第55話 血も涙もない女

「カイト、お前に話したいことがある」

「何でしょうか……?」


 深夜、カイトの稽古中にクリスティーナは星空を仰いだ。

 自分をここまで慕ってくれるカイトになら、本当の気持ちを話してもいいかもしれない。


「私はギフテッドだったことを理由に、ある訓練所に預けられてな、そこで幼少期を過ごした。訓練は苦しかったが、門下生と一緒に高みを目指すのは楽しかったし……師匠も優しい人でな、私の憧れの男性でもあった。それが私の初恋だ」


 自分よりも先に王女様の心を射止めた人間がいる。

 その情報に、カイトはさらに王女様の話に耳を傾けた。こんなに芯の強い彼女を虜にするなんて、余程魅力的な人間だったのだろう。


「でもな、戦時中、その訓練所がギルダのターゲットにされたんだ」

「えっ……」

「夜中に突然何発もの炎魔術が宿舎に放たれてな、門下生の何人かは火傷と煙で死んだ。表へ逃げると、そこにギルダの率いるゴロツキたちが待ち構えていて、私の師匠と仲間は斬られた」


 クリスティーナは今日の小鬼討伐でも、似たような光景を見た。

 八つ裂きにされた小鬼たちの死体が、当時の状況を連想させる。


「恥ずかしい話だ。こういうときのため、敵に倒されないために訓練所で鍛えていたのに、私は何もできずそこから逃げ出したのさ」

「でも、そのときはまだ子どもだったんでしょう? だったら無理に戦わない方が……」

「私はあのとき自分に下した判断が間違いだとは思っていない。だが、ギルダが師匠と仲間を無残に刀で痛め付ける姿と、ヤツの高笑いがいつまでも脳裏に焼き付いて離れないんだ。思い出す度に、当時みたいに体が震える……」


 前髪に隠れた顔は、どこか泣いているようにも見えた。

 大切な仲間を突然奪われた辛さは計り知れない。心の傷は未だに癒えず、彼女に痛みを与え続けている。


 だからこそ、もっと自分が強くなって彼女を守らねば。

 カイトの決意は膨らんでいく。


「お前には私と似た体験をしてほしくない」

「はい……俺も今の仲間を守りたいです」

「だから、これからビシバシ稽古してやる」

「ひぇッ……」


 クリスティーナの悲しげな表情が一転、轟々と闘志に燃える目つきになり、カイトに向けて木刀を構えた。

 そこからの稽古は激しかった。カイトの剣術は全て防がれ、カウンターとして強烈な一撃が叩き込まれる。少しずつ彼の剣術は改善されていったが、それでもまだ王女様には程遠い。カイトには彼女が同じ人間族とは思えなかった。


