第32話 蹂躙殲滅

 その日も、カジとシェナミィは街を見渡せる崖の上から、森の木葉の陰に隠れ、ひっそりと誰にも気付かれぬように騎士団や冒険者の動向を覗っていた。


「ねえねえ、カジ!」


 そのとき、本人お気に入りスコープ越しに街を眺めていたシェナミィが、カジへパタパタと走ってくる。


「街の騎士団が動き出したよ!」

「とうとう来たか……」

「でも、こっちとは別の方向に移動してるよ?」

「貸せ」


 カジはシェナミィからスコープを取り上げ、街の門へレンズを向ける。

 視界に入ったのは、南の方角へ移動している騎士団の連中。その中には勇傑騎士のリミルらしき金髪の男も確認できる。

 彼らの向かっている方角からして、森林に潜伏し続けているカジを再調査しに出たわけではなさそうだ。おそらく、この地域から撤退するつもりだろう。


「ヤツらは俺たちの追跡を諦めたらしい」

「え、やった! 私たちの粘り勝ちだね」


 カジとシェナミィにとって、自分たちを逮捕しようとする騎士団は目の上の瘤だった。彼らが消えたことで、魔族領に入ろうとする冒険者の駆逐に専念できるだろう。


 しかし、そう喜んでもいられなかった。

 カジの心の中には、モヤモヤとした暗雲のような、先の見えない不安が押し寄せている。


「……何か、嫌な予感がするな」

「どうして? 少しは冒険者を倒しやすくなったでしょ?」


 シェナミィはきょとんとした顔で、カジの目を覗き込んでくる。


「問題は『どうして騎士団が撤退したか』なんだよ。前にやったモンスターの襲撃程度で調査を打ち切りにする連中でもないだろ」

「まあ……そうだね。それは気になるかも」


 シェナミィは首をかしげ、去っていく騎士団をぼんやり見つめていた。


 その一方で、カジには撤退の理由について、ある程度察しはついていた。

 この近くで何か重大な事件があり、その対処のために、近隣の駐在所から騎士や兵器を集めている、といったところだろうか。


 しかも、このタイミングからして、ギルダが拷問官の職を解かれたことと関係している可能性が高い。彼の性格を考えれば、初手に陽動として何か騒ぎを起こし、その裏で工作を仕掛けるはずだ。

 今回の件は、おそらく陽動。すでにギルダは王国内のどこかへ身を隠し、より人間族に大きなダメージを与えるための準備を進めている。もしかしたら、自分たちの近くまで来ているかもしれない。


