第16話 儚い憧れの鼓動
森林近くの街、フルフィウスに戻った調査団は
いつもは酔っ払った人間で賑やかな酒場だが、今日は騎士団の物々しい雰囲気が漂う。酒を口に入れようとする者は一人もいない。皆、今回の調査失敗に思うところが多々あったのだろう。
酒場にいる者の視線が集まる先は、勇傑騎士団の幹部であるリミル。青い瞳をした、金髪の美青年である。
リミルと彼の部下はテーブルを囲み、王女への報告内容をまとめ上げていく。
「今回の調査は失敗に終わりましたね、リミル様」
「ええ。まさか初日からこんなにも被害を受けるなんて予想外です」
「モンスターに連れ去られて行方不明の者が六名。彼らの生存は絶望的。この失態は重いですぞ」
リミルは酒場の天井を見つめ、深々と溜息を吐いた。
フルフィウス森林地区はモンスターの多い場所だと事前に聞かされていたが、まさかこれほどの洗礼を受けるとは。
王国も魔族も森の開拓に失敗してきた、という噂にも頷ける。
「ところで、リミル様。あのモンスターたちは自然に集まってきたものだと思いますか?」
「いえ。このタイミングからして、おそらく人為的に集められたものでしょう。目的は私たち調査団の妨害、ですかね……」
「では、やはりあの森には魔族が潜んでいる、と?」
「しかし、証拠がありません。調査団の誰かが実際に魔族を見たわけでもない。クリスティーナ殿下への報告書に『……のような気がする』なんて文言を使えば怒られてしまいます」
今回のことをどう報告にまとめればよいか。
この反省会での議題の一つだった。
肝心の侵入者は見つけられず、犠牲者は沢山出た。実際に出向いてみて得られたのは、「いるかもしれない」という根拠のない予想。
成果と損失が明らかに釣り合わない。
モンスターを仕掛けてきた敵は、こういう展開を予想していただろうか。
今日の戦いは、調査団側の圧倒的敗北である。
この敵を発見して仕留めるとなると、任務は一筋縄ではいきそうにない。
「しかし、全く収穫がなかったわけではありません」
「と言うと?」
「受け取った通報には『全滅しそうになったとき、謎の狙撃手に助けられた』という内容がありました。この狙撃手の存在を確認できれば、通報の信憑性がグンと上がります」
そう言うと、リミルは机上に布袋を置き、中身を広げ始めた。
そこにあったのは、
槍でも突き刺したかのような大きな穴が甲殻を貫通しており、内部を露出させている。
そのグロテスクさにリミルの部下たちは「うっ」と苦しそうな息を漏らした。
「こ、これは……?」
「私たちを案内してくれたパーティの一人であるプラリムという少女の首元に引っかかっていた死骸の一部です。彼ら曰く、『彼女が痛撃蜂に連れ去られそうになったとき、突然狙撃による援護があった』とのこと」
リミルは死骸の穴を指差し、じっとそれを睨む。
「この穴……間違いなく魔導式狙撃銃による銃創です。今回も狙撃手は現れたのですよ」
「では、あの森に狙撃手は実在すると?」
「はい。しかも、当時は私たちのかなり近くにいたようですね」
その狙撃手を見逃していたなんて、また失態が一つ増えてしまった。
モンスターから逃げるのに必死で見逃すのも仕方なかったと言えばそうなのだが、ここまで失敗が積み重なると心が鬱屈する。部下の多くは唸り、黙り込んだ。
「……その狙撃手が魔族の行方を知っている可能性がある、ということですか?」
「はい。そして、その狙撃手らしき人物の情報もすでに入手しました」
リミルが懐から取り出したのは、一枚の人相書き。
そこには眼帯を着けた黒髪の少女が描かれている。凛とした顔立ちながらも、どこか幼さを隠せない、大きな瞳が印象的な娘だった。
「彼女はシェナミィ・パンタシア。王国出身の冒険者です。
「この似顔絵を見る限り、まだ子どもではありませんか。こんな娘が危険な森に篭り、魔族と戦っていると?」
モンスターだらけの森に一人で潜み、魔族に対抗している。
しかも彼女の使っている武器は魔力効率の悪い魔導式狙撃銃。
あまりにも現実味のない話だった。リミルの持ち出した人相書きに、彼の部下たちは訝しげな表情を浮かべる。
「実力とは見かけによらないものです。勇傑騎士団の隊長である王女様も、あの美貌に似合わないほど強いですからね。このシェナミィという娘もなかなかの腕前だと思いますよ」
「随分とこの娘のことを褒めますね、リミル様」
「だってほら、結晶弾はこの
リミルがここまで褒めるのだから、きっとシェナミィという女も強いのだろう。
彼の部下は一同に頷き、もう一度人相書きを凝視した。
「それではリミル様、この街で彼女の関係者に聞き込みを行いますか?」
「それもすでに私が行いました」
「い、いつの間に……」
