第67話 呼び捨てられた殿下

 全身を覆う炎に、ようやくダイロンは放心状態のクリスティーナを手離した。


「あぢいいいい! あぢいいいいッ!」


 ダイロンは業火に身を包まれたが、再生能力を持つその巨体を完全に焼き尽くすのは難しく、体表が焦げただけに留まった。アリサは怒りに身を委ね、間髪容れずに火球を撃ち続ける。


「もっと、もっと燃えてよッ!」


 しかし、何度も炎魔術を発動させても、ダイロンは焼死する気配を見せない。炎の中で彼の瞳に映るのは、杖を振るう黒髪の美少女アリサ。新たな雌が自分へ近づいてきたことを喜び、ニチャリと笑みが溢れた。「この雌も、ぐちゃぐちゃに犯そう」と。


 一方、クリスティーナの裸体は勢いよく飛ばされ、地面に叩き付けられる。彼女の白かった肌もアリサの炎魔術に焼かれ、火傷が斑模様を描いていた。

 そんな大怪我を負っても、クリスティーナはまだ息をしていた。僅かに残った力を振り絞って起き上がろうとしているのか、指先がピクンと動く。


「アイツで遊んでやるのはここまでか」


 ギルダは横たわるクリスティーナを横目に、交戦中のリミルを蹴飛ばした。

 クリスティーナはギルダにとって因縁のある相手。普通に殺すだけでは面白くないと思い、凌辱ショーを楽しんでいたが、それもここまでのようだ。

 今こそ、クリスティーナの息の根を止め、因縁を断ち切るとき。

 ギルダはクリスティーナの心臓に最後の一撃を下そうと飛び上がった。


 しかし、突如何者かが建物の陰から飛び出し、クリスティーナへ振り下ろされた刀を剣で受け止める。ゴギンと音を立てて刃同士がぶつかり合い、火花が散った。

 ギルダの前に立ち塞がったのは、若い男性冒険者カイトだ。何の魔術付与もされていない安物の剣で、ギルダに応戦しようと試みる。


「誰なんだよ、テメェは!」

「俺は……クリスティーナの弟子だ!」


 ギルダの圧倒的な腕力に、カイトは徐々に押されていく。剣を支える腕が悲鳴を上げ、刃がボキリと折れた。


「おっと、私のことを忘れては困りますね!」

「嫌な野郎だ」


 再びリミルが斬りかかり、ギルダは刀で軌道を逸らす。この隙にカイトは折れた剣を投げ捨て、クリスティーナを抱えて路地裏へ消えていった。


「チッ、冒険者風情が……」


 クリスティーナには逃げられたが、彼女には勝った。麻痺毒を使い、彼女の腹にダイロンの子種を植えつけてやった。ついでに、肌には大火傷を負っている。

 抹殺はできなかったが、これで彼女が公の場に姿を現すことはしばらくないだろう。

 それに、自分の情報筋が正しければ、これからもっと面白いことが起きるはずだ。


「ダイロン! ここは引き上げだ!」

「えぇ~……オデ、まだ子作りしたいだぁ」

「次はもっと沢山作らせてやるからさ」

「やったぁ!」


 ギルダは優れた跳躍力で屋根の上に飛び上がると、リミルたちを見下ろした。ウラリネは彼に追撃の矢を飛ばすも、ギルダはそれを危なげなく刀で切り落とす。


「じゃあな、勇傑共」

「オデも帰る」


 屋根の陰にギルダが消え、彼を追ってダイロンも走った。建造物に体当たりして倒壊させ、大量の瓦礫を空に巻き上げる。


「待ちなさい、アタシの……お母さんを……」


 もう一発、アリサはダイロンに特大の炎魔術をぶつけようと思った。しかし、意識が朦朧として、集中が途切れる。それは人間の魔力が尽きたときに現れる典型的な症状だった。


「こんなときに、魔力切れなんて……」


 視界が霞み、ダイロンの背中は遠退いていく。

 ようやく自分に訪れた復讐のチャンスだったのに……。

 アリサは地面に膝をつき、蹲るように倒れた。


 こうして、ようやく街から戦の気配が消えた。パチパチと木造家屋の燃える音だけが聞こえる。街の被害は甚大。多くの建築物が破壊され、犠牲者も出ている。

 随所で燃え盛る街を一通り眺めたウラリネは屋根から飛び降り、リミルに駆け寄った。


「リミル、彼らを追いますか?」

「ギルダは狡猾な魔族です。追撃部隊を潰すための罠を仕組んでいるかもしれません。こちらの戦力は十分ではありませんし、ここは止めておきましょう」


 普段から騎士団内で偵察を担当しているウラリネなら、ギルダやダイロンをしばらく追跡することも可能だろう。しかし、リミルは過去の大戦でギルダを追っていた部隊が次々と行方不明になった事例が数多くあることを知っていた。負傷した兵も多く、ウラリネだけで行かせるのも心許ない。


「それよりも、今はあの青年とクリスティーナを探しましょう」

「ええ、そうね」


 このとき、ウラリネはリミルの発言に何か違和感を覚えていた。

 いつも彼はクリスティーナの名を口に出すときに「様」や「殿下」と付け加えるのに、先程の会話にはそれがなかったのだ。これまで彼が王女を呼び捨てにすることなどあっただろうか。

 いや、今はそんなことどうでもいい。きっと、彼もこの緊急事態に動揺してつい忘れてしまったのだろう。

 ウラリネはそう自分を納得させ、街に消えたクリスティーナを捜索し始めた。

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