第18話 ギフテッド

 初めて見る魔族領の景色に、シェナミィは湧き出る興味を抑え切れなかった。

 雄大な自然に、巨大な城。その下に広がる城下町。

 彼女はその様子をスコープであちこち覗き込んでいた。


「あの鉱山に行く途中に小さな街があって、好奇心で遠くから覗いてみたの。そしたら、幼い頃にスコープで見た街の景色と、銃のスコープから見えた魔族の街の景色がほとんど一緒だった。皆、買い物したり、お喋りしたり、子どもと遊んだり、私の故郷と似た生活風景が広がってた」


 衝撃的な光景だった。

 王国内で野蛮な獣扱いされている魔族が、自分たち王国民と似たような生活を送っている。肌や目の色が違うだけで、あとはほぼ同じ。住居も、言葉も、愛情の形も。


 初めて見る魔族の生活に、シェナミィは戸惑った。

 これから自分たちは彼らを撃たなければならないのか。

 そんな迷いを抱えたまま、彼女は依頼の要である鉱山へ侵入することになる。


「鉱山を警備していた兵士にも家族がいて、死んだら家族が悲しむんだろうなぁ、なんて思ってたら、トリガーを引くのが怖くなった。スコープに写る相手の顔を直視できなくなって、手が震えるの」


 だから彼女は襲撃時、敵兵士の脚を撃った。

 これなら命まで奪わなくて済むだろう、と。


「この森で冒険者の活動を妨害していたのは、ここを抜けて魔族領に入るのを阻止すれば無駄な血を流さなくて済むと考えたから」


 依頼達成後、彼女はマーカスのパーティを無断で抜けた。

 酒場で打ち上げをする彼らは殺した敵兵の数を自慢し合い、その嘲笑だらけの雰囲気に耐えられなくなったのだ。今頃、彼らに家族を殺された誰かが泣いているのだろう。そのことを考えると、用意された食事や飲み物が喉を通らなかった。


「ねえ、カジ? 私たち、どうして同じような暮らしをしているのに戦争になるんだろうね。家族が死んだら辛いことも分かっているのに。自分が死んだら家族を悲しませることも分かっているのに……」

「……」

「どうして戦いって起こるんだろう」


 シェナミィはそこまで話すと、俯いて黙り込んだ。


 ようやく打ち明けてくれた過去。

 その内容に、彼女と組み続けるか否かの答えはもう決まっていた。


「シェナミィ、お前はさっさと家に帰れ」

「えっ……」

「やっぱり、お前と俺は仲間同士にはなれない。俺たちは生きる世界も価値観も違い過ぎる」


 彼女は個々の命を大切に思い過ぎている。

 それ自体は悪いことではない。

 しかし、この場にいるのは大きな過ちだ。


「お前の考え方が間違っているとは思わない。だが、お前は田舎で農業でもしながら家族を大切にする方が性に合ってる」

「でも、そんなことをしてる間にもどこかで戦いは行われて――」

「それはもう諦めろ。この森で冒険者や魔族の活動を妨害したって、政治や軍に大きな影響は及ぼせない。それに冒険者の妨害工作なんか続けていたら、いつかお前のことを目障りに思った連中が殺しに来る。そうなったとき、お前には逃げる場所があるのか? 魔族は勇者なんぞ受け入れないし、王国もお前を疎ましく思うはずだ」


 もしこのまま彼女と冒険者の妨害活動を続けていけば、やがてそれは積み重なって大きな歪みになり、疎ましく思う者が多く現れる。

 カジは魔族領へ逃げ込むことができるが、シェナミィの場合はそうはいかない。


「このまま行けば、お前はいつか殺される」

「うん……」

「せっかく俺が救ってやった命だ。見逃してやるから、お前はもうここから失せろ」

「でも……」

「お前は今ならまだ処罰されなくて済む。俺と組もうとしたことは隠して、騎士団には『森で魔族と戦っていた』と伝えろ。そうすれば、お前は自由に生活できる」


 カジの言葉に、シェナミィは立ち上がって荷物をまとめ始める。怪我や魔力切れを起こしたばかりだが、森を抜けて街に帰れるほどの体力はあるはずだ。

 彼女は武器の収納されたケースを担ぐと、小屋の出口に向かって歩いていく。


「カジ、最後に伝えておきたいことがあるんだけど」

「何だよ」

「私ね、陰潜虎トリスティスに腹を噛まれたとき、もう死んでもいいって思ったの。いつか誰かに嘲笑われながら殺されるくらいなら、ここで死んだ方がマシかもしれないって。加護を持つ者ギフテッドとして戦い続けることは、私にとって辛いことばかりだから……」


 シェナミィは死の間際、微笑んでいた。

 あの顔にはそういう意味があったのだろうか。


 自分の生き難い世界から離れたい。

 自分が誰かを殺すことによって誰かを悲しませたくない。


「お前は優し過ぎるんだよ、シェナミィ。世の中っていうのはどこもかしこも底なしの悪意に満ちてるんだ。いつかお前の優しさにつけ込まれて傷付くことになるぞ」

「そんなこと、分かってる……だけど」

「早く街に帰れ。それから、俺のことはキッパリ忘れろ」


 きっとこのまま一緒にいても、彼女にとって良い未来は訪れない。

 ならば手遅れになる前に、さっさと手放すだけだ。


「それじゃ、ありがとうカジ。あなたに会えて色々と勉強になった気がする」

「そうかよ」

「こんなこと、誰も真剣に聞いてくれないからさ。否定されるって分かっていたけど、私のことをちゃんと考えてくれているのが嬉しかったよ」


 彼女は震えた声でそう言うと、廃墟から姿を消した。

 足音も徐々に遠くなっていき、木葉が風に揺れる音で聞こえなくなる。


 これでよかったのだ。

 彼女はこんなところにいるべきではない。

 家庭を作ってのんびり暮らしていた方が、彼女にとって幸せに――。


 そこまで考えて、ようやく気付いた。


「どうして俺はアイツの幸せなんか願ってるんだろうな……」


 彼女はもう、ここにはいない。

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