第50話 崩壊に導く刀
キャンプに過熱された肉のふんわりとした匂いが広がっていく。シェナミィは一人、焚き火と向かい合って料理に没頭していた。
もうすぐ、料理が完成する。
なかなか良い味付けができたと思う。カジは喜んでくれるだろうか。
そんなことを思ったとき――。
「これからの作戦について話し合おうと思ったんだが、ヤツは留守のようだな」
カジとは違う男性の声が、背後から聞こえた。
まさか、また誰かがキャンプに侵入したのだろうか。
慌てて振り返ると、血だらけの衣服を纏った魔族が自分を見下ろしていた。カジよりも背が高く、腰の刀に手をかけている姿が、シェナミィに恐怖感を植えつける。
「えっ……あの……」
「ところで、誰なんだテメェは……?」
ギルダの飢えた猛獣のような瞳が、縮こまるシェナミィを睨み下ろす。ギルダは彼女へ完全に敵意を向けており、これから獲物を狩るかのように殺意を漂わせていた。
このままだと目の前にいる魔族に殺されてしまう。
シェナミィにも、それくらいのことは分かっていた。しかし、恐怖でなかなか足が動かない。
ラフィルなど自分へ敵意を抱く魔族に遭遇したことはあるが、その中でもこの男が放つ雰囲気は異様だった。憎悪や復讐心とは違う、まるで天性から培われてきた純粋な悪意。禍々しい空気が自分を圧迫している。
「ここにいるってことは、カジの飼っている夜伽用の女か?」
このとき、ギルダはカジとシェナミィの関係を察していた。
おそらく目の前にいる女は、カジと友好的な関係を結んでいる。そうでなければ、カジの拠点で料理など作らないだろう。
「おい! 何か言ったらどうなんだよッ!」
しかし、首を絞めてくるような威圧感に、シェナミィは答えることができなかった。
ギルダは瞬時に刀を抜くと、シェナミィの胸元を斬りつける。服がバッサリと破け、彼女の肌が露になった。白い柔肌には細く傷が入れられ、血が少し滲む。
「あ……あっ……!」
目には涙が溜まり、乾いた口から声にならない悲鳴が出る。
股に伝わる温かい感触に、初めて自分が失禁していることに気付いた。
そのとき、シェナミィの傍に何かがカランと音を立てて転がった。
ギルダが目をやると、それは冒険者用のドッグタグだった。冒険者が仲間の死体を持ち帰れなかった場合、それだけを剥ぎ取って死亡認定する。シェナミィの首にかかっていたタグの紐が切れて落ちてきたのだ。
「『シェナミィ・パンタシア』か」
ギルダはそこに彫られていた名前を読み上げると、ニタリと不気味な笑みを浮かべる。
「そうかそうか。道理でヤツがあの男のことを気にしてたわけだ。クヒヒッ」
カジを自分のアジトに誘って酒を飲んでいたとき、彼は急にパンタシアという男について尋ねてきたのを思い出す。その理由がようやく分かった。
「へぇ、これは驚きだな。まさかあの生贄の娘と仲良く暮らしてるなんて」
「えっ……?」
「まさかカジから聞いてないのか? お前の親父は戦争で捕虜にされた後、呪術の生贄として捧げられたんだよ」
その言葉に、シェナミィは全ての思考を手放しそうになった。
そんなの、嘘だ。
彼女は口をパクパクさせることしかできなかった。
「捕虜にしたヤツらを、蠱毒の儀式で狭い檻の中に閉じ込めてな、互いを食わせるんだ」
それは、かつて王国の開拓時に住処を奪われた謎の種族から伝えられた呪術だった。
彼らの人間族に対する憎悪は凄まじく「代わりに仇を討ってくれ」と魔族へ提供された情報だ。
「戦わせて、傷付け合わせて、殺し合わせて、最後に残った人間から奪った心臓を炉に溶かして打った魔剣が、こいつだ」
ギルダはシェナミィの顔の前に刃を突き出した。ほんのり赤みを帯びた刀身。
敵への憎悪、いつ裏切るか分からない仲間への疑心、戦友を食わなければならない悲しみ、失われた人間性など、あらゆる負の感情が閉じ込められた呪いの塊だ。
