第30話 賊襲

 ギルダが収容施設を出て数日が経過した。

 人間族は未だその事態には気付いておらず、平常通りの警備体制で魔族への警戒を続けている。


 魔族領と王国のほぼ間に築かれた前線基地でも、その様子は変わらない。平原の隅に建てられたその巨大な砦も、いつも通りに兵士たちが過ごしていた。

 その夜、状況が一変することも知らずに。


 やがて日が暮れ、警備や訓練を終えた兵士たちが宿舎へ続々と集まってくる。

 そこに配属されれている勇傑騎士も酒場のカウンター席に腰かけ、世間話を肴にグラスを次々と空にしていく。


「そういえば、リミルのヤツが任務に苦戦しているらしいわね」


 そう話題を切り出したのは、ミリアンという若い女性の騎士だった。

 白銀の髪に冷たい目つき――それがトレードマークで、王国民の男性から高い人気を誇っている。


「ここから北の森に魔族が出た、っていう通報があってな、リミルが調査に向かったの」

「それで?」

「まだ具体的な証拠も掴めずにグダグダしてるんだってさ。ったく、情けない」


 ミリアンは発泡酒をゴクゴクと飲み干すと、浅く溜息を吐いた。

 勇傑騎士は国民から慕われる存在でなければならない。そのためには、あらゆる任務も完璧にこなす必要がある。小さな勝利の積み重ねの結果、今の王女と彼女率いる勇傑騎士が国内で人気を誇っているのだ。


「アタシたちが手伝いに行ってあげようかな?」

「やめとけよ。あの坊っちゃんにもプライドがある」

「プライド云々を守りたいがあまり、世間的な評価が崩れなきゃいいけど。いつまでも苦戦してたら、勇傑騎士全体の実力が疑われるわ」


 ミリアンは一緒に飲む騎士に苛立ちを見せる。机にグラスをコンコンと叩き、次の酒を催促した。


「ったく、お前は相変わらず飲み癖が悪いな」

「あら、エド」


 そのとき、別の勇傑騎士がミリアンの隣に座り込む。

 黒い短髪に、がっちりとした体格の彼は、エドワードという名の男性騎士だ。


「今日の見張りを済ませてきた」

「それで、エド、向こう側の様子はどうだった?」

「別に、何も動きはない。最前線だってのに、静かなもんさ」

「ま、いつものことよね」


 魔族と人間族の戦いにおける最前線に築かれた砦。

 谷を挟んだ向こうに広がる台地は、魔族が陣取っている地域だ。王国兵は魔族の侵攻にいつでも対抗できるよう神経を尖らせているが、戦闘の起こらない日々に気が少々緩んでいたのも確かである。


 その日も、特に魔族の大規模な動きは確認できなかった。偵察兵と思われる小さな集団が、かなり遠くからこの砦を観察しているだけ。砦の騎士にちょっかいを出すこともなく、ひたすらこちらの動きを見つめる。


「ったく、魔族も一昔前じゃ考えられないほど大人しくなったもんだ」

「ええ。あの頃は毎日のように死人が出てたらしいからね」


 ここ最近、魔族の活動は沈静化している。

 以前、マクスウェルが政権を握っていた頃は、魔族による押し返しが凄まじかった。領地拡大を目指した軍事侵攻に起因する戦争は、魔族の反撃によって兵の疲労が積み重なり、今の地域まで撤退せざるを得ない状況まで王国は追い込まれた。


「当時の荒れ具合と比べれば、現在は随分と平和さ。ま、この平和も長くは続かんかもしれんがな」


 騎士エドワードは、勇傑騎士団の中でも設立当初から所属していた男だ。くだんの戦争にも参加しており、最前線に立った経験がある。

 今では相当な実力を持つ彼も、当時は戦場の中で生きることに必死だった。対峙した兵を次々と屍へ変えていく凶悪な魔族と出遭い、多くの仲間を失っている。


「……ったく、体がまだあのときの恐怖を覚えてやがる」


 ウイスキーの入ったグラスを持つ手が微かに震える。その手には、当時の戦場で負った古傷があった。


「『騎士殺し』のカジ……か」


 エドワードは酒を一口含み、窓の外に目をやりながら考え込む。

 仲間を奪い、エドワード自身にも重傷を負わせたあの魔族の男は、今どこで何をしているのだろうか。魔族を率いる王になったという噂を聞いたことはあるが、それ以降は戦場に姿を現していない。魔族の寿命や戦闘記録から見ても、おそらく死んではいないだろう。


「じゃあな。俺はもう休む」

「おやすみ、エド」


 そのとき、カウンター席を離れるエドワードの視界に、テーブル席で飲む新米騎士たちが留まった。


「お疲れ様です、エドワード先生!」


 杯を高く掲げ、酔って赤い顔を向ける彼ら。

 昔の自分にも、彼らのような時期があったと思う。一緒に入隊した同期と、勝利を夢見て杯を交わす。


「二日酔いに気をつけろよ」

「はい! 明日も剣術をご教授お願いします!」


 軽く手を振り、エドワードは酒場を去っていった。賑やかな酒場を出ると、静かな長い廊下が待っている。夜勤の警備兵以外は酒場で夜更けを楽しんでいるか、すでに寝室で眠っているかのどちらかだ。


 エドワードは勇傑騎士団に与えられている一等寝室に入り、テーブルに置かれている魔力結晶ホットクリスタルのランプを灯す。淡いオレンジの光が、机上を照らした。


 エドワードは机の隅に置いてある写真立てを掴み寄せ、その中に写る男たちへ視線を落とす。

 かつて戦場で一緒に魔族と戦った仲間たち。戦地へ派遣される前に撮影されたものだ。兵宿舎の前に並んでおり、慣れない鎧の重たさにどこか笑顔がぎこちない。


 今はもう、そこに写っている中で生きているのはエドワードだけ。仲間の多くはカジの前に次々と沈み、その骨すら拾えていない。


「待っていろよ、カジ……もし貴様が戦場に戻ってきたら、今度こそ仲間の敵を討ってやる」


 その言葉を発した瞬間、エドワードの意識はプツリと途切れた。





     * * *


 椅子の横にゴトリと音を立てて落ちたのは、エドワードの頭部だった。首の断面からは、鮮血がプシャプシャと溢れ出る。


「ハッ、馬鹿が……」


 椅子に座ったままの死体の背後には、剣を握ったギルダの姿があった。刃から滴る血が、床に落ちた写真を汚していく。

 勇傑騎士エドワードはギルダの繰り出した一撃によって、抵抗もできずに暗殺されたのだ。


「ほら、やってみろよ、敵討ちをよ」


 ギルダはニタニタとした笑みを浮かべながらエドワードの死体を一瞥すると、彼を椅子から床に突き飛ばした。


「こんなんじゃ、勇傑も大したことねぇな」


 血によって赤く侵食されつつある寝室を、扉に向かって歩いていく。次の獲物を探すため、別の部屋に消えていった。


 ギルダの侵入に、砦の兵士はまだ誰も気付いていない。

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