第15話 蟲の集り
カジは自分の荷物を担ぎ、森の奥へ歩き続けていた。
後方にはシェナミィが大きな武器ケースを背負いながらゆっくりとした足取りで付いてくる。華奢な体ながら、よくあんな重そうな武器を持ち運べるものだ、とカジは「精霊の加護」を受けた者の身体能力に感心していた。
先程から足場は安定しない。
苔や倒木や大量の落ち葉、地面から飛び出た木の根がカジたちの逃亡を妨げる。
モンスターが多い地域のため、この周辺では林業が行われていない。その結果、森林が放置状態になっている。
カジたちはそんな不安定な足場を、森林の奥へ奥へと進んでいった。
「ねえ、カジ」
「何だよ」
「さっき『手は打ってある』とか言ってたけど、具体的に何をしたの?」
シェナミィなりに何か察したのか、彼女は歩きながらカジを睨んでくる。
正直、カジは彼女の質問にあまり答えたくなかった。
これまでの彼女の言動から察するに、シェナミィは無闇に人を傷付けることを許さない。
もしカジの施した仕掛けのことを知れば、彼女は何かしら行動を起こすことは容易に想像できる。
「別に。大したことはしてないさ」
「言ってよ! 本当は何をしたのか!」
シェナミィはしつこく迫ってくる。まるで我が儘な恋人のようだ。
カジは呆れて溜息を吐いた。
「ヤツらの行き先に昆虫型モンスターを集めておいただけさ」
「えっ!」
カジは捜索部隊が派遣されてくることを予想し、発酵された果実酒を街で購入しておいた。
それ樹液と調合し、森のあちこちに塗っておけば、甘い匂いがあらゆる虫型モンスターを呼び寄せるトラップの完成である。
発酵液はヤツらが食べ尽くしてくれるので証拠が残らない。樹液のようにしか見えないため罠だと察知されにくく、気付いたときには調査団の周りがモンスターだらけになっている、という算段だ。
カジの予想通りならば、多くは雑食性で人間も食らうような個体が集まるはず。これが騎士団の連中を襲い、捜索は困難となって彼らは一時避難を余儀なくされる。
基本的にモンスターは食えるものなら何にでも飛び掛かる。自然界でモンスターは常に飢えていて貪欲に獲物を求めているのだ。今回はそんな特性を利用したに過ぎない。
「何匹ものモンスターから同時に襲われれば、さすがに勇傑の連中でも手こずるだろ」
「で、でもそれって、死人とか出ない?」
「出るかもな」
「……」
カジの言葉にシェナミィは急に黙り込む。彼に追う足も止め、その場で俯き、思い詰めたような表情を浮かべた。
嫌な予感がした。
彼女が何を考えているのか、分かってしまったような気がして。
「おい。何を考えている?」
「……」
「まさかとは思うが、俺たちを探している連中を助けようなんて考えるなよ」
「……」
「いいか。そんなことをしたら、俺たちの状況が――」
その瞬間、シェナミィは踵を返して走り出した。
「あっ! おい!」
分かっているのか、こいつは。
もしシェナミィが騎士団の援護に入れば、彼らに彼女の存在が認知されてしまう。
そうなればカジが冒険者たちを襲ったという報告の信憑性は上がり、本格的に討伐部隊を派遣される可能性が一気に高まる。ここを通過する冒険者の侵入を止めにくくなり、マクスウェルからの依頼の難易度は跳ね上がる。
「行かせるかよ!」
カジは咄嗟に懐からナイフを取り出し、彼女の足に向けて投げていた。
「ああっ!」
少々暴力的な手段だが、そうでもしないと彼女を止められないだろう。このナイフは警告のつもりだった。これ以上勝手な真似をすれば、次はもっと強い痛みでお前を止めるぞ、と。
「ぐぅっ……!」
しかし、シェナミィは止まらなかった。
すぐにナイフを抜いて地面へ叩き付けると、応急処置もしないまま再び走り出したのだ。
やがて彼女は木々の陰に見えなくなる。カジは一人取り残され、しばらく呆然と佇んでいた。
「どうしてお前はそこまで人の命を救おうとする……!」
もちろん、カジが本気を出して追跡すれば、足に傷を負った彼女など簡単に捕まえることができる。
しかし、カジは動けなかった。
カジは地面に落ちたナイフを拾い上げる。血の濡れ具合からして、結構深くまで刺さったようだ。途切れ途切れの血痕がどこまでも続いている。普通なら立っていることさえ難しい傷のはずなのに。
一体、何が彼女の心をそこまで動かすのだろう。
カジには不思議でならなかった。
* * *
その頃、国境侵犯した魔族を捜索に来た騎士団は大量の昆虫型モンスターに遭遇していた。巨木の幹に仕掛けられた誘導トラップに気付かず、大群の中央へ足を踏み入れてしまう。
「な、何なの、このモンスター!」
「数が多すぎる!」
カイトたちも応戦し、次々と湧き出て来るモンスターを撃退していった。
空中から飛来する
地表を歩行する
どちらも雑食性のモンスターで、強靭な顎と毒液が武器だ。甘い匂いのするものや動くものに飛び掛かり、集団で敵を圧倒する。
餌場を荒らされた怒りに彼らは集合フェロモンを撒き散らし、標的は蜜餌から調査団へ切り替えた。仲間を集めて叩こうと続々と数を増していく。
