第38話 二人が出会うまでの経緯

「また魔族が出た……だと?」


 森林近くの街にそんな情報が流れたのは、夜が明けてからのことだった。

 街で情報収集を続けていた騎士団の一員が、クリスティーナの借りている宿屋に飛び込んでくる。小さな食堂で朝食をとっていた彼女だったが、その緊急報告に目玉焼きをナイフで切る手が止まった。


「はい。昨夜、組合ギルドに負傷した冒険者が四人ほど担ぎ込まれたらしいです。聞いた話では、魔族と交戦して命からがら逃げてきた、と」

「なるほど……」

「相手は一人だったようですが、ほとんど攻撃が通用しなかったらしいです。敵はかなりの手練かと……」


 先日に出会った冒険者の話では、森林に潜んでいた魔族は領地に戻ったはずだが、またしても戻ってきたのだろうか。腕の立つ魔族となれば、正体がギルダである可能性が高まる。

 一刻も早く、詳細を確認する必要があるだろう。


「調査する価値はあるな」

「そうですね」


 これは優雅に目玉焼きなど食べている場合ではない。

 彼女は急いで残りの朝食を口に押し込み、水で一気に飲み込んだ。


「よし、直ちに魔族が現れた場所へ向かうぞ。各自、出発の準備を整えろ!」


 クリスティーナはアーマーの上に外套を羽織ると、急いで剣を腰につける。

 部下と共に宿屋の玄関に出向くと、背の高い中年の主人がカウンターで帳簿を記入していた。


「もうお出かけですか? 昨日、夜遅くに休まれたのに、大変ですね」

「こちらも無理をしなければ倒せない相手がいるのでな」

「何やら物騒なお話で……」

「それと、目玉焼き、私好みの味だったぞ」

「そ、そうですか……」

「騒がしくしてすまないな。これは礼だ」


 クリスティーナはカウンターに宿泊費の入った袋をそっと置き、颯爽と去っていく。袋の中身は金貨数枚、宿屋を一ヶ月以上借りられる額だ。当然、宿屋の主人は驚き、絶句する。たまたま空いていた部屋に突然の客を一夜泊めただけで、何でこんなに金を貰えるんだ。


 クリスティーナの背後から自分を呼び止めようとする主人の声が聞こえたが、それを無視して白馬を跳ばした。





     * * *


 その頃、カジもギルダの隠れ家から解放され、自分のキャンプ地へ戻ってきていた。


「どこだ、シェナミィ?」


 昨夜、この森にギルダの命令を受けた手下が入り込んだはずだが、一体どうなったのだろうか。死体が見つからなければ良いのだが。

 カジは焦燥感を抱え込んだまま、自分のキャンプ地へ足を踏み入れた。戦闘が起きた形跡は見受けられず、小屋や洗濯場は無事だ。


 小屋から感じる微かな気配に、カジは足を止める。おそるおそる扉を開けて覗くと、シェナミィがハンモックで熟睡している様子を確認できる。近寄ってみても、特に大きな怪我などは見当たらない。

 とりあえずは大丈夫だったようだ、とカジは安堵の溜め息を吐いた。


「あぁ、おかえりカジ……」

「おぅ、大丈夫か?」


 シェナミィは酷く疲れているようだった。目が半開きで、くまができている。森を走り回ったか、それとも魔力を沢山消費したか。


「ちょっと寝不足なんだよね。夕べ、この森に変な魔族が来たからさ、大変だったんだよ?」

「変な魔族?」

「背が小さくて、おかっぱで、ハンマー持ってた」


 ああ、そうか、とカジは頭を抱えた。

 これは、確実にラフィルのことだろう。魔王の副官にまで昇進したという成長の喜びがある一方で、敵に回したくないという恐怖もある。複雑な心境だ。


「で、そいつはどうした?」

「帰ってったよ」


 ラフィルは冒険者を恨んでおり、余程のことがない限り見逃すとは思えない。一体、どんな手を使ったのか。


「まぁ、それならいい」


 カジは踵を返し、扉に向かって歩いていく。今のシェナミィは酷く疲れているようだ。負傷していないようだし、休ませてあげてもいいだろう。


 カジがそんなことを思っている一方で、シェナミィは不安を抱えていた。

 昨日、謎の女騎士から伝えられたことを、カジに聞いた方が良いのだろうか。民間人や捕虜を虐殺しているという噂。今のカジを見る限り真実とは思えないが、ストレートに尋ねるのもどうだろうか。


 尋ねるか否か逡巡している間に、カジは視界から完全に消えていた。小屋の扉は閉められ、シェナミィは薄暗い部屋に一人取り残されたのだった。


「ったく、ギルダのヤツは酒臭くて敵わん……」


 彼女のそんな誤解など知らず、カジは拠点の中に他に異常がないか探り始める。魔族以外にも、冒険者やモンスターなどに侵入されてしまっては問題だ。

 ふと自分のコートを嗅ぐと、酒の臭いがこびりついていた。長時間ギルダに付き合わされたせいだ。早いところ服を洗濯して、それから体もシャワーで洗い流したい。


 見回りも兼ねて、カジは洗濯場へ入っていった。






     * * *


 その数分後。


「ったく、どうもここはモンスターが多い」


 無惨にも胴を両断された陰潜虎トリスティスの死体がいくつも横たわる林道を、一人の女騎士、クリスティーナが歩いていく。

 冒険者から恐れられる巨獣たちは爪や牙を剥き出しにしたまま、敵に襲い掛かる体勢で絶命している。クリスティーナの剣によって簡単に切り裂かれてしまったのだ。


「ううむ。皆とはぐれてしまった……」


 気が付けば、仲間とは別れてしまっていた。一人突っ走ったせいか。愛馬もモンスターの威嚇に怯えて逃げ出している。喋りかける相手もなく、鬱蒼とした森林にたった一人。剣の腕には自信があるとは言え、寂しさや不安が胸にこみ上げる。


 魔族が現れた場所はこの周辺だと聞いていた。確かに、粉砕された岩や折れた巨木など戦闘の跡を確認できるが、肝心の魔族は見当たらない。


「さすがに、もう近くにはいないか……」


 このとき、クリスティーナの体はモンスターの返り血でベトベトに汚れていた。獣の臭いが強く、鼻が呼吸を拒絶する。ぬるりと生温かく、感触も悪い。

 泉や小川でもいい。どこかに返り血を洗い流せる場所はないだろうか。

 清らかな水を求めて、キョロキョロと周囲を見渡しているときだった。


「あぁ、冒険者用のキャンプか」


 視界に入ってきたのは、昨日訪れたキャンプ地だ。昨日出会った少女の話では、確か自由に使って問題なかったはず。

 先程のモンスターとの戦闘で使用した武具の手入れも行いたいし、そのキャンプは魔族調査の拠点としても丁度いい位置にある。

 有り難く、この施設を使わせてもらおうではないか。


「失礼する」


 クリスティーナはそのキャンプ地に足を踏み入れたのだった。

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