第33話 王女出撃
「……それでは、これより緊急報告を行います」
砦が陥落したことを受け、王都では王族や貴族を集めた緊急会議が開かれた。
巨大な絵画が飾られた会議室。長い机を囲むように座る人々は、国を支える重鎮たちだ。
その中にはもちろん、ギルダが標的としているクリスティーナ王女の姿もある。年老いた貴族の出席者が多い中、彼女の若々しい美貌は一層輝きを放っていた。高い身長と突き出た胸は、同性の側近すら魅惑する。
「……報告を聞かせてくれ」
「はい」
彼らの視線は報告のために王城へ訪れた伝者へと向けられていた。彼の表情はやつれていて、報告書の内容に冷や汗を垂らしている。
「こ、国境周辺で警備の任に就いていた勇傑騎士のうち、三名が死亡しました」
「誰が死んだ?」
「ミリアン・アイルスォード、エドワード・リドルガーラ、オリガ・シェイナクスの三名です。共に件の砦で警備に当たっていた騎士も、その場にいた者は殉職しています」
自分直属の部下である勇傑騎士が死亡。
その報告に、クリスティーナ王女は目を丸くする。
「皆、我が騎士団の中でもトップクラスの実力者じゃないか!」
「馬鹿な! 我が王国の中でトップクラスの戦士である勇傑騎士が、こんな易々と殺されたというのか!」
「それで、犯人の目星はついているのか?」
「目撃者は誰もいません。少数精鋭の、暗殺に特化した魔族兵という憶測しか……」
その場にいた王国貴族たちは椅子から立ち上がり、伝者の言葉を疑った。
皆、信じられなかった。選りすぐりのギフテッドを集めた最強騎士の面々が一気に三人も失われるなんて、これまでになかった事態だ。
こんなこと、あっていいはずがない。何か魔族の中で戦況を大きく変化させる異常事態が起きている。そんな動揺が走った。
「死因は?」
「詳しくは不明です。どの死体も、損傷が激しくて……」
「『損傷が激しい』とは、どういうことだ?」
「それは……」
伝者は言葉を詰まらせる。
「どの死体も、何者かによって深く体中を抉られていたのです。人としての原形を留めていないほどに……」
「胸糞悪い殺し方だな」
「さらに、近くの農村で住民が皆殺しにされていました。非武装の民間人ですが、」
「すでに敵が国内に侵入している、ということか」
そのとき――。
「この手口……まるで『悪童』ですな」
その場にいた貴族の誰かが、ポツリと口にした。
「そう言えば、以前の戦いでも似たようなことが起きただろう。大きな戦闘の前に、名を上げていた戦士が暗殺されたり、死体が無惨に晒されていたり……」
「確か、それは『悪童』の仕業でしたなぁ。ヤツのせいで、代々王国を支えてきたエステルバイン家も跡取りを失った……」
悪童という言葉に、その場にいた者は皆息を呑んだ。
「しかし、悪童は数年前に死んだはずです! クリスティーナ様との戦いに敗れて!」
王女側近が声を荒げる。
自分の仕える王女が、そんな嘘を吐くわけがない。そう信じたかったのだ。
貴族たちの視線は、王女クリスティーナへ集まっていた。
艶やかな金髪の乙女。その端正な顔立ちは、常に高貴な雰囲気を漂わせている。
「……私は、この手でヤツを殺した」
クリスティーナ王女は、それだけしか言わなかった。
かつて件の戦争で、あちこちで暴れ回っていたギルダを、多大な犠牲を払って居場所を突き止め、当時前線に出ていたクリスティーナが討伐した。ギルダを失ったことで魔族の勢いは衰え、王国は滅亡を免れた――それが国民に伝わっている話だ。
「ヤツが生きているとしたら大問題ですぞ。ヤツの所業は『騎士殺し』で有名なカジよりも性質が悪い。国民に何と説明してよいやら……」
「まだ悪童が生きていると決まったわけではないのだ。今は早く事実を確認し、現地の指揮系統や態勢をどう立て直すか話し合うべきだろう?」
「しかし、これはクリスティーナ様の仰った過去を再確認する必要があるのでは?」
「……『殺した』と言ったのが聞こえなかったのか?」
「まあ、他に目撃者がいませんから、確認のしようがありませんけどね」
ギルダが生きていたとなれば、王女の地位を揺るがす最大のスキャンダルだ。
この噂が流れれば、国内はさらに混乱するだろう。それを避けるためにも、今は誰かがギルダの真似をしているに過ぎないと信じ、冷静に対処していくしかない。
「魔族はどう動くと思われますか?」
「そうだな……警備隊の重鎮である三人が倒れたとあれば、その隙を突いて大規模な侵攻に出るかもしれません」
「ならば、我々は一刻も早く国境周辺の戦力を立て直さなければ」
「王都からも至急騎士を派遣させましょう。クリスティーナ様も、部下の勇傑騎士団を向かわせてください」
「……承知した」
こうして「砦周辺の警備を増強する」という方針で会議は進行し、幕を閉じた。
クリスティーナは残っている仕事に取り組むため、側近と共に城の執務室へ向かう。その途中、彼女は廊下で立ち止まり、王城の外に広がる街を眺め始めた。