「しかしながら、彼女の動向に関する有力な情報は得られませんでした。彼女はこの街に来たばかりで、人間関係も希薄だったようです。組んでいたパーティも勝手に脱退して、その後行方不明に……」
「そのパーティからは他に情報を引き出せませんでしたか?」
「現在、彼らは依頼で街から出かけています。帰りを待って詳しく話を伺う予定です」
彼女はあの森で何をやろうとしているのか。
例の魔族とどういう関係があるのか。
彼女は自分たちと接触してくれるだろうか。
リミルの頭には疑問ばかりが浮かんでくる。
そして反省会後、魔族捜索とは別に、「シェナミィ・パンタシアの捜索」というサブターゲットが設定されることになった。
* * *
その頃、カイトたちは重傷を負ったプラリムの看護に追われていた。
プラリムが借りている宿屋の一室に彼女を運び込み、ベッドに寝かせて様子を窺う。
簡素な小さな部屋に、カイト、ロベルト、アリサ、プラリム、そして彼女の唯一の家族である妹までもが集い、かなり混みあっていた。
皆、ずっと眠り続けるプラリムのことが心配で、その場を離れることができない。
特に妹はプラリムのことを気にかけており、ずっと姉の手を握り続けている。
「あの、お姉ちゃんは大丈夫なんですか?」
「ああ。騎士団の
「そっか……よかったぁ」
プラリムは
彼女の救助と解毒処置がもう少し遅れていたら、痛撃蜂の餌として巣へ運び込まれていたか、毒が体を破壊して帰らぬ人間となっていただろう。
プラリムが一命を取り留められたのは本当に幸運だった。あの狙撃手による援護がなかったらと思うとゾッとする。
「あの……」
「はい?」
「俺たちがついていながら、こんなことになって申し訳ない……!」
カイトはロベルトやアリサととも頭を下げた。
僧侶は回復魔法を使えるため、冒険者パーティにとって生命線のような存在である。僧侶がいなければ傷や毒を治療できず、パーティの全滅する速度を速めてしまう。
そんな僧侶を守れなかったのは、パーティメンバーとして大きな問題だ。先に攻撃を受けるべきは剣士や盾使いなのに、僧侶のプラリムに敵の毒針を届かせてしまった。
「カイトさん、顔を上げてください。私は皆さんのことを恨んでなんかいませんから」
「……」
「お姉ちゃんはいつも言ってましたよ。『みんな優しくて、一緒に仕事をしていると心強い』って」
「プラリムがそんなことを?」
カイトたちは皆、プラリムの顔を見た。
顔色はあまり優れないが、教会や神殿に並ぶ天使像のように穏やかな寝顔をしている。
彼女は自分たちのことをそんな風に思っていたのか。
普段、プラリムは自分のことをあまり話さない。故に、カイトたちは彼女から見た自分たちの評価をあまり知る機会がなかった。
「そっか……俺たちのこと、そんな風に思っててくれてたんだな、お前」
そのとき、僧侶プラリムの瞼が震え、ゆっくりと目が開かれる。
解毒魔法が効いたのだろう。体の痺れは引き、整った呼吸もできるようになっていた。
「あれ……ここは……どこ?」
「お姉ちゃん!」
妹はプラリムに渾身の力で抱き付いた。
一方、姉のプラリムはキョトンとした様子で部屋を見渡す。そこが自分の部屋であることを確認すると、視線をカイトの方へ向けた。
「それで……狙撃手はどうなったのですか?」
「狙撃手?」
「ほら、私を救ってくれた人ですよ」
どこからか飛来した弾が自分を痛撃蜂から救ってくれたことは意識を失っても覚えていた。
自分がここへ運ばれてきた経緯よりも、その恩人がどうなったのか気になってしまう。
魔族と出会ったときだけに留まらず今回も助けてくれるなんて、自分の身を全て捧げても感謝し切れない。
「狙撃手のことについては、今も分からないんだ。結局、あの後も姿を現さなくて」
「そっかぁ……無事だといいなぁ。いつか会えたら、お礼を言わなくちゃ」
このとき、プラリムの心には自分を救ってくれた謎の狙撃者に対して、大きな憧れの感情が生まれていた。
それは乙女が妄想する白馬の王子様のようなもので、会ってみたいという衝動に駆られる。どんな人物なのか考えるだけで胸が熱くなり、体が火照った。
危険な森で魔族と戦っているとは、なんて逞しいのだろう。
部外者でありながら、助けた見返りも求めない。
そんな顔も名前も知らない人物に、プラリムは強い憧れを抱いた。運命的な出会いすら感じてしまう。
もし相手が美青年だったらどうしよう。
乙女の勝手な妄想に、プラリムの顔がニヤけた。
「何に笑ってるんだよ?」
「ううん、何でもないですよ」
ちなみに、僧侶プラリムが狙撃手シェナミィのことを認識するのは、もう少し先の話である。
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