第8話 彼女の名前は
「全く、何をやってるんだ俺は……」
マクスウェルと別れた後、カジはひっそりと討伐地域である森林へ戻った。女を隠した場所へ進み、周辺の様子を窺う。
女冒険者を隠した場所は、かつて魔族が森林内に建築した基地の残骸だった。森林を開拓するための拠点であったが、モンスターの激しい襲撃によって現在は放棄されている。崩れた石壁は苔生し、石畳の隙間からは雑草が伸び放題だ。
それでも雨風を凌げそうな場所は残されており、彼女はそこに寝かし付けている。モンスターが近づかぬよう、周辺には倒した
「まだ生きているな」
「……」
廃墟の奥に眠る小さな体。弱々しい呼吸とともに微かに上下する胸部は、彼女がまだ命を保っていることを示していた。普通の人間ならとっくに息絶えているはずだが、「精霊の加護」を持つ者としての強靭な肉体が、命の灯火を簡単には消させない。
「ほら、飲め」
「……」
カジは布袋から魔法薬を取り出し、傷口が開かぬよう彼女の上半身をそっと抱き起こす。蓋を開けて彼女の口元に押し付け、瓶の中身を喉へ流し込んだ。
「傷に効くことを祈るんだな」
「……」
カジは再び冒険者を寝かせ、彼女の口元を汚している薬品を拭き取った。
しばらくすれば魔法薬によって体内の傷も塞がり、意識を取り戻すはず。
そうなったら、彼女に問わなければならない。
なぜ自分の冒険者討伐を妨害したのか。
なぜモンスターから逃げずにカジを助けたのか。
鉱山襲撃事件の犯人なのか、を。
「もし、お前が犯人なら……」
カジは懐から新調したナイフを取り出し、彼女の喉元に刃を向けた。
「そのときは覚悟しておけよ」
* * *
その夜、カジは女を寝かせている基地の残骸で夕飯を作っていた。周辺の森から適当なモンスターを狩り、その肉や野草を鍋の中へ投げ込んでいく。薪には炎魔術で点火し、泉から汲んだ水を沸騰させた。
当分の間は食料の現地調達を繰り返す自給自足が続く。報告すべき事件でも起きない限り、魔族領へ戻ることはないだろう。
カジはパチパチと音を出しながら燃える薪をぼんやりと見つめ、料理が完成するのを待った。
不規則に揺れる炎が、なぜかカジの視線を奪おうとする。
「こういうの、懐かしいな……」
魔王になってから屋外で焚き火なんてした記憶がない。魔王の職務中に見た火と言えば、部屋の暖炉や廊下の松明ばかりである。いつも誰かが勝手に用意してくれた光源だ。
こうやって自分で
魔王に就く以前は、兵士仲間と同じ火を囲んで将来設計なんかを語っていたのに。
焚き木集めが得意だったアイツは今何をしているのだろうか。
いつも新しい焚き火料理に挑戦していたアイツはどこに行ったのだろうか。
「皆、すっかり変わっちまったな……」
ゆらゆらと上がる炎が、カジにそんなことを思い出させた。
自分は前職に就いてから、様々なものを失った気がする。友人と話したり遊んだりする時間や、新たな趣味や進路に走る活力。仲間と一緒だった頃は溢れていたのに、仕事で何度も疲れるとともに消えていった。
挙げ句の果てに、今はこんな森林に一人で任務中だ。
随分と寂しくなったように思う。
そんなことを考えながら、炎が徐々に小さくなっていく様子を眺めていたとき――。
「ねぇ、もう煮えてるよ。食べないの?」
「は?」
不意に、隣から女の声が聞こえた。
いつの間にかカジの右隣に、女が座り込んでいる。カジが炎に気を取られている間に、意識が戻り、寝床から出てきたのだろう。
彼女は鍋に手を伸ばし、木製の食器にスープを移しているところだった。
「お前、いつから……」
「いただきまーす」
「何勝手に食おうとしてるんだよ、お前は」
カジは女の手からスープの入った食器を取り上げ、彼女の顔を睨んだ。
「こいつは俺の飯だ」
「でも私、お腹空いたよ」
「腹に風穴が開くような怪我をしたヤツがこんな贅沢な料理を食うな。怪我人用の栄養剤があるから、こっちを飲め」
「えぇ……不味そう」
女はカジから瓶を受け取ると、中身を口に放り込んだ。顔をしかめ、その苦さをカジにアピールしてくる。
どうしてこいつは俺に馴れ馴れしいんだよ。
先に行われた彼女との戦闘で、カジは彼女を追い詰めて深手を追わせた。不意を突かれることさえなければ、いつでも彼女に圧勝できる。そんな実力差や恐怖を身を以って知っているはずなのに、彼女は逃亡することも武器を所持することもなくカジの前に堂々と飯を食べに現れた。
もうこいつは馬鹿としか言いようがない。
食欲が恐怖に勝ったのだろうか。
カジは訝しんだ。
「よくまあ、逃げずに俺の前に出てこられたもんだな」
「私を治療したってことは、つまり私を生かす目的があるってことでしょ?」
「人間族に借りを作りたくなかっただけだ」
戦闘を手助けされた借りがなかったら、自分は即座に彼女を魔族領に送って鉱山襲撃事件の犯人か否かの照合を行っているだろう。
「それでさ、考えてくれた?」
「何の話だ?」
「私をあなたの仲間に入れてくれる、って話」
確か、
