金魚鉢

街宮聖羅

夏の夜

夜市―――それは夏に行われるイベントの一つ。

暗くなる前に始まり、数時間だけだが街に更なる活気を生み出す。

立ち並ぶ屋台には様々な品物が売られている。

例えば、チョコバナナ。

黄色い皮を剥ぎ生身の状態をチョコレートでコーティングされた夜市で定番の食べ歩きグルメの一個。食べた瞬間に口いっぱいに広がるのは夏の暑さでほんのり溶けたチョコレートと絡みあうバナナの味、その甘さと甘さのぶつかり合いが生み出す美味しさが夜市で長年愛されている理由の一つだろう。


そして、屋台と言えばこの店を忘れてはいけない。

子どもたちが夜市の中で一度は欲しがる生き物―――「金魚」。

その金魚をお客さんにという業態で売っているのが金魚すくいの屋台。

すくい枠に張られた破れやすい和紙は気分が高揚した子供たちの金魚をすくう技術を問うような造りだ。

水の抵抗を如何に減らして取るかがカギであるこのゲーム。

何度も失敗する悔しさに我慢ならないガキたちがホイホイとお金を出してしまうお小遣い吸引機。

結局、何度も試して無理だった子どもたちが手にする最終扇さいしゅうおうぎの道具。

「破れにくいすくい枠」、お値段はお一つ五百円。

誰もが使ったことがあるだろうこの一品はとにかく高い。

お財布の中身が悲鳴を上げてしまいそうな商品。

なんと言ったって、綿菓子のフワフワ感を約三回楽しむことができる金額。

どちらを選ぶかは君次第―――食べるか?すくうか?

