第48話 お嬢ちゃんと、マクスウェル

「ったく、あの悪童が……!」


 ギルダに思わぬ傷を負わされ、マクスウェルはかなり遠くまで逃げてきていた。切られた箇所が熱を帯び、まるで焼かれているようだ。


 やはり、現役時代のようには体が動かない。

 昔はカジたちに武術を教える立場だったのに、今は完全に彼らの方が上だ。


 体力が大分衰えてしまった。

 おそらく、あまり長くは生きられない。死ぬまでにはアルティナの花嫁衣裳を見ておきたいものだが、果たして相応しい相手が現れてくれるだろうか。


「少し、休憩するか……」


 マクスウェルは巨木の幹へだらりと寄り掛かると、そのままずるずると根元に座り込んだ。腕の傷口が痛む。縛る以外に応急処置を施していなかったので、まだ少し流血していた。


 そのとき――。


「だ、大丈夫ですか?」


 若い女の声と、こちらに誰かが走ってくる足音が聞こえる。

 マクスウェルに近づいてきたのは、狙撃銃を担いだ冒険者らしき女だった。大きな黒い眼帯で顔の大部分が隠されている。

 サクサクと落ち葉を蹴散らしてマクスウェルの前に立つと、彼女は顔を覗き込んだ。

 彼女の正体は、シェナミィである。


 あ、魔族だ……!


 そのとき、シェナミィはようやく相手が魔族であることに気付く。

 相手が怪我をしていることばかりに気を取られ、顔に注目しなかったのだ。


 カジ以外の魔族と出会うのは、これで二回目だ。前回遭遇したラフィルは圧倒的な筋力で冒険者を襲っていた。多少、魔族に対して恐怖心があったのは事実である。


 しかし、シェナミィは何もなかったようにマクスウェルの袖をまくり、傷口の様子を見始めた。


「おい、人間族の小娘」

「何ですか?」

「儂が恐くないのか? 魔族だぞ?」


 互いに視線を交えぬまま、シェナミィは傷の治療に取りかかる。小瓶に入っていた魔法薬を直接傷口に振りかけ、包帯を結んだ。


「恐いですけど、話の通じる方だと思ったので」

「ハハッ、お嬢ちゃんは観察眼があるな」

「あなたとよく似た雰囲気の魔族を知ってます。ぶっきらぼうだけど、面倒見のいい人なんですよ」


 マクスウェルの雰囲気は、どこかカジに似ていた。

 彼と初めて出会ったときのシチュエーションとは大きく違うが、彼が重傷を負った自分を治療してくれたのは覚えている。恩はきちんと返さないと気が済まないタイプだろう。


「多分、そいつ、カジのことだろ?」

「えっ! どうして分かるんですか!」

「儂もヤツのことはよく知ってるさ。アイツを育てたのは儂だからな」

「つまり、カジのお師匠さんですね!」


 前に会ったのはカジの後輩で、今回はカジの師匠。

 最近、カジの関係者とよく出会う気がする。


「儂はアイツに知る限りの武術を教え込んで、戦士に仕立て上げた。筋が良くて、どんな技もすぐに覚え込んだよ」

「カジがあんなに強いのは、あなたのおかげなんですね。私、あの人のおかげで、色々と助けられたことがあって……」

「そうかそうか。お嬢ちゃんも、アイツに助けられたか……」


 マクスウェルは満足そうに微笑んだ。

 自分の知らないところで、アイツも色々やってるんだな。


「ただ一つ、教え方に後悔していることがあってなぁ……」

「それは何です?」

「アイツに『自分の出し方』を、教えてこなかったことだ」


 戦士としては十分に育ったが、その性格には大きな問題がある。マクスウェルは彼のことをそんな風に思っていた。


「アイツは儂と出会ったとき、人間族の見世物小屋で奴隷として扱われていたんだ。普段から酷い目に遭っていたせいか、他人の顔色ばかり覗う」


 ふとマクスウェルの脳裏に蘇る。幼い頃のカジは、傷だらけで、いつも他人に怯えていた。

 仲間から嫌われることを恐れて、どっち付かずな態度をとる。そんな性格のまま育ててしまったのは、育ての親である自分の責任だと感じていた。


「いつも自分が何をしたいのか、あまり口に出さない。周りに流されっぱなしで、心の中で我慢しているんだ。孫の世話から、危険な任務まで、何でも引き受けてくれる。こっちも他に任せられるヤツがいなくて、ついつい色々頼んでしまった……それがいけないと分かっていたのになぁ」

「カジが……?」

「少しは自分のやりたいことを口に出せるように、魔王に立候補させてみたんだが、やっぱり性格は変わらなくてなぁ。自分の想いを内側に押し込むから、恋人もできない。難儀な男に育ててしまったものだ……」


 マクスウェルはそこまで話し終えると、上を向いて深く溜息を吐いた。

 もう少し、カジの本心を聞き出すべきだっただろうか。好きなことを「好き」と言えないのは、さすがに可哀想だ。


 かといって、ギルダのように欲望を曝け出しすぎるのも困るが。

 昔からギルダは混沌を求めていて、自分が有利になるように状況を掻き乱そうとする。

 今回、ギルダがカジを同行させているのも、そういう性格を見抜いているからだろう。


「さて、儂はそろそろ行くよ」

「大丈夫ですか?」

「ああ。まだまだ若者には負けてられん」


 マクスウェルは立ち上がると、腕を広げて大きく伸びをする。


「お嬢ちゃんの名前を聞いておこうか」

「シェナミィ・パンタシアです」

「パンタシア……か」


 の子どもと出会うなんて、これも何かの因果だろうか。

 ギルダの刀――あの魔剣は、件の戦争中、彼の命と引き換えに作られた。それを、この娘は知らないだろう。

 しかし、世の中には知らない方が幸せなこともある。マクスウェルは平静を装いながら、巻かれていた袖を元に戻した。


「儂はマクスウェル。カジによろしくな、お嬢ちゃん」

「は、はい」

「それと、ギルダとかいう糞餓鬼には気を付けろよ。手当てありがとな」


 マクスウェルは魔族領に向けてよろよろと歩き出した。


 シェナミィも立ち上がり、いつものキャンプに向かって走っていく。

 どうしようもなく、カジに会いたい気分だった。カジに優しくしてあげたい。もっとカジに寄り添ってあげたい。そんな一途な高揚感がシェナミィを突き動かしていた。

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