一匹一匹は大した強さがなくても、それが何匹も同時となれば苦戦は免れない。地面から、上空から、あちこちから現れるモンスターに調査団は翻弄される。
「ハァァァァッ!」
調査団を率いる勇者、リミルも蟲に剣を振り上げて応戦していた。目にも留まらぬ素早い剣によって、迫る
「リ、リミル様ぁ!」
「い、痛い! 肌が焼けるううう!」
しかしその一方で、リミルの部下には大きなダメージを受ける者が続出していた。
調査団の治療魔術師が回復魔法を使うも、それが間に合わない者は一人、また一人と連れ去られる。自重の何倍もの物体を持ち上げられる蟲たちにとって、人間など軽いものだった。
昆虫型モンスターに対して有効な炎魔術は、ここでは山火事の危険があるため使えない。そもそも乱戦では同士打ちする可能性も高まるため、広範囲を攻撃する魔術は控えている。
「キリがありませんね! ここは街まで引き返しましょう!」
リミルの号令に、隊は一斉に引き返し始めた。彼が集団の先頭となり、進行方向に立ち塞がるモンスターを手早く切り落としていく。あまりの速さに蟲は斬られたことに気付ていないのか、獲物を狩ろうと懸命に脚をバタバタさせた。
「すげぇ……!」
「あれが勇傑騎士の実力……」
絶体絶命の状況ながら、カイトたちはリミルの剣さばきを見入っていた。常人には到底及ばない域の技に、感嘆の息が漏れる。
あんなもの、人間のできる業ではない。
カイトたちはリミルとの圧倒的な実力差を痛感したのだ。
「皆さん、こっちです!」
リミルが調査団の脱出口を切り開き、皆が続々とそこへ入っていった。カイト、アリサ、ロベルト、プラリムの四人も、そこから脱出を試みようと走っていく。
そのとき――。
「うぐっ……!」
突然、僧侶プラリムの背中に激痛が走る。
体が痺れ、声を上げることができない。
振り返ると彼女のうなじには痛撃蜂がしがみ付き、背中を太い毒針で刺していたのだ。
「あああっ! プラリム!」
ようやく仲間が気付いてプラリムを救助しようとするも、彼女の体は空中に浮かんでいた。痛撃蜂が餌として巣に持ち帰るため、顎が服をガッチリと掴んでいる。このとき、プラリムの意識はまだ保たれている状態だった。蜂から逃れるために暴れようとしたが、痺れた体では何もできない。
「嫌だ……餌になんて……されたく……!」
カイトが追いかけようとするも、彼女との距離は広がっていく。さらには多くの戦乙女蟻が立ち塞がり、カイトたちの行く手を阻む。切り落としても切り落としても湧いてくる敵に、彼らの足は完全に止まった。
「このままじゃプラリムが!」
「分かってる! でも……!」
このまま諦めるしかない。
そうしなければ、自分たちも彼らの餌食になってしまう。
そんな考えが、カイトの頭を過ぎったときだった。
――パァァアン!
どこか遠くから爆発音が響く。
それが聞こえると同時にプラリムの体は空中から落下し、地面へ叩き付けられた。幸いにも大量の落ち葉がクッションとなり、落下によって大怪我を負うことはなかったが。
「な、何で……?」
プラリムは首と眼球だけを動かし、背中に張り付いていたはずの痛撃蜂を見た。蜂の頭部には大きな穴が貫通しており、体液がドロドロと漏れて自分の銀髪を汚している。
「そうか……そういうことなんだ……」
プラリムは注入された毒によって薄れゆく意識の中で思った。
再び自分はあの狙撃手に助けられたのだ、と。
魔族のナイフを撃った人物が、今も近くで自分のことを見ている。
二度も救われるなんて本当に例の狙撃手には感謝しなければ。
プラリムはゆっくりと目を閉じ、その意識を手放した。
落ちたプラリムに
「今なら助けられる!」
狙撃によって多くのモンスターが戦闘不能となった瞬間を狙い、盾使いのロベルトは倒れているプラリムの元へ一気に駆けた。彼女を肩に担ぎ上げると、撤退していく調査団に合流するため全力疾走する。
「急いで! 追いつかれるわよ!」
「分かってる!」
こうして調査団とカイトたちはモンスターの集まる危険地帯から脱出できたのだった。
* * *
調査団が完全にいなくなった時間を見計らい、カジはシェナミィを探した。
「……気は済んだか?」
「うん。疲れちゃった……」
彼女は木陰で仰向けになっており、激しく息を切らしていた。傍らには彼女の狙撃銃も転がっている。
調査団の連中を助けるために魔力結晶の銃弾を撃ちまくったのだろう。その結果、彼女は魔力切れを起こし、現在は酷い目眩や倦怠感に襲われているはずだ。
「……ったく、面倒ばかりかけさせやがって」
カジの投げたナイフによる傷は手当されておらず、今も血液が滲み出している。カジは荷物から適当な布切れを引っ張り出すと、傷口を固く結んだ。
「お人好しも過ぎると身を滅ぼすぞ」
「うん……」
カジは彼女と銃を担ぎ、自分たちの拠点へと歩き出した。
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