第39話 戦場は突然に

 まず、クリスティーナはキャンプ地に入ると、他に利用者がいないか探した。ギルダの追跡期間中これから長い付き合いになるかもしれないし、一言挨拶でもしておくべきだろう。


 クリスティーナはポツンと立つ小屋の前に立ち、扉をゆっくりと開けていく。


「すまない、誰かいないか?」


 薄暗い室内には一人の少女がハンモックに横たわっていた。黒髪に色白な肌の彼女は、間違いなく昨日にもここで会った少女だ。傍の机には手入れ中の魔導式狙撃銃が置かれているが、彼女の武器だろうか。


「さすがに、起こすのは悪いか……」


 彼女は寝息を立てており、深く眠っているのか目を覚ます気配はない。睡眠を邪魔しないようクリスティーナはそっと小屋を離れた。

 この少女がまだキャンプを利用しているということは、彼女の相棒である男性冒険者も近くにいるのだろうか。


 少女への挨拶は後回しにして、今度は自分の装備を手入れできる場所を探し始めた。獣の血で汚れた外套とアーマーを脱ぎ、脇に抱えると、洗濯場に向かって歩き出す。


「あれは――」


 洗濯場に誰か屈んでいる。自分の上着を脱ぎ、洗っているようだった。おそらくあの男性が少女の相棒だろう。

 このとき、自分以外にも人間がいることに安堵し、クリスティーナは完全に油断していた。


「あの、すまないのだが――」


 クリスティーナは同じ洗濯場を使わせてもらうため、彼に向かって駆け出した。





     * * *


 カジはその足音を聞いたとき、何かがおかしいと感じていた。

 歩き方からして、若い女。ブーツは冒険者がよく好んで使用する素材。足音から、それだけの情報は得られた。シェナミィの歩き方によく似ている。


 しかし、耳を澄ませてみると、奇妙な点もいくつかあった。まず、シェナミィにしては歩幅がやや大きい。まるで修行を積んだ剣士のような、体のバランスの取れた歩き方をしている。ひよっこ冒険者の彼女にはできぬ姿勢だ。


 途中までシェナミィが起きたのかと思い込んでいたため、完全に油断していた。


 まさか、少し目を離した隙に妙な冒険者でも入り込んだだろうか。

 どんな相手であれ、早急に排除しなければ。

 カジは洗濯を切り上げると、立ち上がって足音のした方角を振り返る。


「あっ……」

「あっ……」


 謎の女と、目が合った。


「誰なんだ! お前は!」

「魔族ッ! どうしてこんな場所に!」


 なぜか彼女は薄着だ。脇には血まみれの外套やらライトアーマーやらを抱えており、もう片方の手には鞘に納められた剣を握っている。はだけた胸元には、剣術強化の精霊紋章。その下には、山脈のように突き出た胸。

