第20話 マーカス
カジが食材・薪集めから拠点に戻ったとき、見知らぬ冒険者たちが周辺を荒らしていた。焚き火を作り、「あのときヤった女はよかった」とか「あとで俺もあの女で楽しもう」などと談笑をしている。
「おい、誰なんだよお前らは」
「ああん? そっちこそ誰だって――」
「失せろ」
「ウゴッ!」
カジはシェナミィが近くにいないのをいいことに、そこにいた男二人を何度も殴った。
今なら誰を殺しても文句は言ってこない。
しかし、止めを刺そうかと思ったとき、近くからシェナミィのすすり泣く声が聞こえた。
その声にカジの手は止まり、半殺しにしていた冒険者は小屋の方へ逃げていく。
「逃げろマーカス……こいつは化け物だ!」
彼の放った言葉に、カジの視線は目の前に立つ男へ移った。
ああ、こいつがマーカスなのか、と。
先月の魔族領内で起きた鉱山襲撃事件の犯人。魔族軍から指名手配され、一刻も早く報復が望まれている男性冒険者である。
こんなにも早く遭遇するなんて想定外だったが、カジにとって嬉しい誤算でもあった。ここで彼を捕らえれば、報復を実行することができる。
「だ、誰だテメェ!」
「カジ・ラングハーベスト。お前を捕まえに来た隠居だよ」
「テメェが俺の仲間をやったのか!」
「ああ、そうだよ。勝手に俺の拠点を荒らされて腹が立ったからな」
「ここがお前の拠点だと?」
マーカスはチラリと周囲を見渡した。そこに広がるのは草木に侵食された廃墟である。この開拓基地は何年も前に放棄されたはず。モンスターも彷徨っているため、常人なら入ることすら躊躇われる場所だ。
「そうか! お前がこの森に出没する魔族か!」
「そんな風に俺の噂が広まっているらしいな」
国境近くの街に広まっている噂。
それは冒険者カイトのパーティが依頼実行中に遭遇したとされる魔族の話だ。カイトたちを全滅寸前にまで追い込み、その後、姿を消している。
だが自分にはそんなこと関係ない。カイトは新米だからそこらの警備兵にでもやられたのだろう、とマーカスは噂の魔族を侮っていた。
しかし現にその人物が現れ、自分の手下を二人倒してしまった。手下もそれなりの強さを持つ男をパーティに入れたつもりだったが、マーカスの依頼遂行の計算が一気に狂う。
「魔族なら、ここで倒すまでだ!」
その瞬間、マーカスの左腕の紋章が強く光り、氷魔術を発動させた。マーカスの周囲に形成された何本もの氷柱が、一斉にカジへ襲い掛かってくる。
「こんな場所をウロウロしているなんて、どうせ斥候の類なんだろ! そんな雑魚は俺の手で――」
「遅い」
カジは魔術の発動を見て走り出すと、マーカスへ接近しながら氷柱を拳で粉々に砕いていく。ときには身を翻して氷柱の弾幕を潜り抜け、マーカスの目の前に着地した。カジの後方では、砕かれた破片や外れて地面に当たった氷柱がダイヤモンドダストのように霧散する。
「なっ……俺の魔術が……!」
一方、敵の急接近に怯えたマーカスは、腰に掛けていた剣を咄嗟に抜いた。
そして――。
「ハアアアアアアアアツ!」
マーカスは剣に溜めていた膨大な力を一気に解き放つ。それは凄まじい一閃となってカジに襲い掛かった。
しかし――。
「どこを狙ったのか分からん太刀筋だな」
「ば、馬鹿な……!」
カジはその攻撃も、堂々と目の前で受け止める。防御に使ったのは片手だけ。
普通の冒険者と比べればまあまあ強い一撃ではあったが、カジの防御を突破できるほどの威力ではない。勇傑騎士団の連中と比べると実力は格段に劣る。
「あっ……!」
「……」
カジは懐からナイフを引き抜き、マーカスの利き腕を切り落とした。
ゴトリと剣ごと石床へ落下し、心臓の鼓動に合わせて血飛沫が溢れ出る。
「ぎゃああああああっ! 腕があああああっ!」
悲鳴を上げるマーカス。
カジは間髪容れず、さらに彼の股間を蹴り上げた。
「うがああああっ! あああああああっ!」
今まで味わったことのない痛みに悶絶するマーカス。内臓から様々なものがこみ上げてくる感覚に襲われた。
自分の誇り――強い雄の象徴である彼の性器は、カジの蹴りによって機能を失ったのだ。
「何でだよ……な、何なんだよテメェは……ふざけやがって……何で
「何を言ってるんだ、お前」
「ぎゃああああああああ!」
カジは残ったマーカスの腕をグリグリと石床に踏み付けた。
