第115話 もう少し信じてみたい
森林で一晩過ごし、ようやくカジたちは魔族領の街に帰還した。獅子鬼による傷痕が癒えない、復興中の町並み。馬車やゴーレムによって運ばれていく復興物資の横を通り抜け、街の奥へ入っていく。
屋敷前に到着すると早々にラフィルがカジたちの前に現れた。
「待っていましたよ、先輩。無事でしたか」
「どうにかな」
紋章移植されたカイトの強さを身をもって知っていた彼は、カジの帰還にホッとした表情を見せた。
やがて視線はシェナミィに移る。連れされられてしまった失敗からか、ラフィルは気まずそうに口を歪ませた。そんな彼に、シェナミィは笑顔で手を振って励まそうとしていたが。
「ラフィル、シェナミィとの再会を喜ぶのも結構だが、今は事件の背景について調査する必要がある」
「ベ、別に喜んでなんかいませんよ!」
「少しくらい、素直になってもいいんだぞ?」
カジはゴーレムの姿勢を低くさせて操縦席から降りると、ラフィルに捕縛したロベルトを見せた。ロベルトは何かを言いたそうに、猿轡をモガモガと震わせる。
「すまないが、こいつを収容施設に送ってくれるか?」
「この大男は何です?」
「今回の獅子鬼襲撃の主犯格の一人だ。後で尋問したい」
「了解しました。これから送ります」
ロベルトを縛り付けたまま、ゴーレムのコントロールはラフィルに引き渡された。彼が操縦席に座り込み、収容施設に向けて出発しようとする。
そのとき、シェナミィはラフィルに向かって走り出した。
「私、しばらくロベルトと一緒にいる」
突然シェナミィがラフィルの後ろに乗り込んだ。彼女はロベルトの岩石のような手を握り、カジを真っ直ぐに見つめてくる。曇りのない眼差し。カジはそこに強い意志を感じた。
「良いのか? お前を誘拐したヤツの仲間だぞ」
「彼のこと、もう少し信じてみたいの。そんなに悪い人じゃない、って」
「まあ、好きにすればいいさ」
「それじゃあ、行ってくるね」
収容施設へ運ばれていくロベルトに付き添う形で、シェナミィはカジの前から姿を消した。
「さあ、俺たちは報告書を書いたら、休もうか」
「ああ……うまい飯が食いたい」
こうして、カジとクリスティーナは屋敷に戻ってきた。
カイトやハワドマンとの戦いを経て感じたや判明したことを報告書に記し、気づけばもう日が暮れていた。
* * *
深夜まで報告書を作成し、カジは一人、食堂で大きく欠伸をした。昼夜関係なく活動できる魔族と言えども、さすがに疲れる。
クリスティーナは先に寝室へ行って体を休ませているはず。ハワドマンとの戦闘で負った傷も彼女の方が大きい。早めに休ませた方が良い、というカジの判断だった。
「俺も寝るか……」
カジは机上に散らばった報告書をまとめると、それを式神で夜空へ飛ばした。しばらくすれば魔王城のアルティナに届くはずだ。
それからカジは階段を上がり、自分の寝室を目指した。ドアノブに手を掛けようとしたとき、クリスティーナの寝室から灯りが漏れていることに気付く。
「クリスティーナ、起きてるのか?」
いつものクリスティーナなら灯りを消して眠っている時間帯。何か起きたのだろうか、とカジは軽くノックをして扉を開けた。
「入るぞ?」
ベッドにクリスティーナの姿はなく、彼女は窓際の椅子に座って景色を眺めていた。そこから見える夜の庭園では、妖精たちの放つ光がふわふわと漂っている。
「カジ……」
「ベッドで寝ていればいいのに……どうした? 眠れないのか?」
カジはサイドテーブルを挟んでクリスティーナと向かい合うように座り込む。窓から差し込む月光に照らされ、彼女の髪と肌がより白く妖艶に見えた。
「心がモヤモヤしてな……」
「カイトとかいうヤツのことか?」
「まあな……」
