第56話 血も涙もない男
冒険者組合の診療所に運ばれていたシェナミィが目を覚ましたのは、その翌朝のことだった。
組合集会所の中庭に面している窓から、朝の柔らかい光が差し込んでくる。
シェナミィは誰かが自分の手を握っている温かさを感じていた。
大きくて、優しくて、温かい感触。それは、戦死した自分の父親にも似ているような気がする。誰かに手を握られるなんて久し振りだ。
シェナミィは明るさに目を慣らしながら、ゆっくりと瞼を開いていった。
「目を覚まされたか」
そこにいたのは、冒険者風の格好をした大男。
見ず知らずの男性が、自分の手を握っていた。
「えっ……あの……!」
シェナミィは驚き、思わず手をベッドの中に引っ込める。彼の手は優しい感触だったが、さすがに恐い。
それから顔と眼球を精一杯動かし、自分が今置かれている状況を確認した。
ここはどこなのか。
この男性は誰なのか。
どうして自分はベッドに寝かされているのか。
「ここは、どこですか?」
「冒険者組合の診療所だ。依頼の道中、酷い怪我をしているあなたを見つけて、我々がここへ運んで来たんだ」
「そうですか……」
男は神妙な面持ちでシェナミィの顔を覗いてくる。おそらく自分のことを本気で心配してくれているのだろう。その気持ちは嬉しかったが、どうしてここまで付き添ってくれるのか、シェナミィは疑問に感じていた。
「
「シ、シェナミィです」
「そうかそうか。あなたの所持品に身分を示すものがなくてな、あなたの名前が分からなかったんだ」
「ドッグタグはありませんでしたか?」
「いいや。なかったぞ。怪我をしたときのことは覚えているか?」
シェナミィは視線を天井に戻し、自分の身に何が起きたのかを振り返る。
確か、刀を持った魔族が自分を斬ろうとしてきたのだ。カジとは明らかに雰囲気の違う、危険な魔族。
そのときに、ドッグタグを落とした。
そういえば、あの後、彼はどこへ消えたのだろう。彼は自分に止めを刺し損ね、崖下まで追ってきてもおかしくないはずだが。
「私の近くに魔族がいませんでしたか……?」
「ああ、あなたを発見した直後、魔族が襲撃してきた」
「やっぱり……」
「大丈夫だ、ヤツは我々が追い払った」
「そうですか……」
魔族領に入り込んで略奪行為などもする冒険者だが、今回ばかりは彼らに助けられた。
シェナミィは深く安堵のため息を吐いた。依頼の妨害をして申し訳ない。ロベルトの穏やかな瞳に、シェナミィはそんな罪悪感を覚える。
そのとき――。
「おはよう、ロベルト」
病室の扉から、仮面を着けた女が入り込んできた。
歩く度に豊満な乳房をゆさゆさと揺らし、長い金髪が揺れる。
間違いない。
彼女は前にも会った、クリスティーナ王女だ。
今はなぜかこんな奇抜な格好をしているが、シェナミィの目には彼女の正体が分かっていた。
「あの、あなたはクリス――」
「わああああああああああああああああーッ!」
クリスティーナは慌てて大声を出し、シェナミィの言葉を掻き消した。
前回、シェナミィには自分の正装を晒し、本名を名乗ってしまっている。
まだカイトたち冒険者との関係を続けるためにも、ここは正体を隠しておきたい。
「病室で大声を出すな、イザベルティーナ」
「す、すまない……今ちょっと目の前を虫が通ってな」
「はぁ? 昨日、依頼中にも小さい虫は沢山いただろう……」
かなり無理のある言い訳だ。
ロベルトは彼女のマナーを欠いた行動に苛立ちを見せる。普段は温厚な態度を取っている彼にしては、かなり珍しい瞬間であった。
「イ、イザベルティーナ?」
「すまない、ここは私に話を合わせてくれ……」
「は、はい……」
クリスティーナは小声で耳打ちすると、シェナミィは静かに頷いた。
王国の最高権力者の頼みとあっては仕方ない。
「悪いがロベルト、この少女とは個人的に話があるんだ。少し外しててくれないか?」
「ああ、別に構わないが、何をするつもりなんだ?」
「あの魔族について、聞き取りをするだけだ。変なことはしないさ」
本当だろうか。
彼はクリスティーナに訝しげな視線を送った。
そもそも、ロベルトはこの仮面の女をあまり信用していない。確かに昨日見せてもらった剣の腕は素晴らしいものだったが、まだ出会ったばかりで互いのことをよく知らない。仮面で素顔も隠し、経歴をあまり語ろうとしない。
カイトにこっそり彼女について尋ねても、ニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべ、話をはぐらかす。確実に彼女の正体を知っているようだったが、一体何を隠しているのか。
ロベルトは心配そうな面持ちで、病室の外へ出て行った。
クリスティーナとシェナミィの二人きり。
王女様は仮面を外すと、真剣な目つきでシェナミィの横に腰かけた。
「シェナミィ……お前はあの魔族と何か関係があるのか?」
「あの魔族……?」
「お前を襲った魔族だ。昨夜も私の前に現れてな、お前のことについて尋ねてきたぞ?」
「わ、私を……?」
「随分とお前を気にしているようだったが、何か因縁でもあるのか?」
カジを巡る人間関係に、あんな危険な人物が絡んでくるなんてシェナミィも予想していなかった。ラフィルもマクスウェルも、落ち着いて話せば分かり合えそうな魔族だったのに。
「あまり出会ったことはないんですけど、私を凄く恨んでいる……みたいです」
「何か恨みを買うようなことをしたのか?」
「あの人は、私の大切な人を、殺戮に使おうとしているんです。でも、私がそれを引き止めさせるんじゃないか、って心配しているみたいでした」
昨日のギルダの話を組み合わせると、彼はカジを自分の駒として、人間族を皆殺しにさせようと企んでいるようだった。
そのため、カジと仲良くしている自分が邪魔だったのだろう。
「お前の『大切な人』というのは何か武術を心得ていて、ヤツはその腕を見込んで人間を襲わせようとしている――という解釈で間違いないか?」
「はい、そうです」
「その『大切な人』は今どこにいるんだ? すぐに我々が身柄を確保して安全な場所に移送させることも可能だが……」
「それは……」
シェナミィは口を
カジのことを正直に話して良いものだろうか。
それに、ギルダの言葉が事実ならば、カジには自分の父親を死に追いやった疑いがある。大好きだった父。彼を奪ったのがカジだと思うと、胸の奥が締めつけられる。
頭の中がグチャグチャだ。カジのことを思い出すだけで感情が掻き乱され、これまで共に過ごした時間が何だったのかよく分からなくなる。
「お、おい! 泣かないでくれ!」
「うっ……うっ……」
心の中をコントロールできず、シェナミィは涙を流していた。
これまで一緒に過ごしてきた友人をギルダから守りたい一方で、父親の死に関与していた恨みのような感情もあった。
どうしたら良いのか分からない。何が一番、自分を納得させてくれるだろうか。
「分かった、どういう事情があるかは知らないが、お前の心が整理できるまで待ってやる」
「ごめんなさい……」
「いいんだ、いいんだ。悪いのはお前じゃない」
今日の聞き取り調査はここまでにしよう……。
クリスティーナはにっこり微笑むと、仮面を着けて病室の外へ出て行った。外に待機していたロベルトの訝しげな視線を浴びながら、彼女は病棟の階段を下っていく。
「カジ……貴様の好きにはさせないからな」
仮面の下では、カジに対する憎悪がギルダと同様に膨れ上がっていた。
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