圧倒的な実力差に、マーカスの表情は絶望に染まっていく。自分の磨き上げてきた力も技も全て通用しない。
「こ、これから俺をどうするつもりなんだ!」
「さぁな。俺の元部下で腕の立つ拷問官にでも預けてやるよ」
「い、嫌だ! 拷問だけは! 頼むからここで殺してくれ!」
魔族の捕虜となる苦しみは、魔族との戦いに立つ者は皆知っている。必要以上に繰り返される拷問に、いつ死が与えられるか分からない恐怖。それはまさにこの世の地獄だ。
マーカスは長い冒険者生活の中で、何度かそんな恐怖に溺れながら死んでいった冒険者の話を聞いたことがある。「捕虜になるくらいなら、自害した方がマシだ」と。それ故に、今のマーカスは完全に怯えていた。どうにかカジの拘束から逃れようと必死にもがく。
「こ、こんなところで!」
「俺のキャンプ地を『こんなところ』なんて表現はないだろ……」
そのとき、半開きになった小屋の扉から、奥に縛り付けられているシェナミィの姿が見えた。石床に横たわり、全裸で涙を流している。
「何だ、お前。あの女を犯そうとしてたのか?」
「そ、そうだ! アイツをお前にやるから見逃してくれ! 胸も尻も豊満で、いい感じに遊べる仕上がりになってるんだ! それに、アイツは冒険者なんだが、珍しい場所に精霊紋章が現れているんだ! アイツを見世物小屋にでも売れば、それなりの金に――」
必死の形相で饒舌にシェナミィをカジに売り込もうとする男。
マーカスはカジとシェナミィの関係を知らない。
命乞いもここまでくると、哀れに思えてくるものだ。
「残念だが、俺にあの女は勿体ない」
「な……何だと? うぐぅ!」
カジがマーカスの顔面を力強く踏みつけると、メキリと音を立てて動かなくなった。下に広がる石床の音だったのか、マーカスの頭蓋骨の音だったのか、カジには興味が湧かなかったが。
これでしばらく手下共々マーカスが起き上がることはないだろう。カジは彼らを縄で拘束すると、シェナミィのもとへ歩み寄る。
「おい、大丈夫か?」
「うん……」
シェナミィを拘束する麻縄を解くと、彼女は冷たい体でカジに抱き付いてくる。余程恐怖を感じていたのだろうか、カジにしがみ付くその身体はブルブルと激しく震えていた。
「悪いな。少し夕飯の食材を調達してて遅くなった」
「カジ……カジぃ……!」
「もう大丈夫だ。お前を襲おうとするヤツは、もうここにいない」
「うん……」
「ほら、体が冷えるから早く何か着ろ。今から俺はアイツらを魔族領へ送ってくるから、夕飯は自分で作れよ?」
こうしてカジは廃墟にシェナミィを残し、指名手配されていたマーカスとその手下を軍へ突き出すことになったのだ。
その場で殺さなかったのは、シェナミィへの配慮である。
マーカスたちを軍に送っても、この場で殺害しても、きっと彼らの運命は変わらない。
それでも裁判の下で殺される方が、シェナミィも納得してくれるだろう。どっちにしても、彼らからは鉱山襲撃に関する情報を尋問しなくてはならない。あとの取り調べは拷問官に任せておくしかないが。
シェナミィは冷えた体を毛布で温めながら、魔族領へ戻っていくカジの後姿を見守っていた。
* * *
それから数日後。
カジは廃墟へと戻ってきた。
「あっ、おかえりカジ!」
「お前……まだいたのかよ」
相変わらず、シェナミィはハンモックで寛いでいる。
「どうして街に戻らなかった?」
「街に戻ったらさ、私のことを騎士団が探しているらしいんだよね。なんか尋問されるのも面倒くさいし、こっちに戻ってきちゃった」
「いいのかよ、それで……」
「うん。いいの。だってこっちにはカジがいるでしょ?」
シェナミィはハンモックを降りると、スキップしながらカジを焚き火へと誘導していった。
「カジに色々と助けられて思ったんだぁ」
「何を?」
「私、カジとなら結婚してもいいかなって」
「……えっ?」
「ふふっ、冗談に決まってるでしょ!」
そう言って、彼女はニコニコしながらカジの腕を抱いてくる。
完全に彼女のペースに乗せられている気がするが、不思議と悪い気分にはならなかった。
こんな感じで、シェナミィとの奇妙な共同生活は続いている。
まだ世界のあちこちに戦乱の種は残っているが、それでも今は束の間の休息を堪能したい。
カジは顔を赤くしながらも、彼女を抱き寄せたのであった。
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