強くなろうとする姿勢や、野性味溢れる立ち振舞い、整った顔立ち――クリスティーナはカイトのことを異性として全く意識してないわけではなかった。あの日、犯されるまでは。
彼が自分の欲望に溺れなければ、私は彼と恋仲になっていたのかもしれない。
「実は、前からお前に聞きたいことがあってな」
「何だ?」
「この前戦ったダイロンと同じ亜人種のことだが……アイツは……お前が産んだのか?」
カジの言葉に、クリスティーナの心臓は締め付けられそうになった。
ずっと彼に黙ってきた被虐の秘密。それをついに、カジに見破られてしまった。
「お前の腹に微かに妊娠線があった。それに、亜人種の成長スピードから見て、着床されたタイミングは――」
「それ以上、言わないでくれ」
「あ、あぁ……すまない……」
カジもクリスティーナも互いに俯き、沈黙状態に入った。
先程のクリスティーナの言葉は肯定の意味だろう。
クリスティーナは自分の下腹部に手を当て、出産当時のことを振り返った。
「いや。黙っていた私も悪いんだ。ちゃんと話していれば、あの亜人種の対策を予め立てられたかもしれないのに……」
「いや、なかなか他人に喋れないことだ。仮にヤツの存在を知っていたとしても、王国がどんな作戦で来るかまでは分からなかったさ」
「しかし、私は……」
「クリスティーナも悩んでいたんだろ。いいから今日は体を休めよう。おやすみ」
カジが席を立って離れようとすると、いつの間にかクリスティーナが袖を引っ張っていた。
「どうしたんだよ、クリスティーナ……」
「胸の奥がモヤモヤして眠れそうにないんだ。もう少しだけ、私の話相手になってくれないか?」
「俺なんかが相手でいいのかよ。口下手で会話を盛り上げられる自信はないぞ?」
「それでいいんだ。お前だから頼んでいる」
クリスティーナは微笑み、すっと席を立ち上がる。至近距離で向かい合った。
「カジは、亜人種に孕まされた女をどう思う?」
「どう思うって……」
「私を『汚らわしい』とか思ったりしないか?」
「俺は、そんなこと……」
クリスティーナはカジの腕を急にグイグイ引き寄せ、顔と顔の距離を縮めてくる。澄んだ大きな瞳は、人間族と魔族において性的魅力を感じる共通のポイントだ。
「これまで私は、色々な人間に裏切られてきた。弟に、部下のリミルに、それから弟子のカイトにも……だから、どうかお前だけは、私を裏切らないと約束してくれ……」
クリスティーナはカジを力強く抱き寄せ、顔を胸板に押し付けた。
「お前のことを、ずっと信頼していたい。お前にまで捨てられたら、私はもう……」
このとき、彼女の体から溢れ出た魔力が、カジを包もうとしているのが分かった。全身をくまなく抱擁し、肺にも入り込んでくる。
優しく妖美でありながら、どこか淋しさも感じさせるクリスティーナの魔力。それに包まれるのは、悪い気分にはならなかった。
「大丈夫だ。俺はお前を売ったりはしない」
「本当に……?」
「ああ。だから――」
その瞬間、カジは自分の唇を奪われていた。突然の出来事にカジは身構えることもできず、彼女を受け入れてしまった。
柔らかく、ふっくらとした感触。
それに加え、彼女の濃厚な魔力まで流れ込んでくる。痺れるような感覚に、全身を支配されてしまいそうだ。彼女が自分の全てを求めている。
開いた窓から花の香りを纏った風が吹き抜け、クリスティーナの髪が大きくなびいた。
「ぷはぁっ……はぁっ!」
「お前……」
「約束だぞ?」
ようやく唇を離したクリスティーナは顎に滴る唾液を拭きながら、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
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