第42話 現役王女の高い壁
クリスティーナは心の導くままに、冒険者組合の近くまで走ってきていた。夕暮れの街を、慌てて部下のウラリネも彼女を追いかける。二人で集会所の前に立ち、出入りする冒険者の人混みを見つめた。
「よし、やるぞ……」
「お、王女様。突っ走りすぎです……」
森林に出没する魔族カジは、冒険者をターゲットに襲撃を繰り返している。しかし国家騎士団が周辺を捜索しても姿を現さない。
つまり彼と遭遇する確率を上げるためには、自分も冒険者を装えばいい。
しかし、そこには高い壁があった。
「手っ取り早いのは、私たちが冒険者に扮してカジを誘き出すという方法ですが……」
「どうやったら冒険者っぽく偽装できるのだ?」
「さぁ……」
「ウラリネ、冒険者として稼いだ経験はあるか?」
「いえ、ないです」
「私もない!」
「そうですか……」
近くには冒険者向けの装備品を販売する武具店が並んでいるが、何を選べばいいのかさっぱり分からない。勇傑騎士が纏う装備品とは違い、酷く野生的で、機能が低く、魔術による特殊効果が付与されていない格安の品が多い。
「あの店、魔術付与のされていない粗悪品ばかり並んでますよ?」
「冒険者は、本当にこんなものを着てモンスター退治に行くのか……?」
「ちょっと信じられないですね……」
下手に冒険者を装っても、クリスティーナは本物の冒険者の作法を知らないため、その違和感を見抜かれる可能性がある。
クリスティーナは王族出身で、ウラリネは貴族出身だ。冒険者とは縁のない生活を続けていたため、二人とも彼らのことを「モンスターを倒して報酬を貰う人」程度にしか知らない。
冒険者出身の勇傑騎士もいるのだが、今は別任務で遠征中だ。急に呼び戻すわけにもいかず、二人は集会所の前で逡巡とした。
王女と貴族の知らない世界。
集会所の門が異様に高く見えた。
「やはり、ここは本物の冒険者に同行して、襲撃されるのを待つべきでしょう」
「しかし、ギルダに並ぶほど危険なヤツが出るかもしれないのに、他人を巻き込むのは……」
「冒険者も全く戦えないわけではありませんし、最悪死ぬリスクは覚悟して依頼を請けているはずです」
「それは、そうかもしれんが……」
「ここの組合のマスターに交渉して、協力してくれそうな人物を紹介してもらいましょう」
ようやく集会所内に足を進めた二人。
ロビーには筋肉の盛り上がった屈強そうな男性冒険者が多い。
正直、クリスティーナもウラリネも野生的な男性が苦手だ。王女や貴族という立場上、手近な男性とデートすることは許されないし、自分と縁談が持ち上がる男性は出会ったこともない貴族や王族ばかり。勇傑の男性騎士も、普段は命令伝達や重大な作戦以外に接点がない。そんな生活を続けている間に、そういう男性との関わり方を全く知らないで過ごしてきた。
すれ違う冒険者に、どこか恐怖を感じる。涎を垂らす肉食獣のような目つき。彼らの視線は、王女様が歩くたびに揺れる巨大な乳房に目を奪われていた。
「頑張れ、頑張るんだぞ、私……!」
自分で自分を励まし、冒険者に協力を要請する覚悟を決めた。
王女と身元が分からぬよう、顔を大きなゴーグルで隠す。他の冒険者から少々奇異なものを見る視線は浴びたが、目的さえ果たせれば問題ない。
そうして、二人はぎこちない表情で、カウンターの受付嬢の前に立った。
「すみません、ここのマスターと話があるのですが……」
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「私は勇傑騎士団副団長ウラリネ・アモルリーブ。そしてこちらは勇傑騎士団団長、クリスティーナ・エルケスト様です」
「え、ええええええっ?」
突如、目の前に現れた国内最強騎士団の団長兼、王国の最高権力者。
これまで様々な冒険者を相手にしてきた彼女だったが、さすがにこれには驚いた。動揺して持っていたペンを足元に落とし、王女様の顔を凝視する。
「い、今すぐ上に話を通してきますので、しばらくお待ちください!」
「うむ! 承知したッ!」
周りにうろつく男性冒険者に舐められぬよう、ここは気丈に振舞わねば。
