第53話 裸の付き合いという諺
カイトたちが街へ帰還できたとき、すでに日は沈んであちこちに街灯が灯っていた。
意識を失っているシェナミィを冒険者組合が運営している治療施設に送り届けると、すぐに彼女はベッドに寝かされた。
木製のベッドが並んでいる病室。窓の外には、組合集会所の中庭が見える。
シェナミィは着用者に治癒効果を促す魔導ネグリジェに着替えさせられ、静かに寝息を立てていた。傷だらけの彼女を発見した当時と比べ、かなり表情は穏やかになっているようにも見える。
このまま安静にしておけば問題ないはずだ、とカイト一同は安堵のため息を吐く。
どうにかカジの手から彼女を救えてよかった。
「さて、私たちは組合に小鬼のコロニーの状況について報告をしましょうか」
「そうね、後はここのスタッフがこの子を治療してくれるだろうし、もうアタシたちの出番はないわね」
安静にしなければいけない怪我人の前にいつまでもたむろするのはマナー違反だろう。
カイトたちは踵を返し、病室の出口に向かおうとした。
しかし――。
「すまない、
「えっ?」
盾使いロベルトだけはベッドの傍にあった椅子に座り込み、そこを動こうとはしなかった。
「彼女が目を覚ましたとき、ここに連れて来られるまでの詳しい経緯を説明できる者が必要だと思うんだ」
「それはそうかもしれないけどさ……」
「それに、この女性には謝らなきゃいけないことがあってな……」
「ああ、前に恐がらせちゃった、ってヤツ?」
組合集会所前でぶつかったとき、彼女は顔を真っ青にして逃げていった。
ロベルトは依然あのときのことを気にしていた。別に恐がらせるつもりはなかったのだが、誤解があるようなら解いておきたい、と。
「そっかそっか、この子に変なマネするなよ?」
「後の報告は、よろしく頼む」
「おう、任せときな」
こうして病室にロベルトとシェナミィだけを残し、他の面々は小鬼コロニーで見た光景について組合へ報告に向かっていった。
* * *
「はぁ~何か疲れちゃった」
「結構時間かかりましたね」
それから小一時間経って、カイトたちはようやく解放された。
小鬼の巣から持ち帰った耳を数え、彼らの使っていた武具など再利用できそうなものは換金してもらう。何しろ数が多く、全ての作業を終えるのに時間がかかった。
小鬼の巣に関する説明にも苦労した。あの惨状を、一体どう説明したらよいものか。
結局、連れ去られた女性たちの行方は依然不明で、奪還するという目的は達成できなかったものの、武具換金でそれなりの金は入ってきた。
アリサは集会所の外に出ると、夜空に向かって大きく伸びをする。
「ねぇ、帰りにお風呂に入って行かない?」
彼女は振り返り、女性陣に提案した。
「もしかして、銭湯に行く、ということですか?」
「そうそう。体に小鬼の血の臭いが染み付いちゃってさ、早く洗い流したいんだよね」
「私も行きたいです。疲れを癒したいので」
ふと、プラリムは自分の爪を眺めた。爪と指の間に、小鬼の血らしき汚れが溜まっている。
衣服に纏わり付く臭いも酷く不快だった。こんなのを嗅ぎ続けていたら、いずれ吐いてしまいそうだ。
銭湯には、浴槽に入っている間に衣服の洗濯乾燥も行ってくれる魔導器具も設置されている。少し料金はかかるが、身も心も衣服もリフレッシュしたかった。
アリサとプラリムは銭湯に行こうと晴れやかな気分なのに、クリスティーナとウラリネはその様子をポカンとした様子で見つめていた。
「あの……『銭湯』とは何でしょうか?」
「ええっ?」
王室・貴族育ちのクリスティーナとウラリネは知らなかった。
大衆向けに巨大な風呂を開放している場所がある、ということを。
プラリムはクリスティーナの腕を引っ張り、銭湯の前まで連れて行き、大きく振りかぶって指をさした。
石造りの巨大な建築物。その玄関からは、微かに湯気が漂っている。
「ほら、ここですよ! 皆で集まってお風呂に入るんです!」