「お前……本気で言ってたのか?」
「そうだよ?」
カジは呆れて長く溜息を吐いた。肩から力が抜け、視線を夜空へ上げる。
一方、彼女はニコニコと微笑み、爛々とした目つきでカジを見つめていた。
「殺しは止めて、撤退させることに専念するの。私の狙撃術は役に立つはずよ」
確かに、カジのナイフを破壊した狙撃の腕は凄まじいものだった。彼女と組めば、敵と接触する前に敵戦力を削ることが可能になり、戦術の幅が広がる。味方にいれば心強い。
だが、彼女を傍に置くには信用が足りない。これまで敵対してきた冒険者と、いきなり共闘などできない。
冒険者はカジたち魔族の天敵であるうえ、彼らと協力した前例も皆無だ。出会った冒険者は全員殺害するのが当初の予定だったし、戦いに水を差されるのも癪に障る。
カジには彼女の心が全く読めなかった。
彼女とは少し踏み込んだ会話をして、詳しい素性を探る必要があるだろうか。
「これからお前にいくつか質問をする。その回答に俺が納得できなかったら、この話は白紙に戻すからな」
「うん、分かった」
正直、彼女を仲間に加える気はそれほどなかったが、最近の冒険者事情を知るにはいい機会だろう。
「そういえば名前を聞いてなかったな。お前、名前は?」
「シェナミィ・パンタシア。あなたは?」
「カジ・ラングハーベストだ」
「ふぅん……カジね」
それとなくカジは本名を口に出したのだが、シェナミィの反応は薄かった。もっとこう、驚くような反応を示すかと思っていたのに、意外だった。
まさか旧魔王の名前を知らない人間族がいるのだろうか。
「お前、冒険者として活動していた期間はどれくらいだ?」
「えっとね、戦闘訓練は三年くらい。実際に依頼を受けて活動したのは一ヶ月」
「随分と活動期間が短いな。訓練所で俺の名前を聞かなかったか?」
「え? もしかして、カジは有名人なの?」
「……」
こいつ、完全に俺のことを知らないだろ!
カジの頬は引きつった。
確かに、彼女のような新米冒険者が魔族軍と直接剣を交えるような任務に就くとは考えにくく、魔族内の高名な武将や文官に出会う機会はほとんどないはずだ。カジの名前なんて任務には不要な情報かもしれない。
それでも冒険者全員に、魔王として活動していた自分の名前は轟いていてほしいものだ。名前の知られていない魔王なんて、侵略行為の抑止力にはならない。任期中、受身ばかりに力を注いでいたのがよくなかっただろうか。
魔王に就く前、マクスウェルや同僚から「お前は玉座にいるより、前線に出た方が活躍できるタイプだ」と言われたことがある。
彼らの指摘は的中し、大きな爪痕も残さないまま任期を終えてしまった。
今初めて聞いた冒険者の生の声に、カジは愕然とした。自分の作ってきた功績が伝わっていないというのは、なかなか辛いものである。
「……」
「どうしたの? 怒ってる?」
「いや。次の質問をする」
カジは頭を切り替え、彼女の素性を探ることに専念した。
「どうしてお前は冒険者の活動を妨害しようとする?」
「え?」
「お前はどういう経緯で妨害することを決意したのか、妨害することでお前にどんな利益があるのか、それを聞きたい」
ここを詳しく掘り下げられれば、少しは彼女に対して理解が深まる。カジが尋ねておきたい重要なポイントの一つだった。
しかしシェナミィは急にカジから視線を逸らし、正面にある炎を見つめた。先程までの笑顔も消え、大きな眼帯が顔の左半分が隠して感情を窺うこともできなくなる。
「何かね……疲れちゃったんだよね、仕事に」
何なんだよ、その答えは……。
シェナミィは冷めた声でそれだけ述べると、黙ったまま俯いた。焚き火を見つめ、それ以上のことは口に出そうとしない。活動期間である一ヶ月の間に何か隠しておきたい部分が含まれているようだ。
「答えになってない。それに三年も支度をしたのに一ヶ月で辞めたなんておかしいだろ。その辺の事情を納得のいくように説明しろ。それができなければ、お前の提案は却下だ」
「えぇ……もうちょっと考えてみてよぉ」
やはりこの女、怪しい匂いがする。信頼して傍に置くのは止めた方がよさそうだ。
ここを解明できない限り、自分がシェナミィと組むことはない。結局、彼女のこの場でそれ以上詳しく過去を語ることはなかった。
そして、カジは最も重要な点を探る質問を繰り出すことにした。
ここが、彼女の運命を左右する分かれ道だ。
「それじゃ、最後の質問だ」
「何?」
「お前、この男とパーティを組んで魔族領に侵入しなかったか?」
カジは懐から鉱山襲撃事件の犯人を描いた人相書きを取り出し、シェナミィの前に開いて見せた。頬に傷のある男。
彼女にはこの人相書きの男と一緒に稀少鉱物を強奪した容疑がかかっている。
さて、こいつはどう反応するか――。
「さ、さぁ……し、知らないけど……?」
シェナミィの目は、分かりやすく泳いでいた。
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