第34話 卑劣との再会

 いつもの穏やかな午後。

 カジは井戸で洗濯を行い、シェナミィはハンモックで昼寝をしている。


 最近、この森林に足を運ぶ冒険者は少なくなった。やはり街の冒険者のリーダー格であったマーカスが行方不明になったことが効いているようだ。魔族との遭遇を警戒して、近寄らなくなっている。冒険者が魔族領へ入らなくさせる任務としては、なかなか良い状況と言えるのではないだろうか。


「少しは洗濯手伝え」

「えぇ~」

「俺はお前の母親か」

「カジ君は細かいこと気にするタイプでちゅね~」

「うるせえな……」


 しかし、そういう穏やかなときこそ、災厄は訪れるものだ。


 カジは気付く。

 遥か遠く、拠点に近づいてくる禍々しい気配に。


「これは……あの剣か」


 その気配の正体を、カジは知っていた。とある人物が持つ、特殊な呪術で作られた魔剣。

 カジは洗濯を中止すると、急いでハンモックで横になるシェナミィを抱え、小屋の中に閉じこもった。


「な、何よ!」

「静かにしろ!」


 その気配を人間族は察知できないらしい。

 首筋を垂れる冷や汗に、少し荒くなった呼吸。珍しくカジが怯えているのを感じ取り、シェナミィの緊張も高まる。一体、何が彼をこんなに怯えさせるのだろう。あの強いカジがここまで慌てるなんて只事ではない。


「いいか、シェナミィ。俺がそこでヤツの相手をしている間、絶対に外へ出るなよ!」

「ど、どうして……?」

「アイツはそれだけヤバいヤツなんだ。お前が見つかったら、俺もお前も何をされるか分からん」


 カジはシェナミィを小屋に隠し、禍々しい気配が近づいてくる方角へ足を進めた。鳥や虫の鳴き声すら止ませる溢れんばかりの殺気に、カジもその主と出会うことに躊躇する。

 木々の間をゆらゆらと蜃気楼のように歩く男。垂れた長髪の間から、赤い瞳がこちらを不気味に覗いている。腰には剣を装着し、気配はそこから放たれていた。

 間違いなく、彼はギルダだ。


「よぅ、カジ」


 カジの前にギルダが現れたのは、件の戦争以来だろうか。

 むせ返るような血の匂いが彼から漂っている。一体、ここへ来るまでに何人殺したのだろう。首には王国騎士から奪い取ったであろうタグがぶら下がっている。その中には、勇傑騎士の名もあった。


「ギルダ……」

「相変わらず冴えない顔してんなぁ。せっかく戦場に戻ってきてやったというのに」

「早速、何か王国にちょっかいを出したみたいだな」

「まあなぁ。しかし、お前も大変だよなぁ。あのジジイの依頼なんか受けちゃってさ」


 ギルダはヘラヘラと笑い、カジの肩をポンポンと叩く。


「……俺に何の用だ、ギルダ?」

「そんなの、決まっているだろ?」


 ギルダの目が、ギロリとカジを睨み付ける。


「王女クリスティーナの抹殺を手伝え」


 やはり、そうくるか。

 もちろん、カジもそれは予想はしていた。

 かつて、ギルダと対峙して敗北した相手。それを今度は自分も巻き込んで徹底的に討伐したいらしい。彼はクリスティーナのことを恨んでいるだろうし、復讐を願うのは当然だろう。

 しかし、彼女は王国の主戦力である勇傑騎士団の団長でもある。口で言うのは簡単だが、抹殺をするにはそれなりの戦力が必要だ。


「それは個人的な恨みか? それとも、魔王の命令か?」

「両方だ。あのクソガキも王女抹殺を承認しているし、お前をマクスウェルのジジイが出した依頼から引き剥がして構わんとも言われている」

「ったく、アルティナのヤツは……」


 カジは頭を抱えた。

 おそらく、ギルダが彼女を口車に乗せてクリスティーナ抹殺を仕向けさせたのだろう。

 魔王命令が出ている以上、これを断ると厄介なことになりかねない。今は彼に協力するしかないだろう。


「……分かった。協力すればいいんだろ?」

「いい答えだ。作戦会議は俺のアジトでやる。一緒に来い」


 踵を返し、アジトへ戻ろうとするギルダ。


 一方、カジはチラリとシェナミィを隠している小屋の方を見た。

 平和を望んでいる彼女が、抹殺任務を引き受けたことを知ったら落胆するだろう。クリスティーナを抹殺したら、その後は王国との全面戦争になるだろうし、彼女の理想とはかけ離れた状況に世界は向かっていくはずだ。


