第2章 王女襲来

第4節 ギルダ

第28話 悪童の復活

 カジは定期連絡のために、魔族領に戻っていた。

 夜の路地裏に構える寂れたバーの前に立ち、ドアを潜ると、カウンター越しにマスターの女性が笑顔で迎えてくれる。


「あらぁ、いらっしゃいませ」

「ど、どうも……」

「今日もタワークラッシュフルーツパフェでいいかしら?」

「じゃあ、お願いします……」


 下戸であることを知られたせいか、どこか子ども扱いされているような気がする。


 カジは頬を引きつらせながら、先に入店していたマクスウェルの隣に腰かけた。カジは懐から最近の冒険者や騎士団の動きを記載した調査報告書を取り出すと、カウンターの上を滑らせる。


「カジ。お前に報告しなくてはいけないことがある」

「何です?」


 マクスウェルは少し間を置き、息を深く吸い込んだ。目を閉じ、その報告を伝えていいのか悩んでいるようにも見える。


 あのいつも陽気な爺さんが、珍しく緊張している。

 余程重要なことなのだろうか、とカジの緊張も高まった。


「実は、アルティナが――」


 なんだ、お前の孫のことか。

 心配して損した。


 いつも聞きたくもないのに聞かされる孫の近況報告。孫から浴びせられてショックだった罵声とか、孫と遊びに行った場所だとか、至極どうでもいいことを延々と話してくる。途中で話を遮ることは許されず、こちらは頷き続けるしかない。過酷な懲役数十分だ。


 カジはそんなことを思ったが――。


「アルティナが……『悪童』の復帰を許した」


 悪童。

 それは、とある人物の呼び名だ。

 かつてカジと一緒に前線で多くの冒険者や騎士団を退け、魔族内で二大英雄として称えられた男。

 現在は収容施設の拷問官として多くの人間に耐え難い苦痛を与え、地獄へ送っている。


「それは……大変ですね」


 カジはどう返答したらいいのか迷った。

 悪童の復帰、ということはつまり、拷問官の職が解かれヤツが再び軍人に戻る、という意味だ。また自分と一緒に戦場に立つつもりだろうか。


「ギルダが……」

「儂も危険だとは思ったんだが」

「……」


 カジは自分の前に置かれているフルーツパフェを見つめ、しばらく黙り込んでいた。

 今、アイツは何を思って復帰を望んだのだろうか。戦乱の予感が、カジの胸に澱む。






     * * *


 その頃、収容施設にて。

 煉瓦の壁に囲まれた薄暗く狭い空間の中央に置かれた椅子に、人間族の男が縛り付けられている。彼の衣服は全て剥かれ、部屋の冷気に晒され震えていた。


「も、もう俺の知っていることは全部話した! だから、早く止めてくれ!」


 背中や腹に深々と突き刺さった針やナイフ。敢えて急所を外し、痛みを与えながら男の命を維持させている。


 カジと対峙して敗北した、マーカスという男。

 その末路は、収容施設へ運ばれ、処刑を兼ねた拷問を行われるというものだった。終わりの見えない痛みに、彼の肉体も精神も限界に近づいている。


「別に止める必要なんてないだろ? この拷問はな、処刑も兼ねているんだからな」


 マーカスの前に立つ魔族の男。

 長く伸びた黒髪の間から覗く目が好戦的にギラギラと輝き、激痛に縮こまるマーカスを睨んでいた。

 彼は白いエプロンのポケットから太く長い針を取り出すと、マーカスの手の平から腕の中へ、針を強引に突き刺していく。


「ぎゃああああああああああああああああッ!」

「ハハハッ! まだそんなに悲鳴を上げる元気があるのか。こりゃあ、まだまだ楽しめそうだな」


 針を抜いては刺し、抜いては刺しを繰り返す。


「このギルダ様が拷問係として執り行う最後の仕事だ。お前には華々しく最期を決めさせてやろうじゃねーか」


 そのとき、鈍い音を立てて、部屋の入り口にある金属製の扉が開かれる。


「あん? 誰だ?」

「新たに魔王へ就任されたアルティナ様の副官として参りました、ラフィルと申します」


 かつてカジの後輩として従軍していたラフィルという男。彼は戦闘能力の高さを認められ、魔王副官の座に就任していた。


「貴方が『悪童』ですか」

「おいおい。坊主。いい加減『悪童』っていう呼び名はやめてくれよ。俺はもうガキじゃねえんだ」

「では、何と呼べばよろしいですか?」

「うーん、でもやっぱ『悪童』だな。いざ尋ねられると思い付かねぇ」


 その会話に、マーカスは目を見開いた。痛みに固まっていた表情が、恐怖でさらに強張る。


「あ、『悪童』だと! 確か、何年も前、クリスティーナと戦って死んだはずじゃ――!」

「それが今こうして生きているんだな、これが」


「悪童」という呼び名は、人間族の中にも広く知られていた。

 数年前の激戦で散ったというのが、世に広まっている説。しかし、実際は死んでおらず、この収容施設で人知れず拷問と処刑を続けていた。彼の生存を知るのは一部の魔族と、これから処刑される予定の人間族のみ。


「俺の呼名を知ってくれてるなんて、嬉しいね」

「アガァァッ!」


 ギルダは微笑むと、マーカスの太腿にナイフを突き刺した。


 悶えるマーカスに、ラフィルは戸惑いつつも、キルダとの会話を続けていく。


「貴方に任務を与えます。内容を伝えたいので、一緒に来てほしいのですが――」

「いやいや副官殿、俺はまだこちらの冒険者様を拷問している最中ですよ」

「しかし、アルティナ様が――」

「ああ、でも……それもそうですねぇ」


 ギルダはニヤリと笑い、腰から二本の剣を抜き出した。ギラリと光を反射する刃に、恐怖で硬直したマーカスの顔が映っている。


「さ、俺の上司が拷問を終わらせることをお望みらしい」

「えっ?」

「さ・よ・な・ら・だアアアアアッ!」


 この拷問の終わり。

 それは、マーカスの死を意味していた。


 ギルダはマーカスの腹部を二本の剣で貫くと、そのまま真横へ一文字に腹を切り裂いた。


「ぎゃあああああああああッ!」

「アッハッハッハーッ! いいねぇ!」


 痛みと死の恐怖で絶叫するマーカスとは対照的に、ギルダは高らかに笑い、開いた傷口から腸をずるずると引き抜いた。噴き出す鮮血を浴びて、ギルダの白いエプロンは真っ赤に染まっていく。


「……死んだな」


 マーカスがピクリとも動かなくなると、ギルダは手に掴んでいた腸をその辺にポイと投げ捨てた。


「ほら、死体の処理は任せたぜ」

「えっ、私が……?」

「じゃあな」

「ちょ、ちょっと!」


 ギルダは赤黒く変色しつつあるエプロンを脱ぎ捨てると、その拷問部屋を出ていった。

 マーカスの死体の下から、床にポタポタと血液が垂れる音がする。部屋に充満する、むせかえるような血の匂い。


「本当に、あんな人を復帰させるのですか……アルティナ様?」


 しばらく、部屋に一人取り残されたラフィルは呆然と死体の前に立ち尽くしていた。

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