「一体、何をやったんだよ、アイツは……」


 カジはシェナミィに聞こえない小さな声で呟いた。

 ギルダほど他人を陵辱することに長けている魔族は他にいない。どこまでも冷酷で、かつて共闘した経験のあるカジですらも、彼の残虐行為には背筋が凍るような感覚を抱いた。


「まさか、あれをやるつもりじゃないだろうな……」


 ギルダがこの後に何をやるかは、大凡予想がつく。

 そのことを、シェナミィには黙っていた。きっと、彼女はギルダの残忍さを決して受け入れることはないだろう。

 一体、ギルダが何をやらかしたのか、情報収集する必要がありそうだ。


「ところで、お腹空いたね、カジ?」

「いや、俺は別に……」

「じゃあ、騎士団撤退祝いに、豪華な料理作っちゃおう」

「ったく……」


 シェナミィは普段から能天気なヤツなのか。それとも、自分と一緒にいるから安心して素を出しているのか。カジにはまだよく分からない。


「肉料理がいいな。ドーンとでっかいヤツ」

「結局、俺に作らせるんだろ?」

「いいじゃん。カジの方が料理得意なんだから」

「少しは料理を練習しなくていいのかよ。料理の下手な女はモテないぞ」

「私の短所すら受け入れてくれる旦那さんと結婚する予定だから、問題ないもーん」

「いるのかよ、そんな男……所詮、短所は短所だろ」

「カジは相手の短所も愛おしいと思えるような恋をしたことがないのね、可哀想に……」

「うるせぇな……余計なお世話だ」

「ふふふっ」


 シェナミィとギルダを絶対に出会わせてはいけない。

 カジはシェナミィの微笑みを見つめながら、そんなことを思った。





     * * *


 一方、カジの不安は現実のものになろうとしていた。


「焼け! 家も、畑も、食料庫も!」

「燃えろ燃えろ! ヒャハハハッ!」


 ギルダは数人の部下を引き連れ、業火に囲まれた村の中を歩いていく。

 燃えているのは、人間族の家や畑。緑の木々や黄金色の作物に囲まれた小さな田舎町は一瞬にして、炎と灰の地獄へと変貌した。


 ここは占拠された砦に近い農村。

 駐在していた騎士が砦へ応援に向かった隙を狙い、ギルダが農村に奇襲を仕掛けたのである。砦に戦力を集めさせるのが本当の目的で、戦力の薄くなった地域を蹂躙していく。


 そんな中、ギルダは村外れの森の中に、隠れるようにして逃げていく村民たちを発見した。


「逃がすと思ったか!」


 ギルダは常人離れした跳躍力で一気に逃亡者たちとの距離を詰めると、彼らの前に立ち塞がる。


 ギルダの瞳は真っ赤に光り、抜いた剣は血に飢えていた。その刃は小魚の群れに飛び込んだ肉食魚のように、逃げ惑う農民を片っ端から次々に斬り刻んでいく。血の飛沫、垂れる臓器、刃に貫かれた肉体。農民は凶刃にバタバタと血の海に倒れていった。


「クソッ! これ以上、貴様らの好きにはさせん!」

「皆、かかれ!」


 それでも、ギルダに抵抗しようとする農夫も僅かにだがいた。各々、手に鉈や槍を持ち、剣を振るうギルダへ、四方八方から一斉に、決死の覚悟で飛びかかる。


薄鈍うすのろが」


 ギルダは自分へ突撃してくる槍を潜って回避すると、腹を真一文字に両断する。その離れた上半身を蹴飛ばして農夫の仲間に当てて怯んだ隙に、刃を男の首へ突き立てた。


「ウゴッ……ゴフッ……!」

「安心しろ。家族まとめて死ねるんだからな」


 ギルダは剣を引き抜くと、彼の傍にいた妻子らしき人間も容赦なく切り捨てる。


 その後も農夫の抵抗に臆することなく、まるで貪欲な獣のように農民を狩るギルダ。

 すでに地面は流れた血で赤黒く染まり、川の如くどこまでも続いている。血も涙もない悪童にとって、相手が赤子だろうと女子だろうと関係ない。無抵抗だった農民までもが斬殺され、その農村の住民は誰一人いなくなった。いつも村にあった賑わいは消え、建築物の燃えるパチパチという音だけがそこに残っている。


 ふと、死体だらけの道を振り返り、ギルダは満足げに笑みを浮かべた。


「これだけ殺れば、あの女も食い付くだろ」


 今回、これによって王国騎士団の食料など補給物資を生産・備蓄する農村を一つ潰せた。

 敢えて農民を全滅させずに逃がし、軍の保護下で食料を食い潰させる手もあったが、それでは王国中央に君臨する王女クリスティーナへの挑発としては効果が薄い。


 彼女の守るべき民を、できる限り多く殺して死体を晒す。これは「お前の国を滅茶苦茶にしてやる」というメッセージなのだ。自分を慕ってくれる国民の生死に直結する問題ならば、あの女も動かざるを得ないだろう。


 そんな挑発を続け、王国最強の騎士である彼女を戦地へ引きずり出す。

 それが、ギルダの狙いだった。


「ほら、次行くぞ」


 次のターゲットである場所は、すでに決まっている。

 彼の握る剣は、猛獣の涎のように、ボタボタと血を滴らせていた。

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