第3話 初めての遭遇

 基本的に人間族と魔族は常に戦争状態にある。互いのことを『頭のいいモンスター』程度の感覚で扱っており、種族間に協定や条約などあったものではない。


 遥か昔、魔族は人間族に虐げられてきた種族の知恵を結集して強固な結界を開発できた。領地を囲むようにそれを張ったおかげで派手な軍事衝突には至っていないが、彼らと仲の悪い状態は継続中だ。




     * * *


 任務決行日の深夜。


 月明かりが照らす草原。冷たい夜風が吹き、カジはそれと一体になって暗闇を駆け抜ける。

 カジは魔族の築いた防壁を飛び越え、人間族の領地へと足を踏み入れた。


 壁のすぐ向こう側は、凶暴なモンスターが生息する広大な森林になっている。木々の奥から不気味な鳴き声が聞こえ、地面には大きな足跡も確認できた。


「さすがに、誰もいないな……」


 巡回する人間族の兵士はおらず、警備は薄い。モンスターたちが天然の壁となり、双方からの侵入者を拒んでいるためだ。モンスターを退けられるほどの腕前がなければ、すぐに食われてしまうだろう。


 人間族の本格的な防衛ラインは、領地のもう少し奥に存在する。冒険者はそこを経由してこちらに向かってくるはずだ。


 この周辺で冒険者を待ち伏せ、見かけた敵から片っ端に討伐する作戦でいいだろう。


 カジは頭の中で作戦を練ると、待ち伏せに適した場所を探していく。人間族やモンスターに気付かれぬよう、落ち葉を踏む音は最小限に、ゆっくりと森の奥へ歩いた。

 魔王の任期中、このような場所に一人で入ることはなかったと思う。孤独の寂しさもあると同時に、懐かしさやトキメキもカジの心の中に混じっていた。


「ここでいいか……」


 カジが見つけたのは、太い幹を持つ立派な巨木。森林の生息する陸走型モンスターと鉢合わせしないよう上へ登り、枝の上で冒険者が来るのを待った。





     * * *


 やがて夜が明け、深い森にも光が差し込んできた。

 昼間は人間族にとって活動しやすい時間帯だ。冒険者が森の中を進んでくる可能性が高まってくる。


「……いた」


 最初の獲物。

 カジが木の上から視界に捉えたのは、林道を歩く四人組の男女。軽装鎧や魔導士服を装備した人間族。こんな危険な場所にいるなんて十中八九ヤツらは冒険者だろう、とカジは目を付けた。


 パーティの構成は、攻撃力に優れた剣士、防御に特化した盾使い、後方で回復を行う僧侶、強力な魔術を準備する魔導士。

 攻防のバランスが取れた編成で、素早く人数を削らなければ苦戦は免れない。


「もうすぐ魔族領ですね」

「さっさと任務を済ませて帰ろうぜ。報酬金を貰ったら、美味い店に連れていってやるからよ」

「カイト殿の奢りでな」

「ハハハ!」


 冒険者たちは雑談しながら魔族領へ真っ直ぐ進んでいる。彼らは「近くに敵はいないだろう」と完全に油断していた。


 これから戦闘になるというのに、お気楽なものだな。


 カジは息を殺し、彼らが自分の近くまで来るのを待った。肉食獣のような目つきで、彼らを観察し続ける。


 あの冒険者たちの中で、誰が一番強いのか。カジには分かっていた。

 歩き方や筋肉の付き方からして、剣士が冒険者としての戦闘力が一番高い。戦闘中、彼を放置するのは危険かもしれない。


 服の隙間に見え隠れする精霊の紋章。それは彼らが冒険者であることを示す証だった。


 カジは全員に紋章があることを確認すると、攻撃の体勢を整えた。体に力を込め、確実に不意を突けるよう頭の中でイメージを作る。カジは戦闘経験に長いブランクがあった。あまり無理をせず、安全な作戦で攻めるべきだろう。