「どうした、向こうの小屋に何かあるのか?」

「いいや、少し忘れ物が気になっただけだ」


 こうしてカジはシェナミィを一人残し、放棄された森林開発拠点を去っていった。






     * * *


「……カジ?」


 しばらくして周辺に誰もいなくなったことを確認すると、シェナミィはカジの消えていった方角を眺めた。


 一体、カジはどこへ行ってしまったのか。

 もしかしたら、もうここに戻って来ないのではないか。

 不安で胸がズキズキと痛む。


 そのとき――。


「すまない、そこの冒険者!」


 シェナミィは振り返ると、そこには白馬に跨った女騎士が佇んでいた。


 その女性こそ、王女クリスティーナである。

 しかし、シェナミィは彼女が王女であることには気付かない。田舎出身の彼女は、生で王女なんて見たことがないし、写真や肖像画もどこかボヤけていて本人とは違う印象を与える。何より、こんな辺境に王女クリスティーナが現れるなど予想できなかったからだ。


 え、どうしてこんな場所に騎士がいるの?

 シェナミィは混乱した。街に滞在していた騎士団はどこかへ移動したはずなのに。その女騎士の肩当てには、勇傑騎士団の紋章が彫られている。出会いたくない相手が来てしまった。


 女騎士の鋭い目つきが、自分を見つめている。凛々しい姿が魅力的で、同性すら惚れさせるほどに美しい。そんな神々しいルックスが、余計にシェナミィを困惑させる。


「は、はい!」

「実は最近、この辺りで魔族の発見報告があったらしいのだが、知らないか?」

「あの、えっと……ほぁ……」


 もちろん知っている。カジのことだろう。

 シェナミィは思った。

 しかし、それを正直に話してよいものか。カジにはマーカスやモンスターから助けてもらった恩もあるし、これまで積み重ねてきた友情だってある。例え相手が国家権力だろうと、それを裏切るような真似はしたくなかった。


「えっと、ハイ! 知ってます!」

「その魔族は今どこにいるのだ?」

「はい! 数日前、魔族領に戻っていったみたいです! それ以来、この森に魔族は出ていません!」

「そうか、ありがとう……」


 女騎士はシェナミィに微笑みつつも、どこかガッカリしたような表情を浮かべていた。

 ギルダの居場所を聞き出せるかと期待していたクリスティーナだったが、やはりそう簡単に尻尾は掴ませてくれないようだ。「ギルダ」という名前を口に出して不安を煽るようなこともできないし、ひたすら注意喚起と聞き込みを続けるしかない。


「そいつは危険な魔族でな、あなたも気を付けてほしい。酷く戦闘慣れした男でな、無抵抗の民間人を虐殺している。捉えた捕虜も、執拗に痛め付けてから殺す非道なサディストだ」

「……は、はい」


 カジが、本当にそんなことをするのだろうか。

 シェナミィの中に疑念が生まれていく。

 冒険者や騎士には容赦のない彼だが、民間人まで殺害する場面は見たことがない。もしかしたら自分が知らないだけで、カジには隠された一面があるのかもしれない。


「それより、この場所は何だ? モンスターだらけの森林に、こんな生活感が漂う場所があるなんて驚きだな」

「ああっ、ここは、あれですよ。キャンプですよ。冒険者用の……」


 もちろん、魔族が冒険者撃退用に作ったキャンプなどとは口が裂けても言えない。

 現在、拠点には洗濯場やシャワーまで作られている。一緒にカジと暮らしているうちに「身だしなみくらいは近場で整えたい」と、段々と増えていったものだ。


「見たところ、男用の肌着なども干されているようだが……」

「ああ、それは、相棒のヤツですよ! 今は夕食の食材を探すためにどっか行ってますが」

「なるほど、この辺の冒険者はここのキャンプ地を自由に使って良いのだな?」

「ええ、まあ、そんなとこです」


 嘘に嘘を重ねていくシェナミィ。

 これも勇傑騎士団との対立を避けるためだ、仕方ない。


「それでは、ここで失礼する」

「はい、お仕事お疲れ様です……」

「それと、私は近くの街に滞在して周辺を偵察する予定だ。何かその魔族について思い出したら、些細なことでも構わんから伝えに来てくれ」

「了解しました……」


 颯爽と去っていく女騎士。

 突然消えたカジと、謎の女騎士の出現、それから不穏な噂。その後姿を見守るシェナミィの心には、底知れぬ不安が渦巻いていた。

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