第31話 災禍の具現

 砦からの連絡が途絶え、王国から偵察隊が派遣されたのは、その翌日の昼のことだった。


「まさか、こんなことが……」


 砦から少し離れた街道。

 空気に血が混じり、腐敗臭が風に乗って遠くまで届く。屍喰鳥がギャアギャアと空で歓喜の舞を踊り、蛆を産み付けようと大量の蝿がわさわさと蠢く世界。


 そこは、処刑場のようだった。

 砦へ続く道に沿って何人もの兵士が杭に打ち付けられ、まるで儀式のように並べられている。


「ああっ……何ということだ。ミリアム様が……こんな姿に」


 十字の杭に張り付けられた若い女性の死体。その銀髪から、辛うじて勇傑騎士ミリアムであることは分かる。

 しかし、胴や手足が刃物でズタズタに切り裂かれ、腹に開いた傷から内臓がどろりと飛び出しており、口には何本もの切り取られた男性器が差し込まれ、無惨な姿を晒している。


 王国内に多くのファンを持つミリアムの死は、そこにいた兵士を悲しませた。膝から崩れ落ち、顔を地べたへ伏せさせる。


「一体、誰がこんな真似を……」

「そりゃあ、魔族のクズ共に決まっているだろう!」

「しかし、ミリアム様は勇傑騎士の中でもトップクラスの強さを持つ御方です! 暗殺者アサシンの一人や二人、彼女の敵ではありません! それに、エドワード様だって一緒に駐留していたはずです!」


 砦には魔族の進軍に備えて、それなりの戦力を持つ勇傑騎士も多数いた。普段なら侵入者感知用魔方陣で暗殺者の存在にも気付き、返り討ちにできたはず。


 しかし、今の砦は魔族たちに占拠されている。王国軍の旗が焚き火で焼かれ、代わりに砦の頂上には魔王軍の旗が掲げられていた。


「とにかく、本部への報告を急げ! 応援部隊を要請するんだ! 何としても砦を奪還し、魔族共をこの地から駆逐せねば!」

「了解!」


 偵察部隊長は魔族に占領されてしまった砦を見上げた。

 近くには砦に配属されていたであろう兵士の死体が多数吊るされている。手足を切り落とされた者や、全身が火傷で爛れている者、腹部にナイフで侮辱的な言葉を刻まれている者――敵は明らかに敢えて兵士を徒に痛め付け、こちらを挑発している。


 今すぐ奪還に向かおうにも、周辺にはすでに多くの罠が張り巡らされていた。膨大な魔力を凝縮した魔法陣が地面に隠され、それに触れた者を爆発四散させる地雷と化している。先遣隊の兵士がこれを踏んで死亡し、近寄れない状況だ。


 さらに、砦に配備されていた兵器がそのまま魔族の手に渡っていることも脅威だった。

 高い貫通力を誇る対竜大型魔装弩砲ドラゴンスティンガーや、ミスリルの鎧で武装した防衛用機神ゴーレムハクトの認証コード、矢や魔術による攻撃を弾く高出力結界。


 あの砦を取り戻すには、一体どれだけの兵を犠牲にしなければならないのだろう。

 いや、そもそも、砦に潜入した敵は、どうやって侵入者感知用トラップを潜ったのだろうか。砦全体を囲むように魔方陣が張られているはずなのに、何らかの方法で不具合を誘発したのか。


 砦から救難信号は出ていなかった。つまり、敵は誰にも気付かれずに兵士全員を殺害したことになる。


「こんなことになるなんて、まさか、あの『悪童』が……」

「馬鹿なこと言うんじゃねぇ! アイツは王女様に殺されて、この世にはいないんだ!」

「でも、こんな芸当はヤツじゃなきゃ……」

「いいか! これ以上、仲間の不安を煽るようなことを言うな!」


 人間とは、不都合な事実から目を背けようとするものだ。

 かつて、王国に大きな災禍をもたらした悪夢の化身、ギルダ。彼の復活は、国民の慕う王女クリスティーナが嘘を吐いていることと、再び王国に壊滅的な被害が生まれることを意味する。

 彼に対抗できる人材も、勇傑騎士団の中でもかなり限られる。


 それ故に、偵察部隊長はその可能性を認めたくなかった。

 きっと、他の誰かが悪童の真似をしているだけだろう。本物ほどの実力がなければ、そのうちボロが出て自分たちで制圧できるはずだ。


 偵察部隊の面々はそんなことを祈りながら、その場に立ち尽くすしかなかった。





     * * *


 砦が魔族によって占拠されたという一報は、リミル率いる調査部隊にも届いていた。

 駐在所に届いた文書を大勢の仲間に囲まれながら黙読したリミルは、静かにそれを机上に置いて溜息を吐いた。


「残念ですが、ここでの任務は中断するしかないようです」


 再び森林への魔族調査を進めていた騎士団だったが、その決断に顔を見合わせてざわめく。


「な、なぜですか、リミル様! 我々は仲間を失った挙げ句、未だ魔族の証拠すら掴めていないというのに!」

「それよりも重大な事件が発生したからですよ」

「まさか、別の場所で魔族が……?」

「ええ。ここから南の砦が陥落したそうです」

「そんな……!」


 前回の調査では、昆虫型モンスターの襲撃で多くの仲間が失われた。それを仕掛けた魔族を討伐できなければ、彼らの魂に報いることができない。


 しかし、それ以上に砦の陥落は王国にとって重大な危機だった。

 神出鬼没で森に入った冒険者ばかりを狙うような単独の小悪党と比べれば、誰から見てもどちらが危険かは明らかだ。


「これから我々は、奪還作戦の応援部隊として、現地に向かいます。これは軍本部の決定です」

「……」


 皆、ここでの調査を中断しなければいけないことに悔しさはあった。

 しかし、誰も異論は唱えることはなく、送られてきた文書を見つめていた。ここは、本部の命令を呑むしかない。


「確かにここで散っていった同胞のことを考えると悲しいですが、だからといって奪われた砦を放置すれば、そこからさらに魔族は進軍し、王国内で多くの犠牲が出るでしょう」


 例の砦周辺には人々の居住地も多く、被害が及ぶ危険性がある。

 砦より先は、モンスターだらけの森林のように進軍を阻めるポイントが少なく、早急に押さえ込まないと深刻な事態は免れない。


 リミルたちは早急に支度を整え、駐在所から出ていった。


「ただ……」

「何か気になる点でもございましたか?」

「嫌な予感がするんですよ。我々がこうして動くことも、敵の侵攻計画の一部のような気がしましてね」

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