「どうかなさいましたか。顔色が優れないようですが、クリスティーナ様?」
「嫌な予感がするんだ……あのとき、悪童は絶対に殺したはずなのに」
彼女の記憶の中では、確かにギルダは死んだはず。しかし、件の戦争を彷彿とさせる事件が立て続けに起こると、自分の記憶に確信が持てなくなってくるというものだ。
この事件を仕組んだ敵は「俺の正体を確かめてみろ」と挑発しているような気がして、不安を駆り立てる。
「悪童め……」
ふと、過去にギルダと戦った前後の記憶がフラッシュバックする。
ひたすら剣を振るう自分。彼女の盾となって倒れた仲間。バラバラにされた死体。あの頃はヤツのせいで嫌な思い出ばかりだ。二度と戦いたくない相手なのに。
そのとき――。
「不味いのではありませんか、姉上?」
声をかけてきたのは、クリスティーナの弟であるジュリウス。高価な装飾が施されたジャケットを身に纏う彼は、取り巻きの貴族を複数人連れていた。
「姉上、今のあなたの地位は、悪童を倒したことで認められてきた部分が大きい。しかしそれが、実は倒されてなかったとなれば、国民や貴族の関係者は姉上をどう思うでしょうか?」
「私は王女に相応しくない、と?」
クリスティーナは弟の顔を睨み付けた。
しかし、彼女の鷹のように鋭い目つきにも臆することなく、彼は歪んだ笑みを浮かべながら言葉を発し続ける。
「多大な犠牲を無駄にして、再び数年前の悲劇が繰り返されるかもしれない。もしこれが本当に悪童の復活ならば、国民は皆、姉上のことを詐欺師だと思うでしょうね」
「私の体裁など、どうでもいい。今は事実を確認し、被害を抑えることが先だ」
「まあ、いずれ姉上が王女である是非を問わせてもらいますよ。ま、もし悪童が生きていれば詐欺罪での処刑は免れないでしょうがね」
弟はすれ違いざまにそう言うと、取り巻きの貴族たちと廊下の端に消えていった。自分を失脚させるための作戦会議でも始めるつもりだろうか。彼らから送られていた視線はどこか刺々しく、疑いの感情が込められていた。
「全く、ここの連中は自分の椅子のことしか考えないな。現地では国民が危機的状況に置かれているのに……!」
「クリスティーナ様……」
「皆、分かってないのだ。ヤツがどんなに危険なのか!」
クリスティーナはその辺にあった大理石の柱を、素手で思いっきり殴った。
彼女は貴族や弟たちの言動に心底苛ついていたのだ。あの悪童が甦ったのかもしれない。そんな状況に、自分の胸は焦燥感でこんなにも張り裂けてしまいそうなのに。
「一刻も早く、真相を確認したい!」
クリスティーナは不安を押さえきれなかった。
今の自分は、腕の立つギフテッドを集めた勇傑騎士団も、国宝級の強力な武器も持っている。それを存分に使わずして報告を待つなど宝の持ち腐れだ。
「そのために、私は城を留守にするぞ!」
「えええっ!」
「影武者は任せた! お前なら、きっと上手くやれる!」
かつて兵士として前線に立っていたクリスティーナ王女。当時の血が騒ぎ、彼女を戦場へと駆り立てる。
「お、お待ちください! 王女様!」
「すまぬ!」
後方で自分を呼ぶ側近の声が聞こえるが、それを無視して走り出す。
クリスティーナは責任を感じていたのだ。
自分が、多くの民を守らねば。
あのとき、しっかりと止めを刺しておけば、こんなことにならなかったのかもしれない。
かつて戦争で、ギルダに深手を負わせられたのは自分だけ。あの狡猾な獣に太刀打ちするためには、もう一度自分をぶつけるしかない。
クリスティーナは寝室でミスリルのライトアーマーに着替えると、白いオーバーコートを纏い、顔を隠すゴーグルを装着して城を出た。
「それじゃあ行ってくる!」
「お待ちくださいクリスティーナ様! クリスティーナ様ぁ!」
「私は、行かねばならぬのだッ!」
「我々勇傑騎士団もお供いたします!」
白馬に跨がり、街道を突っ走っていく騎士団。
その行き先は、すでに決まっていた。確か、最近魔族が国境近くの森林に現れた、という通報があったはずだ。たった一人で冒険者の四人組を返り討ちにし、さらに熟練冒険者パーティも任務中に行方不明になっている。
もしかしたら、ギルダが作戦準備のために下見に現れたのかもしれない。もしくは、そこに隠れ家を構えているか。
ギルダほどの強さを持つ魔族ならば、単独で冒険者を退けたことにも納得できる。
そこに行けば、ギルダと遭遇する可能性が高い。
闘志を燃やしながら、街道を移動する馬車を次々と追い抜かす。その麗しい金髪の後姿は、多くの者の目を惹いた。
「もしお前が生きているなら、今度こそ終わりにしてやるからな、悪童!」
このとき、クリスティーナの脳内には「カジ」という魔族の存在は浮かばなかった。
彼女がカジと出会うのは、もう少し先の話である。
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