第26話 闇の外科医

 その刃は、一瞬にして目の前まで来ていた。

 カジは当たる寸前のところで、グローブでそれを難なく掴み、攻撃を静止させる。


「……どういうつもりだ」


 剣の軌道は、確実にカジの首を狙っていた。

 おそらく、今のは彼の全力を出した一撃だろう。

 白髪の男は涼しい顔で、刃を受け止めたグローブを見つめる。


「ほぉ……防ぎましたか」

「交渉は決裂か?」

「いいえ、魔族がどれだけ本気なのか調べたかっただけです。この一撃すらも防げない雑兵を送り込んでくるようでは、あの御方も甘く見られているな、と思いましてね……」


 すると、男はすんなり剣を鞘に収めた。

 実力を試すだけに交渉を持ちかけている相手を殺そうとするなんて、随分と危ない連中だな、とカジは苦笑を漏らす。


「それで、お前たちは何が目的でギフテッドを集めている?」

「裏社会を統べる、あの御方の命令です」

「あの御方って、誰なんだよ」


 白髪の男は少し黙り込み、しばらく静寂が訪れる。

 彼はカジを鷹のような鋭い目つきで睨み、ゆっくりとその名を呟いた。


「外科医……ハワドマン」


 ハワドマン。

 それが黒幕の名前だった。


「治癒魔術が発達してるこのご時世に、外科医とは珍しいな。今は手術なんかしなくても、魔力を込めた祈祷で傷も病も治せるのに」

「フッ……いつかあの御方とお会いすれば分かりますよ。なぜ外科医なのか、ね」


 現在、外科医とは、この世界ではなかなか目にかかれない職業だ。


 昔、精霊紋章の解明やギフテッド用アイテムが発展していなかった時代、治癒魔術の代替として外科医が手術を行っていた。あらゆる傷や病の治療にメスや鋏が必要で、肉体を切り開かれる恐怖に多くの病人が治療を拒んだという。


 しかし、人体のメカニズムが解明され、治療用魔法杖や魔法薬が開発されて治癒魔術が効率化してくると、メスなどを使った治療は敬遠されるようになっていった。その結果、外科医は減少し、今ではほとんど見なくなっている。


 腫瘍や結石を治癒魔術で消すことができる時代に、まだ外科医が残っているのだろうか。


「……あなたの名前を聞いておきましょうか」

「カジだ。カジ・ラングハーベスト」

「ああ。知っています。かつて、多くの騎士や冒険者を退けた二大英雄の一人……ですよね?」

「ただの人殺しだ」

「英雄扱いはお嫌いですか?」

「フン……人間族から見れば、厄介者だろうに」


 男の少し気色の悪い態度に、カジは目を逸らした。


「それで、その御方に送られたギフテッドはどうなるんだ?」

「それは――」


 そのとき――。


「大変だ! 女が逃げたぞ!」


 奥でカジと男の対話を見守っていた盗賊たちが一斉に騒ぎ出す。武器を取り出し、闇の中へ飛び込んでいく。


 いつの間にか、シェナミィが盗賊の隙を突いて、囚われていた女性を逃がしたらしい。

 夜の森は視界も悪く、足場も悪い。はっきりと対象を捉えながらの追跡は難しいはずだ。街の方向へ逃げてしまえば、騎士団も駐留しているため盗賊も追えなくなる。この条件下なら、シェナミィも簡単に追跡を振り切れるだろう。


 白髪の男とカジはキャンプの中央で、シェナミィを追いかけていく盗賊たちを眺めていた。


「……どういうつもりです?」

「何の話だ?」

「あなたは、あのギフテッドを逃がすために、我々に接触してきたのではありませんか?」


 男は再び剣を抜き、カジへ斬りかかる構えを見せた。星空の明かりを反射し、刃がキラリと光る。


「そんなことをして、俺に何の得がある?」

「随分とタイミングが良すぎるものですから。魔族も一枚岩ではないでしょう?」

「一枚岩でないのは認めるが、お前たちが連れているギフテッドなど知らん。それに、獲物を逃がしたのはそっちのミスだろうが」


 男は苦虫を踏み潰したような顔でカジを睨み、カジもまた男を睨み返す。


「お前も逃げたギフテッドをさっさと追ったらどうなんだ?」

「私の見立てでは、あなたは完全にクロだと感じますがね。あなたほどの魔族が、我々の獲物を横取りしようとしているキツネに気付かないとは思えません」

「……だったらどうする?」

「こんな失態をあの御方が許さないでしょうが、せめて邪魔者は排除しなければ!」


 男は強く地を蹴り、再度カジへ斬りかかった。

 王国内の暗殺者がよく使用する特殊な剣術だ。盾や鎧といった防御の隙間を狙い、首や心臓といった急所を突く。刃が届く直前まで別の場所を斬るように装い、本命の位置はそのときまで隠しておく。刃の切れ味の消耗を減らし、相手へ確実に深く突き刺すために。


 カジがグローブで剣の軌道を逸らした直後だった。

 男のもう片方の袖から、隠されていたブレードが飛び出す。その切っ先は、カジの首に向かっていた。


「ここか!」


 しかし、狙いが分かれば防ぐことはできる。


 カジは咄嗟にグローブで刃を掴み、力を込めてそれを握り潰した。パラパラと破片が足元に散り、互いのブーツにカツンと音を立てる。


「これを防いだだと……!」

「何度も見てきた芸なんだよッ!」


 かつて何度も戦を経験し、暗殺者も退けてきたカジにとって、この隠し刃は想定内だ。

 カジは反撃として男の脇腹に強烈な蹴りを食らわせる。その威力は男が腹部に仕込んでいるプロテクターすら大きく変形させ、吹き飛ばした身体を近くの岩場に叩き付けた。


「あがぁ……うはぁッ!」


 勝負はついた。

 あれだけの強烈な一撃を受けて、まともに身体のバランスを取るのは不可能だろう。切り札である隠し刃も砕かれ、男にはカジを倒す術が残されていない。


「別に、俺はお前らを殺すことが目的じゃない。どうしてギフテッドを攫っているのかを教えてくれれば――」

「ああっ……申し訳ございません、我が主よ。あなたのコレクションを逃がしてしまい、邪魔者すら、消すことは叶いませんでした。償いは、この命を以って――」


 男は折れた刃を自分の喉元に当てると、頚動脈を切り裂いた。


「ガボッ……ゴボッ!」

「お前……」


 男が血の海へ沈んでいく様子を、カジは呆然と眺めていた。


 絶対に痛く苦しいはずなのに、男の顔はどこか幸せそうだった。

 まるで、長らく続いた恐怖から解放されたかのように、穏やかな表情をしている。


 他の盗賊団員は森に消えており、そこに立つのはカジだけとなった。

 外科医ハワドマンに関する情報を、これ以上得るのは難しいだろう。


「……じゃあな」


 男からの返事はない。完全に絶命している。

 カジは踵を返し、自分の拠点へ歩き始めた。


 今は、シェナミィが隣にいない。彼女がいたならば、自害した男の最期に何を思っていただろうか。そんな疑問が、カジの頭にぼんやりと浮かんだ。


「アイツがいないと、こんなに静かだったか」


 明日、マクスウェルのもとへ報告に戻らねば。

 得られた情報は決して多くはないが、さらなるキーワードは獲得できた。「外科医ハワドマン」と「コレクション」。

 一体、その外科医は珍しい精霊紋章のギフテッドを、何のためにコレクションにしているのだろうか。


「ったく、何を考えているんだか……」


 カジはブツブツと独り言を呟きながら、夜の闇に消えていった。

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