しかし、不運にもその事態に巻き込まれた一人の女子高校生がいた。


「あーーー。取れない取れない!何でこんなにすぐに破れちゃうわけ?このすくうやつってあまり破れないんでしょ?」


その正面で微笑むおじちゃんは言う。


「お嬢ちゃん。そのすくい方じゃダメだよ……っと、あやうくすくい方を教えてしまうところだった…。まあ、じっくり悩んでみな」


「んーーーー!おじちゃん破れにくいやつもう一つ頂戴!はい、五百円」


「まいどあり~。次こそは取れよう?」


おじちゃんは挑発するように彼女に新たなすくい枠を差し出した。

ピンピンに張られたこの種の和紙を見ること四回目。

彼女の懐はそろそろ佳境に入ってきている。

それでも、「諦めたくない」という一心ですくい続ける彼女にやめろなんて言えない友人は隣でゆっくり観察していた。


「紗理奈ぁ。これどうやって取ったらいいと思う?」


友人――紗理奈に答えを求める彼女は金魚に向けての目が真剣過ぎて、この屋台にいる子供たちから好奇の目を向けられている。

紗理奈はそのことを気にしながらも目の前のことに集中している彼女を見捨てるわけにもいかないので渋々答えた。


「水の抵抗を失くすのよ。そうだね…ほらこいつの下にすくうやつを入れて……ほら、すくえた。愛華もやってみて」


紗理奈はいとも簡単にひょいと金魚をすくい上げた。中々の熟練度を持つ紗理奈をぽかんと見つめていた愛華は少し怒った表情で言った。


「紗~理~奈ぁ~?なんでできるって教えてくれんかったん?そしたら私こんなにお金使わんかったし。あーもうっ!今度は私が……」


そうして愛華が水中へとすくい枠を入れていく。そして、その上を通過しようとする金魚に狙いを定めて空中へと赤い勾玉型の生き物をすくいあげる。

だが、直上にあげたのが原因で和紙の上に乗っていた金魚が大穴が開いた和紙から落ちていく。


「あああ!」


しかし、ここで紗理奈のナイスアシストが入った。


『ポチャんっ』


紗理奈が先ほどすくった金魚がいる皿を落ちていく愛華がすくった金魚の真下に持ってきてキャッチした。


「ナ~イス!危うくまた五百円を払うことになってたわ」


本来は紗理奈が落ちてゆく金魚をキャッチをする必要性は無かった。

だが、紗理奈の内心を考えてみよう。

金魚すくいを始めてからこの瞬間まで一体どれくらいかかったか。

普通のすくい枠を変えること十回。少しお高いすくい枠を変えること四回。

計十四回のの間、紗理奈はずっと隣で屈んだままじっとしていた。

限界が来てもおかしくない時に訪れたチャンスを逃すほどの神経はない。

これでやっと動ける。紗理奈はこの思いに尽きるのだった。


「じゃ、この二匹をおねがいしまーーす!」


「はいよ、お嬢ちゃん頑張ったじゃない?……っと、こいつら大切にしろよぅ」


袋に入った二匹を眺めながらおじちゃんは呟いた。


「はい。大切にします!……って、おじちゃん。さっきから気になってたんだけど」


と言って、愛華は店の奥の方に置いているをじっと見つめていた。

その目戦の先にあったのは。


「あぁ、この金魚鉢かい?それは置いてるだけだが……それがどうした?」


「それって何か入れる予定ですか?」


「いやぁ。特には何も入れる予定はないよ。お嬢ちゃん、これが欲しいのかい?」


愛華は先ほどまでのテンションとは違い落ち着いた雰囲気を放っていた。

紗理奈はあまりにも急だったその異変に付いてこれなかった。

いつもの愛華ではない、その一言に尽きた。

屋台のおじちゃんも紗理奈同様の感覚に襲われているだろう。


「いや、そうじゃないんです。もしかしたら、なんですけど……」


少し溜めるように言うその素振りは紗理奈も今まで見たことがない。


「その鉢で最近まで何か飼ってたよね………もしかして、金魚とか?」


「お嬢ちゃん、その回答の根拠は………あるのかい?」


やはり何かが乗り移っている、そうにしか思えない。っと、紗理奈は心の中で断言した。紗理奈と愛華はこう見えて付き合いは約六年間。

小三で同じクラスになってからここまでほとんど一緒に行動していると言っても過言ではない。それでも見たことない愛華の表情に愛華の観察眼。

紗理奈は驚きを超えて何も言葉が出なかった。


「さっき、それは何かと聞いた時におじちゃん言ったもん。『水槽』じゃなくて『金魚鉢』って」


「………別に隠すつもりはないが。ああ、二匹。それが何だい?」


この質問はある意味重い。おじちゃんにとってはこれからの生活にかかっている。


「その金魚たちは何年くらい生きて死んじゃったの?」


この問いだけは来てほしくなかった、と言いたげな表情を見せるおじちゃん。


「………十日だ。僅か十日だったよ。それも一緒に逝きやがった」


おじちゃんの瞳に光はない。何かを失った、そういうような。


「そうですか………おじちゃん。この意味わかる、よね?」


この言葉の意味は傍観者と化していた紗理奈にも分かった。

この透明な水槽が持つ意味に今の話を繋げてみれば、一目瞭然だ。


「まさか、この透明で丸い水槽だけで追い詰められるとは思ってもいなかった」


おじちゃんのたった一つのミスが屋台を出店する者としての終わりを迎えさせた。

屋台にはおじちゃんと女子高生二人が向き合って真剣に話し出したのが原因ではないだろうが今は人っ子一人近づいてくる気配もない。


「でもね。言いたいことは一つでだけです、おじちゃん」


屋台のお客側に立つ女子高校生は無慈悲に事実を告げた。


「金魚を楽しませる仕事の人が、金魚をんですね」


これはプロとしてこれはどうなのか。と、訴えている愛華の瞳に屋台のおじちゃんは息をのむ。そして、おじちゃんは首部を垂らしてそこから何も言わなくなった。

無言が走る中、愛華はその場から賑わう方向へと一歩を踏み出す。

そして、挨拶もせずに去って行った。

それ以上に話すことはないという彼女の意思表示だろう。

店の奥のトウメイな金魚鉢は去り行く一人の女子高校生にお礼を言った気がした。

勘良く察知した愛華は左手だけを上げて喧噪の中へ消えていった。










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

金魚鉢 街宮聖羅 @Speed-zero26

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