「ほぉら、こいつがお前の親父の魂だよ。感動の再会ってわけだ。ハハハハッ!」
この刃の中に自分の父親の魂が閉じ込められているなんて、なかなか実感が湧かなかった。
遠い昔、シェナミィは自宅へ送り届けられた父親の死体を見たことがある。全身に爪で引っ掻かれたような傷があり、左胸には縫合された跡を確認できた。
この男の言うことが事実ならば、あの傷の謎の説明がつく。
しかし、彼女はそんなものを認めたくはなかった。自分の愛していた父親が、他人の命を奪う凶器に変えられているなんて。
「この刀が俺に命令してくるんだよ。『もっと敵を斬って生き延びろ』ってな」
ギルダの敵意はさらに増し、シェナミィを斬ろうと腕がカタカタ震えている。
「俺は人間族を皆殺しにする。例え、それが武器を持たない無害なヤツであろうとな」
「や、やめて……」
「異論は許さん。カジにも、俺と同じになってもらう」
突然。腹部に感じる焼けるような痛みが走る。
シェナミィが瞬きした間に、ギルダの刀が自分の腹部に突き刺さっていた。
「ああああああああッ!」
「俺の駒と勝手に仲良くしてもらっちゃ困るんだよッ!」
痛みで悶え苦しむシェナミィの腹を、さらにギルダは体重をかけて踏みつける。
これから人間族と戦おうというのに、カジと仲良くしている人間族がいるなんて計算外だ。
カジには自分と同じように、人間族に容赦のない殺戮者となってもらわなければ。
ギルダが腹部に刺さっていた刀を抜くと、シェナミィは力を振り絞って逃げ始める。
腹に力を込めようとすると猛烈な痛みが襲ってくるが、それでもシェナミィは傷を手で押さえながら、森の中を必死に駆け抜ける。
早く逃げなければ。
早く助けを求めなければ。
でも、どこへ逃げればいい?
誰に助けを求めたらいい?
ギルダはぴったりとシェナミィを追跡していた。息を荒らすこともなく、必死に逃げる彼女を終始嘲笑いながら、背中を何度も斬りつける。
切れた服に血が滲み、シェナミィの口からは苦しそうな声が漏れた。
「おいおい、そっちは行き止まりだぞぉ?」
我武者羅に走って逃げた先は、崖の頂上だった。
「腹を刺されて、よくこんなに走れたもんだな。ハハハハッ」
「うっ……くぅ……!」
「ついでに、いいこと教えてやる」
絶望ですすり泣くシェナミィとは対照的に、ギルダは満足そうに歯を見せる。
「この刀を作るための生け贄を用意したのは、カジだよ」
あのカジが、自分の父を死に追いやったの?
このとき、シェナミィの脳裏にクリスティーナからの言葉が再生される。
民間人を虐殺し、捕虜も痛め付けてから殺害している、と。
まさか、あの話は本当なのだろうか。
痛みと恐怖で、頭の中はもう滅茶苦茶だった。
シェナミィがふらふらと後ろ向きに下がった瞬間、足場がボロボロと崩れ始める。
「あっ……」
ガラガラという音と、激しく揺れる視界。
彼女は大小の落石と一緒に崖の下へ転がっていく。途中で大きな岩にぶつかり、頭に猛烈な痛みが走った。
もしかして、こんな場所で自分は死んでしまうのだろうか。
カジと出会った直後にも死が迫っていたことがあったが、それほど死が怖くなかったように思う。
今も、似たような感覚だ。自分には頼れる場所がどこにもなくて、身も心も深く傷ついていた。あれから、せっかくカジと信じ合える関係になれたと思っていたのに、それも振り出しに戻った気がする。
ようやく崖の下に辿り着いたとき、もう体は動かなくなっていた。体のあちこちが折れて、出血もしている。意識は朦朧として、視界が赤色と白色に霞んでいた。
「カジぃ……」
痛みに押し潰されるように、シェナミィは意識を手放したのだった。
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