こうして、受付嬢はパタパタとした駆け足で、施設奥の階段を上っていった。
ギルドマスターの部屋に向かった受付嬢を待つ間、王女様とウラリネは集会所のあちこちを見て回る。依頼から帰還した冒険者が疲れを癒す酒場に、周辺から寄せられた依頼を確認できる掲示板。
「おおっ、こんなにも依頼が寄せられているのかッ!」
掲示板には貴族や商人からの人命に直結しない嗜好品目的の依頼も見られるが、王女様は周辺住民から寄せられるモンスター被害の悲痛な叫びに釘付けとなった。「自分の家畜がモンスターに食われた」とか「モンスターに娘を攫われた」といった旨の文章が記されている。
自分の愛する民が、こんなにも苦しんでいる。文面から想像される依頼人の苦悩に、クリスティーナも胸を痛めた。
「これは酷いな……何とかしなければ」
「しかし、国家騎士団では人手が足りませんよ……」
もちろん魔族との戦いも大事だが、こうしたモンスターによる被害も食い止めなければなるまい。
国家騎士団は主要な軍事拠点や人口密集地を守ることに精一杯で、それ以外の地域は見捨てられているのが現状だ。それを補うのが冒険者たちの役目で、依頼があればすぐに動けるフットワークの軽さも問題解決には役立っている。
王女様はそのことを再認識させられた。
やはり、ときにはこうした現地視察も大切である。弟ジュリウスにも言ってやりたい。「お前ももっと庶民目線になれ」と。
「あの、準備が整いましたので、こちらへお越しください!」
「うむ、恩に着るッ!」
ようやく受付嬢が戻り、クリスティーナは深々と頭を下げた。
そんな王女様を、他の男性冒険者よりも遠くから一際訝しげに見つめる一人の男性がいることにも気付かずに。
* * *
「さて、こんな辺境に、王女様が何のご用ですかな?」
紅茶の注がれたカップが並ぶテーブル越しに、ギルドマスターと向かい合う王女様とウラリネ。ほんのりとした湯気とともに漂う紅茶の香りが机上に漂う。
ソファに浅く腰かけるギルドマスターは、巨漢の戦士だった。格調高い衣服越しからでも分かる隆々とした筋肉。黒く焦げた肌はクリスティーナの肌の白さと対照的だ。
「単刀直入に申し上げる。我々は、森に現れる魔族を捕獲したい」
「やはり、例の魔族に関することでしたか……」
マスターは紅茶を一口飲み込むと、浅く溜息を吐いた。
「それを、我々に依頼するつもりですか?」
「否、ヤツは冒険者だけを狙って襲撃を繰り返している。だから、森に入る冒険者に同行し、遭遇したら後は我々で捕まえる」
「なるほど、魔族を釣り上げる餌がほしいわけですね」
「言い方は悪いが、そういうことになる」
マスターは組合の稼ぎ手である冒険者を失いたくはない。
一方で、クリスティーナの決意も固い。覚悟の現れた迷いのない瞳に、マスターはにこりと微笑むと、コトリと紅茶のカップを置いた。
「しかし、本当に大丈夫なのですか? あの魔族は相当な手練ですよ?」
「らしいな」
「ここの組合に所属していた一番の強者だったマーカスという男と彼のパーティも、ヤツと遭遇して帰って来なくなりました。まさか、ダブルアビリティまで倒されるなんて、私も予想外でした」
「心配は無用だ。魔族を発見できたら、後は全部こちらに任せてほしい」
クリスティーナは姿勢も顔つきも変えぬまま、淡々と会話に応じていく。
「王女様は相当自信があるようですね?」
「実は、ここに来る前、ヤツと一戦交えた」
「それは、興味深い話ですね」
王女様の言葉にマスターは目を見開き、自然と姿勢が前屈みになる。
「確かに強いヤツだったが、歯が立たぬほどではない。前回は近くに要救助者がいたため撤退したが、次回こそは叩き伏せられると確信している」
「それは……心強い」
クリスティーナは不敵に微笑んで見せる。勝利を確信しているその表情に、隣で佇むウラリネもどこか誇らしげだった。
「まあ、こちらとしても、いつまでも例の魔族に依頼を妨害されては利益が出ませんからね。全面的に協力させてもらいます」
「すまない、助かる」
こうして、ギルドマスターとの交渉は進んでいった。
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