第2話 消えた休養

 それから数日後。

 カジの自宅にマクスウェルから手紙が届いた。寝室で封を切って読んでみると、「移動手段や武具を手配できたので、冒険者討伐に就いてほしい」という旨が記されていた。


「冒険者討伐……か」


 随分と面倒な仕事を押し付けられたな、とカジは思った。

 カジほどの実力者でなければ、絶対に断るであろう仕事内容である。


『冒険者』

 彼らは人間族の中で『精霊の加護』によって先天的に特殊な能力を持った連中。そして、魔族の天敵とも言える存在だ。彼らが有する能力のために、魔族は色々と手を焼いてきた。


 まず、冒険者は筋力に優れ、並の人間には持ち上げることさえ不可能な重い得物も扱える。

 魔族の肉体的スペックは普通の人間族より上なのだが、冒険者のそれは大半の魔族を上回る。並の兵士では冒険者を片付けるのは難しい。


 次に厄介な点は、魔力保有量が大きく魔力耐性が高いことだ。魔術による強力な一撃を繰り出したり、強固な結界を潜り抜けたりもできる。

 魔族の領地の境界線には敵国の侵攻を防ぐため結界を張り巡らせているのだが、冒険者はこれを軽々と突破することが可能だ。


 カジたち魔族が冒険者を恐れているのは、こういう特性があるからだ。彼らの持つ『精霊の加護』の種類によって強さの個体差はあるが、得意分野の違う仲間同士が集まって弱点を補おうとする傾向が見られる。


 恩師マクスウェルから命じられた特別残業は、そんな冒険者を領地侵入前に倒すこと。


 カジは手紙を宙へ投げると、ベッドへ仰向きに倒れ込んだ。目を閉じ、頭の中でやんわりと日程を立てていく。


「ったく、面倒くさい……」


 幸い、人間の誰もが冒険者になれる訳ではなく、何十人に一人という割合で加護持ちが誕生するため、巨大な軍隊を形成できるほど数は多くない。いつも領地内へ侵入するのは少数だ。遭遇しても大規模な戦闘にはならないだろう。


 しかし、魔族が結界の外に出れば人間族からの猛烈な攻撃は避けられない。率先してそんな危険なことをするなんて自殺行為に等しいが、命じたマクスウェルはカジの強さを評価しているということなのだろう。


 日程を考えているうちに、いつの間にかカジは眠りに就いていた。






     * * *


 人間の領域内に侵入する前日。


 カジは馬車を乗り継いで境界線近くの砦へと訪れた。人間族の侵入を阻む高い壁。石造りの巨大な防衛拠点だ。弩砲や大砲などの兵器が設置された屋上からは、多くの兵士が近づく者を監視している。


「あっ、先輩! お待ちしておりました!」


 砦へ足を踏み入れようとするカジの元へ、体格に合わないぶかぶかな軍服を身に纏った少年が駆けてくる。小柄な体型。切り揃えられたおかっぱ。彼はカジに敬礼すると、ニッコリと笑みを浮かべた。


「お久し振りですね、先輩!」

「ああ。俺が魔王に就任して以来だなラフィル」

「たまにはこちらにも顔を見せてくださいね! ずっと先輩にお会いしたかったんですよ!」


 少年の名前はラフィル。

 砦の防衛部隊に勤める魔族で、カジと同じくマクスウェルの下で戦闘術を磨いた弟子だ。カジが魔王だった頃、彼の腕を見込んで国境警備を担当させていた兵士である。


「マクスウェル様から用件は伺っております。侵入前の人間族共を倒しに出向くのですよね?」

「ああ。そのための装備をお前に見繕ってほしいんだが……」

「お任せください! こちらです!」


 ラフィルが砦の倉庫へと案内する。訓練中の兵士たちを横目に、カジは彼へ付いていった。


「仕事を忘れて静かに過ごされると思っていたのに、魔王を終えた後も大変なのですね」

「まぁ……な」


 仕事を忘れて静かに過ごす――か。

 振り返ってみると、カジには最近ゆっくりできた記憶がない。軍事演習の視察や書類の精査、種族代表者との食事会など、仕事でスケジュールが埋め尽くされていた。カジが幼い頃は玉座でふんぞり返るだけが魔王の仕事だと思っていたが、意外にもやるべきことが多くてあちこち歩かされた。

 数少ない休日は、部屋に閉じ篭って睡眠すること以外何もしない。ラフィルのような親しい友人との関わりも消えていき、いつしか酒を飲むのも一人になっていた。


「それでは、こんな装備なんかはどうでしょう?」


 ラフィルが薄暗い倉庫に用意してくれたのは、旅人用の黒いコートだった。動きやすく、魔術攻撃を受けた際の威力を軽減する加工が施されている。遠出して情報収集する兵士のために開発されたものだ。