 外見の情報量が多すぎる。

 一体この女は何者で、何のためにここへ現れたのか。これまで長い戦闘経験の中で、初めてカジは敵を目の前に逡巡とした。


「ここは冒険者用のキャンプ! 早々に立ち去ってもらうぞ!」

「はぁ!? ここは俺のキャンプだ! いつからそういうことになったんだよ!」

「そうか! 昨夜、冒険者を襲ったのは貴様だな!」

「んなもん知らねぇよ!」


 話が噛み合わない。

 彼女が何か勘違いしているのか。まともに相手をすると面倒くさそうだな、というのがカジから見た彼女の第一印象だった。


「不埒千万な輩は、この私が排除してくれる!」


 互いに薄着のまま戦闘態勢に移行する二人。

 金髪の女は抱えていたアーマーやら外套やらをその辺に迷いなく放り投げると、瞬時に剣を抜いた。その刃は群青に淡く反射している。

 気が付けば彼女は目の前にいた。踏み込みが速く、一瞬で間合いを詰められる。女は剣を突き出し、顔を狙っていた。


「チッ!」

「今のを避けただと!」


 カジは咄嗟に顔を逸らすと、刃がすぐ横を通り過ぎていた。

 随分と身体能力が高い。今の突きだけでも、彼女には勇傑クラスの戦闘力があることがカジにも把握できた。


 この女は危険だ。

 後の戦況などを考えるならば、今、ここで始末しなければ。


 カジも彼女の懐へ踏み込むと、彼女の腹に拳を繰り出す。女は高く吹き飛んだが、空中で身を翻すと、着地と同時に後方宙返りでカジと距離をとった。

 それと同時に、カジも彼女を追ってキャンプ地の広場まで駆け出す。

 腹に拳が食い込むような感触があってもおかしくないと思っていたのだが、服の下で何かが衝撃を軽減しているようだった。


「服の下に何か仕込んでやがるな」

「悪いか?」

「いいや、上等!」


 そのとき、クリスティーナはハッと思い出した。

 自分の後方にある小屋には、冒険者の少女が眠っているではないか。


 こんな危険な魔族に、彼女の存在を察知されてはならない。

 彼女は自分の守るべき国民なのだ。

 カジとシェナミィの関係を知らないクリスティーナ王女は、そんなことを思った。


「随分と後ろが気になるようだな」

「なっ!」

「こんなときに余所見とは感心しない!」


 隠し事が顔に出ていただろうか。

 その隙を狙って、カジはさらに追撃を仕掛ける。渾身の力を拳に込めた一撃。

 クリスティーナは刀身で防御したが、その衝撃でさらに後方へ飛ばされ、小屋の扉へ突っ込んでしまう。扉は大きく折れ曲がり、屋根もボロボロと崩れた。瓦礫がパラパラと降り注ぐ中、彼女は立ち上がって再び剣を構える。


「こ、この魔族……強い!」

「な、何よ! 何なのよこれ!」


 ハンモックでぐっすりと眠っていたシェナミィだったが、さすがにこの騒ぎには飛び起きた。自分の寝ていた小屋は半壊し、目の前には昨日も現れた謎の金髪美女。状況が掴めない。

 クリスティーナはシェナミィが起きたことを確認すると、彼女に向かって声を荒げる。


「おい! お前、早く逃げろ!」

「えっ! ええっ!」

「この魔族は危険だ! 私が引き受ける!」

「えっ、あの! どういう状況なのこれ!」


 クリスティーナの「早く逃げてほしい」という思いに反し、少女はおどおどして留まり続けている。


 もう現場は滅茶苦茶。

 謎の金髪美女は「逃げろ!」と叫ぶし、カジは頬を引きつらせながらファイティングポーズをとっているし、シェナミィは目覚めたばかりで頭が回転せずハンモックから転げ落ちる。


「この魔族がキャンプを襲撃してきたんだ!」

「え、あ、はい?」

「何を言っているんだ、この女は……」


 会話がそれぞれ明後日の方角を向いているため、シェナミィの混乱は余計深まっていく。


「クソッ! こうなったら――!」


 金髪の美女は懐から金色の鎖のようなものを取り出すと、それをカジに向かって投げた。瞬時にカジの左腕に絡み付き、ギリギリときつく締め上げる。


「チッ、こんなものまで持ってやがったか」


 その金色の鎖の正体を、カジは知っていた。

 絡まった部位の魔力や筋力といった、あらゆる能力を抑え付ける魔導具『鎖抑金』。この戦況を大きく変え得る一手だった。

 特殊な軍事作戦にしか利用されない、極めて貴重な拘束具の一種。となると、やはりこの女は勇傑騎士団の関係者である可能性が高い。


「さ、一緒に逃げるぞ!」

「え、え! えええええ!」


 カジが怯んだ瞬間に、クリスティーナはシェナミィを抱え上げて高く跳んだ。屋根に開いた穴から外へ飛び出すと、街の方角へ走り出す。


「ちょっと! 何なの、これええええ!」


 シェナミィは終始状況が飲み込めず、クリスティーナによって連れ去られていく。木から木へ跳び移り、彼女たちの姿はカジの視界から完全に消えた。

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