 一方、若者たちはカジに気付かぬまま、仲間と楽しそうに喋り続けていた。


「これでも、剣術には自信があるんだぜ?」

「へぇー……」

「村を襲ってきた盗賊どもを何度も返り討ちにしてきたし、王都での闘技大会でも優勝したこともあるんだ」

「それは凄いですね!」

「もし魔族が襲ってきたら、敵の攻撃を流しつつ接近し、磨き上げた夜鷹剣術で――」


 その瞬間、カジは樹上から剣士に向かって飛び降り、剣士の顔面にそのまま蹴りを放った。


「うごぉっ!」


 硬いブーツの先端が剣士の肌に深く食い込み、彼はその場に叩き付けられるようにして倒れる。カジはさらに顔面を強く踏み付け、頭をゴリゴリと地面に擦らせた。

 死角からの不意打ち。剣士には攻撃を避けることも受け流すこともできなかっただろう。


「えっ……?」

「カ、カイト殿?」


 突然の出来事に固まる冒険者たち。口をパクパクさせ、武器を構える動作が遅れる。


「それで、剣術でどうするつもりだったんだ?」


 カジは足元の剣士に問いかけたが、当然反応はない。ピクリとも動かず、完全に気絶している。あの一撃を受けても生きているところは、さすが冒険者の生命力だ。


 まずは一人潰した。

 この傷ではしばらく立つことはできまい。

 止めを刺すのは、他のヤツらも一掃して安全を確保できてからでいい。


 カジは残っている冒険者たちに鋭い視線を向けた。


「ま、まさか魔族なのか?」

「ここはまだ領域の外のはずなのに……!」


 いきなり攻撃手を潰され、冒険者パーティの連携は崩壊しつつある。

 カジにとって、大きな攻撃のチャンスが生まれていた。


「皆、俺の後ろに下がるんだ!」

「は、はい!」


 盾使いがカジと僧侶たちの間に入り、仲間を守ろうと大きな盾を構える。


 しかし――。


「遅いんだよ!」

「うぐぁ!」


 大きな面積を持つ盾も、敵の動きに対応できなければ意味がない。カジは盾による防御をすり抜けて彼の懐に入り込むと、がら空きの脇腹に渾身の蹴りを放った。盾使いの巨体は吹き飛び、地面を転がって蹲る。


「次だ」


 今度は盾使いの背後で魔術を準備していた魔導士に目をつけた。強力な魔術というのは魔力の装填開始から発動までに時間がかかる。時間稼ぎを行うはずの剣士と盾使いが倒され、今は完全に無防備な状態にあった。


 カジは一気に魔導士との距離を詰めると、彼女の腹に拳を食らわせる。周辺の大気すら震わせる強烈な一撃に彼女は大きく吹き飛ばされ、巨木の幹に受け止められると根元にズルズルと落ちていった。


「ああっ、アリサさん!」


 残った女僧侶は魔導士に駆け寄って回復魔術を施すも、彼女が起き上がる気配はない。魔導士はゲホゲホと吐血し、苦悶の表情が浮かべる。絶命寸前の一撃を食らって、簡単に回復するわけがないのだ。


「安心しろ。皆、一緒にあの世へ送ってやる」

「やめて……来ないで!」


 カジは懐からナイフを取り出し、女僧侶へと歩み寄る。彼女は恐怖でそこから逃げ出すこともできずに、地面に倒れる魔導士にしがみ付いていた。彼女の股間からはジョバジョバと失禁する音が聞こえる。


 この状況を彼女一人で覆すことは最早不可能だ。彼女に残された選択肢は、大人しく死を受け入れるだけ。


「悪いが、こっちも任務でな。良いウォーミングアップにはなった」


 冒険者が国やギルドから命令を受けて侵入するように、カジも元上司からの依頼で冒険者を殺す――そういうビジネスが行われているだけだ。

 冒険者へ変に感情移入してはならない。カジは泣き叫びながら命乞いする僧侶へじりじりと近寄り、ナイフを振り上げた。


 任務初日から、四人倒せた。

 これは、なかなかの成果ではないか。


「冒険者に生まれたことを、あの世で恨むんだな」


 その瞬間だった。


 ――パキン!


 ナイフの折れる音。

 カジが気が付いたとき、刃先が足元の湿った土に突き刺さっていた。


 武器は全て完璧な状態で仕上げてきたはずなのに、なぜ折れたのだろうか。

 この僧侶がやったのか。


 カジは瞬時に思考をフル回転させ、その答えを導き出す。


「いや……この気配は!」


 カジには何本もの木々が生い茂る遥か遠くに、何者かの気配を感じ取れた。そして、遅れて聞こえてくる小さな爆発音。


「今……狙撃されたのか?」


 自分ではなくナイフを狙ったのは、警告のつもりだろうか。

 相手の素性が分からない以上、敵の射程内から離れた方がいい。


 カジは咄嗟に巨木の陰に身を隠し、急いで冒険者一行から距離をとった。


「チッ……命拾いしたな!」


 未だ泣き喚いている僧侶へ言い捨てると、カジはその場を去った。


 こんなはずではなかったのに。

 まだ彼ら全員に止めを刺しきれていない。重傷を負った彼らは一旦どこかへ引き返すはずだ。彼らを殺す機会は次に持ち越しになる。この状況に、カジの胸へ焦燥感が募っていった。


「ったく、誰なんだよアイツは……!」


 カジは銃弾が飛んできた方向を見つめた。そこにもう謎の気配はない。カジに位置を知られたため、場所を移動したのだろう。

 今回の冒険者討伐は一筋縄では達成できそうにない。先にあの狙撃者を仕留めなければ、今後も妨害されるリスクを背負う。


「どいつもこいつも俺に面倒な仕事を作りやがって……!」


 カジは狙撃者の正体を確かめるべく、殺意を周囲の空気に滲ませながら森の奥へ走り出した。

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