第12話 僧侶プラリムの朝
その日も僧侶プラリム悪夢を見て目が覚めた。
ナイフで体を八裂きにして殺される夢だ。
自分は深い森の中を必死に走り、殺人鬼から逃げている。
どこが森の出口なのかも分からない。
深い霧と夜の闇が方向感覚を失わせ、同じ場所をグルグルと回り続ける。
頼れそうな仲間はもういない。皆、首と胴体が切り離され、断面から流れる血が足元を汚していた。
「嫌……来ないで!」
振り返りながら走っていたら、木の根に躓いて派手に転んだ。すぐに立ち上がろうとして顔を上げると、目の前にナイフを構える殺人鬼がいた。冷たい瞳が彼女を睨み、殺意に圧迫されて動けなくなる。
「生まれたことをあの世で悔やむんだな」
その言葉とともにナイフを振り下ろされ、僧侶プラリムは死んだ。
* * *
いつもそこで目が覚める。もう何度この夢を見たのか分からない。
「ハッ……ハッ……」
現実世界のプラリムは森の中におらず、いつも使っている宿屋の個室にいた。硬いベッドに横たわったまま眼球だけを動かして部屋の様子を探るが、特に変わった場所はない。
戸が少し開いているクローゼット。
シンプルな額縁に飾られた風景画。
まだ窓の外に陽は昇っていない。部屋は深夜の闇に包まれたまま。
悪夢を見ている間に体は冷や汗でビチャビチャに濡れ、心臓はバクバクしていた。寒気を覚え、両肩を擦る。
「もう……嫌」
プラリムはベッドに深く潜り込み、枕を濡らした。
暗闇が恐い。
すぐ近くに、あの森で出会った魔族が潜んでいるような気がして。
早く忘れたい。
彼女は体を丸めるようにして目を瞑り、朝が来るのを待った。
* * *
ようやく念願の朝が訪れる。
プラリムはベッドから出ると、まずは鏡へ向かった。そこには幸薄そうな背の低い少女の顔が写し出されている。昔と比べ、今の顔は随分とやつれて見えた。
「私って、こんな顔だったかなぁ」
それから長い銀髪を櫛で
そのとき、首元の精霊紋章が目に留まる。
プラリムが「精霊の加護」を受けている証。その模様は、自分が治療魔術を得意とすることを示しているらしい。
プラリムはそれに爪を深く食い込ませた。それでも紋章が消えるようなことはなく、青白く淡い光を放ち続けている。
「どうして私が……」
神様は酷い。
自分にこんな力を与えるなんて。
冒険者になんてなりたくなかった。
普通に生活したい。畑で作物を育てて、家族とご飯を食べて、夜は穏やかに眠る。
そんな穏やかな暮らしをしたかったのに。
冒険者用のタグには「プラリム」という彼女の名前が彫られている。
* * *
「お姉ちゃん、おはよう」
「あ、うん。おはよう」
プラリムが泊まっている宿屋の食堂へ行くと、そこには家事手伝いをしている妹がテーブルに料理を並べているところだった。
エプロンを身に纏い、パタパタと慌しくキッチンを歩き回る。頭の後ろに束ねている銀髪が忙しなく揺れ、プラリムの目を惹いた。
「双子なのに、あなたは『精霊の加護』を受けていないのね」
「どうしたの、お姉ちゃん?」
「ううん。何でもない」
プラリムと顔も体格も似ている妹なのに、彼女に精霊紋章はなかった。
紋章があるだけで冒険者にさせられ、命懸けの生活を送る羽目になるのだから、自分は「生まれつきの不幸体質」とも言えるだろう。
妹は宿屋の手伝いという仕事で生活費を稼いでいる。
プラリムたちの両親は貧しい農家で、数ヶ月前に二人とも病気と事故で他界した。妹と一緒に農家を継いで生活を続けようかと考えていたが、村長や親戚は「あなたは『精霊の加護』を受けているのだから、冒険者としてもっと稼げるでしょう?」と私を
本来、村を出るのはプラリムだけで問題なかったのだが、そのとき妹は姉についてきた。互いにまだ幼かったこともあり、家で一人になることが不安だったのだろう。
実際、農家だった頃と比べれば、今の収入の方が多い。
しかし、貧困を抜け出せるほどの額ではなかった。
所詮、自分のような新米弱小冒険者では、報酬の安い依頼しか受けられない。冒険者の中でも荒稼ぎできるのは、かなりの実力者だけだ。
「それじゃあ、いただきまーす」
「いただきます」
テーブルに料理が出揃い、プラリムたちは朝食を口へ運び始めた。
「ねぇ、そう言えばさ」
「何?」
「お姉ちゃんたちが受けた仕事はどうなったの?」
「えっ……」
「ほら、前に言ってたじゃん。
プラリムは妹の言葉に、食事する手を止めた。
彼女が指しているのは、魔族の襲撃に遭って中止した依頼のことだ。
将来の家計を心配する妹を安心させるために「最近、報酬の大きな依頼を受けたから大丈夫よ」と出発前に彼女へ漏らしていたのを思い出す。
あの依頼さえ達成できていれば、今頃生活は軌道に乗って安定していたはず。
森林であの魔族に遭遇してしまったことが悔やまれる。
現在、その依頼は
このことを妹が知ったら、きっと落胆するだろう。
依頼を失敗した冒険者の姉にも、貯金の少ない自分たちの将来にも。
姉としての威厳も崩れる。正直、仕事が流れたことを妹に伝えたくなかった。
「うん、大丈夫。近いうちに出発すると思うわ」
「冒険者に寄せられる依頼って大変かもしれないけど、応援してるからね!」
「うん……ありがとう」
プラリムは嘘を吐いた。
罪悪感でこんなにも押し潰されそうなのに、どうして自分を追い込むような真似をしてしまったのだろう。最初から事実を答えておけば、自分の心は楽だったのに。
プラリムへ向けられる妹の温かな笑顔が酷く胸に刺さる。
彼女は思わず妹から視線を逸らし、手元の料理へと目をやった。一気に食欲が減衰し、食事が進まなくなる。
「……ごちそうさま」
「あれ、お姉ちゃん。もう食べないの?」
「うん。今日はいつもよりパーティの集合時間が早いの。残りはあなたが食べていいからね」
「そっか……いってらっしゃい。カイトさんたちにもよろしくね」
「いってきます」
こうして僧侶プラリムは逃げるように宿屋を出た。
もし妹が真実を知ったら、自分はどう弁解すればいいのか。
そんなことを考えながら
「ホント、私、何をやっているんだろ」
プラリムは太陽が高く昇ろうとしている空を見上げ、大きな溜息を吐いた。
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