を蘇生する。こうして彼は自分の死を偽り、クリスティーナを陥れ、窮地を脱してきた。

 しかしこれまで自分が築いてきた戦い方が消失するかもしれない――そんな状況にギルダは恐怖を覚えた。


「死ぬなんて、面白くねぇ」

「それなら藍燕をずっと大切に持ち続けておくことだ」

「だから、その剣に操られるのが嫌だって言ってんだよ!」

「じゃあ折って捨てればいい」

「選択肢が極端だな、お前は! こいつが俺を操ろうとする魔力はどうにかできねえのか!」

「できない。この刀は自分の意思を持ち始めてしまった。まるで本能のように、魂の奥深くに娘の存在が刻まれている。それを取り除こうとすれば、この刀はただの刀に戻ってしまうだろうな」


 ユーリングから伝えられた結果に、ギルダは鬱屈とした。一体俺はどうすればいつも通りに戦えるのか。そんな不安が頭に取り憑く。


「……じゃあ、こいつをもう一本作れ」

「簡単に言うな。こいつを作るために、僕がどれだけの時間と手間を費やしたと思っている」

森人エルフは寿命が長いんだから、少しくらい俺に割いてくれたっていいだろ」

「寿命は長くとも気は短い森人エルフなのだよ、僕は」


 はぁ?


 ユーリングの笑みに、ギルダはイラついた。


「それに素材がない。蠱毒の儀式に使うための、百人を超える生きた人間族がな」

「素材ならお前が持っているだろ?」


 ギルダがチラリと眼球を動かす。その先には檻が設置されており、中には椅子に拘束された何人もの人間族がいた。皆、生気が抜けたように口を開け、白目を剥いて涎を垂らしている。


「ほら、素材なら沢山あるじゃねえか!」

「あれは僕の大切な実験サンプルだ。君が欲している素材にするつもりはない」

「へっ、そうかよ。で、今度は何の実験してるんだぁ?」

「人間族の記憶操作実験だ。今は本物の記憶と偽の記憶のコンフリクト解決方法を探っている。やはり記憶を一部分変えるだけで次から次へ矛盾が生じるから、完璧に確定することは不可能だということが分かった。短期的な効果しか受けられないのが、この技術の欠点となるだろう。何か矛盾を発見する度に修整するのも手間がかかるし、記憶を一から全て作成するには膨大な時間がかかるから、現段階では迅速さが求められる軍事作戦での運用は現実的じゃなく――」


 ベラベラと実験内容を喋り続けるユーリングを他所に、ギルダは実験について尋ねたことを後悔していた。ぐだぐだと説明が長い。ギルダは説明の途中から工房の天井を見つめていた。


「――実験を繰り返しすぎて、ほとんどのサンプルはあんな風に壊れてしまったが、もう少しで実用できそうな段階に来ている」

「そりゃおめでたいな」


 気は短いくせに説明は長いのかよ、とギルダは彼の研究精神に呆れていた。

 ユーリングはこのように、普段から人間族の研究に没頭している。その研究があったからこそ、魔族は人間族と戦えてきた。


「それで、百人……百人の人間族を集めれば、お前はもう一度作れるのか?」

「さあな。君がその剣をそのまま使い続ければいいだけの話なのに、また手間隙をかけて同じ物を作るのは面倒くさいとは思わないか?」

「肝心なときに動作不良を起こす得物を使い続けられるか!」

「それもそうだな」

「とにかく! 百人だ! 百人集めるから、こいつと同じ刀を作れよ!」

「面倒だが、いいだろう」


 ギルダは刀を持って工房を出ると、花だらけの庭を通って繁華街へ帰っていく。ユーリングは工房の丸型の窓から彼が街並みに消えていくのを見守っていた。


「……相変わらず喧しい男だ。花のように可憐で物静かにはなれないものか」


 ユーリングは魔槍の柄で足元をコンコンと突き、檻の下に隠されていた魔法陣を発動させる。

 すると檻の中にいる人間たちの肌が、次々と茶色に変わっていく。まるで木の皮のように皺だらけになると、今度は全身から草の芽が伸び始めた。通常ではありえない早さで成長を遂げる蕾たち。やがて人間たちはカラフルな花々を咲かせ、その命を散らした。


「綺麗な花を咲かせるものだな、人間は」


 ユーリングの工房の敷地には、人間の形をした朽木が大量に放置されている。庭の美しい花々はそうした朽木から生えていた。

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