「まさか、見知らぬ他人の前で裸になるのか?」
「別に、男湯と女湯に分かれてるし、問題ないでしょ……」
「なるほど、世の中にはこういう場所があるのか……一つ勉強になったな」
いつも自分たちは専用のシャワーや浴室を用意してもらう。今まで裸は家族や信頼できるメイドにしか見せたことがない。
どうやら、この街の住民たちは簡単に裸を他人に晒してしまうらしい。「裸の付き合い」という諺を聞いたことはあるが、まさかこういうことだったとは……。
どうしよう。
我々も入るべきか。
クリスティーナとウラリネは逡巡とした。もしこのまま入ってしまったら、王族や乙女として守ってきた重要な何かが壊れてしまうような感覚がするのは気のせいだろうか。
そうこうしている間に、すでにアリサとプラリムは銭湯の中へ進んでいた。
「こ、こういうのは何事も経験です。私は入りますよッ!」
「な、何という無茶をするんだ、ウラリネ……」
「民のことを知るためにも、目線を彼らに合わせなければ。より良い為政のためなら、私の裸など安いものです」
同じ勇傑騎士にも見せたことのない生まれたままの姿。
今、それをウラリネはコミュニティの壁を突き破って世界へ晒そうとしている。
銭湯の大きな門へ突き進むウラリネの後姿は、クリスティーナの目には女神のように輝いて見えた。
「健闘を祈るぞ、ウラリネ……」
クリスティーナは彼女に敬礼のポーズを送り、踵を返して自分の宿屋へ戻っていった。
* * *
その銭湯は石に囲まれたかなり広い空間を有していた。壁際には「ドーズ創世記」第四章第三節に登場する女神をモチーフとした巨大な石像が置かれ、湯船で疲れを癒す者を見守っている。
ウラリネは一糸纏わぬ姿になると、恐る恐る大浴場へ足を踏み入れた。タオルで大事な部分を隠しながら、先に体を洗い流していたプラリムたちと合流する。
「あの、イザベルティーナさんは来ないんですか?」
「ああ、彼女はあまり裸を見られたくないみたいだから……宿屋のシャワーを一人で浴びるって」
仮面の下を見られるのはもちろん、彼女の精霊紋章など、王女様の肉体には様々な機密が隠されている。協力者とはいえ、一般人に晒すことはできなかった。
「なぁんだ。ちょっと見たかったなぁ、イザベルティーナの裸」
「気になりますよね。仮面の内側とか、あの大きな胸はどうなっているのか、とか」
服の上からでも、男女問わず多くの人間が虜になる豊かな乳房。
一体、どのような構造になっているのか。一体、何を食べたらあんな風に育つのか。
「イザベルティーナとは付き合い長いの?」
「ええ。そうですね。武道大会で私の弓を見て『一緒に戦わないか』ってスカウトされたんです」
「今日のイザベルティーナさん、恐かったですよね」
「そうですね、私もあそこまで悔しがる彼女は初めて見ました」
ウラリネはクリスティーナに関する質問を流していく。
やはり今日の出来事はプラリムやアリサの中に強烈なインパクトを与えてしまったのだろう。クリスティーナの気迫といい、繰り出す剣術といい、王女に対する興味は溢れているはずだ。
うまく彼女の正体を暴かれないよう振る舞わなければなるまい。
「あなたも、なかなか良い体してるわね」
「えっ、ええ?」
「腿とか、二の腕とか、隠れた筋肉が引き締まっていて羨ましいです」
「そんな……そうなんでしょうか?」
「きっと、凄い鍛練を積んだのよね?」
自分の肉体美など褒められることは滅多にない。ウラリネは反応に困り、小さく縮こまった。湯船に浸かっていないのに顔が赤い。
「クリス……じゃなくて、イザベルティーナの努力と私の積んだ鍛練は雲泥の差ですよ。私はあの人の足元にも及びません」
「そんなこと……」
「ハッキリ言って、彼女は化け物です。もし本気の彼女を打ち負かす敵が出たら、王国は滅びます。それくらい断言できますから」
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