 カジはコートを手に取って眺めてみた。シワや傷一つない新品だ。サイズもカジにピッタリである。ラフィルがカジのために、わざわざ発注したのだ。


「これは特注品か?」

「はい! 先輩が任務に出向くと伺って、急いで職人に作らせました!」

「俺は中古品や在庫品でもよかったんだが……」

「いえ! 先輩は元魔王なんですから、ちゃんとしたものを身に付けてほしいんです!」

「そ、そうか……」


 表舞台に立つような任務でもないのだから、そんなに気合いを入れなくてもいいのに……。

 そんなことを思いながら、カジはポリポリと頭を掻いた。


 人間族を油断させるためにも、彼ら自身も着用するような服装が適している。兵士っぽさを前面に出さないよう、目立つ鎧などは避けたい。そういう点を考慮すると、このコートは今回の任務に最適だった。


「先輩、もし旅先で何かあったら、いつでも私を呼んでください!」

「お、おう……」

「先輩のためなら、いくらでもこの身を捧げます! 戦闘から夜の奉仕まで、好きなように私をお使いください! ボロ雑巾のように扱っても構いません!」

「う、うん……」


 カジはラフィルの自分に向けられる尊敬の念が、たまに度を過ぎていて恐くなる。カジの背筋は凍り付いた。

 ラフィルの瞳孔は大きく開き、心のどす黒い闇を映し出す。完全にカジに陶酔しており、自分を見失っているようだった。

 新魔王アルティナと違って自分を立ててくれるのはありがたい。しかし、ここまで病的だと彼の精神状態を心配してしまう。いくら兄弟子で先輩だからといって、ここまで敬意を払う必要などあるだろうか。


「ラフィル、お前、恋人とかはいるのか?」

「いいえ! 私はまだ弟子として修業中の身! 恋人を作るなんて早いと考えております!」


 どうして後輩はこうも両極端な性格なのだろう。師匠マクスウェルのせいなのか、カジ自身のせいなのかは分からない。師匠といい、後輩といい、カジの悩みの種は尽きない。





     * * *


 新しい装備へ着替え終わり、カジはラフィルと倉庫を出た。出撃時刻までの時間を潰すために、仮眠室と食堂を使わせてもらう。長い渡り廊下を進み、居住施設へと案内されていく。


「先月も侵入されて鉱物を奪われる事件があったばかりですから、先輩も気を付けてくださいね」

「ああ、そうだったな」


 先月の冒険者による被害報告で、そんな事件があった。魔族領でしか採掘できない希少な鉱石が狙われ、採掘場の作業員と警備兵数人が犠牲になり、倉庫から加工前の鉱石が盗まれた。カジは王として遺族に補償金や花束を送ったのを覚えている。


「ああいう事件を防ぐためにも、さっさと冒険者は始末した方がいいんだろうな」

「そうですね」


 目撃者の証言では、犯人の勇者は四人組でそのうち一人は体格のいい男だった。現在、彼は指名手配中で、人相書きが砦の通路に貼り出されていた。頬に古傷があり、無精髭を生やした男だ。そんな貼り紙を横目に、カジたちは廊下を歩いていった。

 相手が人間族の領地で生活している以上、逮捕や処刑するのは難しい。しかし、いずれ報復が必要となるだろう。

 カジも事件発生当時は、今すぐ犯人をこの場に引きずり出して処刑してやりたい感情に何度も駆られた。今振り返っても、あのときの怒りは変わらない。


「この任務は、そういう報復も兼ねているのかもな」

「マクスウェル様も元魔王ですから、退職後も色々と我々の将来について考えているのではないでしょうか?」

「あの爺さんは何を考えているかよく分からないんだよ。ずっと弟子だった俺でもな」


 一度冒険者の侵入を許すと面倒なことになる。稀少な資源や軍事機密を奪われたり、仲間が暗殺されたり、表面化していない事件も含めるとその被害は計り知れない。

 新たに警備を配置したり、罠を張ったり、魔族も対策はしているのだが、冒険者側も次々と侵入方法を変えてくるのでイタチごっこだ。受身による侵入阻止では限界があるのは確かである。


 だから、カジが選ばれた。

 冒険者を血祭りに上げ、これ以上魔族に危害を加えるとどうなるかを見せつけるために。


「今夜、警備が薄い場所を突いて出ていくつもりだ」

「了解です! 他に必要なものがあれば何でも仰ってください!」

「ああ。出発時にまた連絡する」


 こうしてカジは仮眠室のベッドに寝転んだ。目を深く閉じ、冒険者討伐が始まる時刻を待つ。


 そして、そのときが来た。

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