「さあ、今日の稽古はこのへんで止めておこう」

「ご、ご教授ありがとうございました……」

「それから、カイト」

「な、何ですか?」

「私の恋人になりたいなら、私より強いことが必須条件だ。何度も大切な人を失いたくないからな」

「わ、笑えないんですけど……」


 クリスティーナに下心を読み取られていたうえに、さらに過酷な条件まで提示されてしまった。

 疲労も眠気もピークに達している。心身ともにヘトヘトになったカイトは、自分が部屋を借りている宿屋に戻っていく。


 しかし、一方でクリスティーナはしばらくその場から動かなかった。


「さて、次はお前だな……」


 カイトが街の中へ完全に消えていくのを見届けたクリスティーナは、近くに生えている木に視線を移した。

 なぜなら、生い茂る葉に覆われた陰の中に、魔族特有の赤く光る瞳が見えていたからだ。しかも、わざわざ彼女へ自分の存在を示唆するように。


 稽古中、何者がそこにいることには気づいていたが、向こうから何も行動を起こさないので敢えて見て見ぬ振りをしていた。カイトは終始それに気づかずに帰っていったが。


「ずっと攻撃を仕掛けずに待っているなんて、魔族のくせに律儀だな」

「魔族が皆、ギルダみたいなヤツというわけじゃない」

「ふん、どうだかな……」

「お前も、どうして稽古を中断して俺に斬りかからなかった?」

「またカイトを人質にされては堪らんからな、カジ」


 カジという名前を呼ばれ、その魔族はクリスティーナを睨み返す。

 木の幹を背に、男性魔族が太い枝に腰かけていた。


「それで、貴様は何の用でここへ来た?」

「お前に尋ねたいことがある」

「それはこちらの台詞だ。ギルダの居場所を吐け」


 クリスティーナは木刀を地面に突き刺すと、腰に差していた長剣に持ち替えた。いつでも反撃できるようカジに剣先を向け、深く呼吸をする。


 その一方、カジは彼女の戦闘態勢に臆することなく、そのまま木の上から彼女を眺め続けていた。


 やはり彼女の目的はギルダだったか。

 相手の能力を引き下げる特殊な魔導具を使ってきたことにも頷ける。


「ヤツの居場所……か。それを教えるのは、お前の返答次第だ」

「面倒なヤツめ」

「それはこっちの台詞だ」

「なら言ってみろ。貴様が何を尋ねに来たのか」


 カジは木から飛び降りると、彼女と向かい合う。

 一体、こんな場所まで何を聞きに来るなんて、かなり重要なことなのだろう。クリスティーナの中で、質問の内容に緊張が高まった。


「……シェナミィをやったのは、お前か?」


 それが、カジからの問いだった。


 キャンプに残されていた血痕から、シェナミィが何者かに襲撃されたのは明らかだった。

 さらに、近くに落ちていたシェナミィのドッグタグの切り口からして、かなり鋭利な刃物が使われており、犯人は相当な剣の技術を持っている。


 疑われる人物は、ギルダか、目の前にいる王女。


 ギルダは性格からして、こちらから尋ねても正直には答えないだろう。


 しかし、この王女なら、何が起きていたのかを話してくれるような気がした。

 カジも彼女の真っ直ぐな性格を心のどこかで認めていたのかもしれない。


「シェナミィ? ああ、あの眼帯を着けた少女のことか?」

「そうだ」

「ふん、お前のせいであんな目に遭ったんだろ。下らん質問だな」


 お前のせい?


 シェナミィが魔族である自分と友好的な関係を築いていたから、あんな制裁も当然だ――という意味だろうか。

 カジは眉間にしわを寄せ、苦虫を踏み潰したような顔をする。


 一方でクリスティーナは、シェナミィを襲ったのはカジだと思い込んでいるため、質問の意図がよく理解できずにいた。なぜそんなことを自分に尋ねるのか。自分がやったことなのに――と。


「チッ、やっぱりそういうことかよ」

「何を馬鹿なことを……」

「お前がそんなヤツだったとは思わなかったよ。じゃあな」


 きっと、自分の民を守ろうとするクリスティーナの性格なら、シェナミィと自分の関係に気づいても、平和を求める彼女の想いにも真摯に向き合い、丁重に扱ってくれると思っていたのに。


 結局、彼女も魔族に勝つためなら非情になれる戦士なのだ。魔族と一緒に暮らしているような人間族は、自分の守るべき民ではない――それがクリスティーナの考え方だろう。

 シェナミィは危険因子と見なされ、強引な方法で逮捕された。きっと、彼女が自分の元へ戻ってくることはないだろう。


 やはり、この女はギルダと共闘で潰すのが妥当なのかもしれない。ここまで手段を選ばない女を放置したら、後にどういう結果を齎すか。


 カジは踵を返し、藪の中へ歩いていく。

 この女の本性は十分に理解した。こちらから彼女に何を話したところで無駄だろう。


「おい、質問に答えてやったんだ! 貴様もギルダの居場所について答えろ!」

「ヤツもお前を狙ってる。わざわざ探さなくても、近いうち向こうからそっちに行くだろうよ」

「悪童も復讐のつもりか?」

「多分な」


 去っていくカジの背中を見届けると、クリスティーナは剣を鞘に収めた。

 今はまだ殺し合うときではない。

 二度の戦いで、互いに相手がどれだけ危険か分かっていた。


 確実に勝利を手にするためにも、ギルダの手を借りなければ。


 好きだった人の仇を討つためにも、ギルダを倒す前にやられるわけにはいかない。


 離れていく二人に、冷たい風が吹きつける。

 彼らの決戦はすぐそこまで迫っていた。

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