第3話
♢
一人で悩んでいても、答えが出る気配は一向になかった。
無為に時間だけが過ぎて、栗山の言っていたタイムリミットである金曜日が、慈悲もなく問答無用で迫りくる。早くももう期日の一日前まできていた。
このままではきっと曖昧な返事をして、微妙な関係になってしまう。そうなれば、今後の平和な会社生活の危機だ。とはいえ、一人ではどうしようもない。こんな時に私が頼れるのは、彼女らしかいなかった。
三日ぶりとなれば、再会の感慨も薄い。乾杯もなし、それ以前にお酒もなし。夜遅くまでやっているチェーン経営のカフェで、紅茶だけを頼む。
今日集まったのは佳奈子以外の三人だ。考えごとの半分の原因は不在。誘ったら家の用事があるから、と連絡がきた。主婦ともなれば、週に何度も夜遅くまで外食することは夫が許さないのだろう。主婦もなかなかどうして大変だ。
「その栗山って人はどんな誘い方してきたの?」芽衣がラテを一口飲んで尋ねる。
「それがさ、ちょっと遠回しな感じで。告白のような、そうじゃないような」
「うーん、具体的にはどう言われたの?」
「「まだそんな恋愛してんのかー」とか「俺は十亀のこと気にしてたー」とか。で、最後に「二人きりでご飯いこう」って」
「うわー……たしかに。半分告白みたい」
芽衣は口にはしないが、「女々しくない?」と思ったのだろう、目端が引きつっていた。
「本当だね。でも、私はそういう方がありがたいかも」
郁恵は、芽衣とは正反対の意見だ。
「えー、なんで? 気持ち悪くない? 地味にじんわり私に侵食してくる、みたいな。寒気する」
「その言い方は気持ち悪いけど……。私は、いきなり来られるとどうしても身構えちゃうかな」
「そういうもの?」
「芽衣ちゃんの場合、数多そうだもんね。それだと違うかも。鬱陶しくなりそう」
私は目の前で繰り広げられる二人の討論じみた会話を聞く。単純に興味深いな、と思っていた。なぜなら話を振られても私は、
「摩耶はどう思う? 今回みたいな遠回しのアプローチ」
「……ごめん。いつも自分から攻めてばっかりだから、考えたことなかった」
経験不足で大した答えを用意できない。
自慢じゃないけれど、男の子からお誘いの連絡を貰ったことはある程度ある。けれど、今までは五感の恋愛に一直線で、そんな連絡に真剣に悩んだこともなかった。
ある意味では、初めてまともな恋愛に悩んでいると言ってもいい。
「やっぱりネジ百本くらい外れてるなー、摩耶。摩耶に泣かされた男の気持ちが身に沁みてくるよ」芽衣は袖で目元をこする素振りをする。
「いや、芽衣の方が確実に多いから」
「数のことは、どうでもいいの。一人に好きになってもらえなかったら意味ないし」
「……芽衣、なにかあったの?」
芽衣は答えない。百戦百勝の彼女が、こんなことを言うなんてよっぽど強敵のようだ。どんな素敵な相手なのだろう、想像は膨らむが、こうなったら頑として言わないのが彼女のプライドゆえ。
「そんなことより、今は摩耶のことでしょ。どーすんの、単刀直入に付き合うか付き合わないか」
「……それが分からないから相談してるんじゃん」
「でもねぇ」
芽衣は郁恵に横目で視線をやる。郁恵は目を開いて、私をまっすぐに見た。その瞼は普段にないくらい、力が入っている。
「……うん。最後は、摩耶ちゃんが決めないと」
「そうだよ。いざ付き合ってみたり、みなかったりして、「芽衣のせいで~」とか愚痴言われたら友情壊れるよ?」
「言わないってば。でも、私が決めること、って部分はそうね。……うーん」
紅茶が少し残っているだけのカップを右へ左へ回す。ソーサーに擦れて、器の中で回るだけ回り元に戻るあたり、私と似ていると思った。
「珍しく悩むね。佳奈子ちゃんに言われたから?」
郁恵が問うのに、「そんなとこ」と私は小さく答える。
芽衣はカップを口元に持っていく途中、はたと固まっていた。
「もしかして、あの奇跡とか第六感とかいうやつ? 驚いた、摩耶が一番信じてないと思ってた」
「……うるさいなぁ」
自覚はあるのだ、そういう柄ではないことの。けれど、信じたい気持ちは人一倍あった。
「なにも否定はしてないじゃん。そうだ、どうせこのままここでうだうだ喋ってても、決まらないでしょ?」
「たしかにそうだけど……」
悩むことと、考えることは違うとはよくいう。悩んでいても、前には進めないらしい。
「だったら、その奇跡と第六感で決めようよ」
「……え? なに、どういうこと」
芽衣と郁恵が目と目で示し合わせるように少し笑い合う。
「いいから、いいから。今ならまだ間に合うし、それ早く飲んでここ出よ」
芽衣に促されるままに残りの紅茶を流し込む。支払いは、そのうちに郁恵がカードで済ませたと言うから、そのまま店を出た。
急かされて連れてこられたのは、高層ビル群の中、裏路地にひっそりと佇む中階層の建物だった。なにがあるのだろう、不審に思いつつも屋上までのぼると、そこには小さなバッティングセンターがあった。
閉店の九時まで残り十分強、他に客の姿はなく、煌々と眩しく光るライトにハエだけがこれでもかとたかっている。寂れ具合からして、夜だからなどではなく普段から人気がないのかもしれない。
「さっきここの前通った時、たまたま見つけてさ」芽衣が言う。
「……で、なんで来たの。打ちたくなったの?」
「違う。いいから摩耶が打席入るの! もう時間ないんだから。ほら、お金入れるよ」
「……ちょっと、私が? 芽衣ってば!」
彼女に言っても聞かないのだった。私は、郁恵の方に目をやるが、「頑張れ」と小さく拳を振られた。半ば無理にゲージに入れられ、一球目が豪速球で飛んでくるのをバットもなしに見送る。百二十キロは出ていたように思う。
「バットも持たないのー? 西武ファンでしょー、気合見せて」
芽衣が野次る。
「……持つよ」
なんのつもりかは最後まで分からなかったが、私は一番軽そうなソフトボール用のバットを手にする。すぐに二球目がきたので、勢い振りに行くが空振りをした。速すぎて当たる気配もなかったのに、フォーク変化で縦に落ちたように見えた。
「……実戦形式になっちゃってたみたい」
「打てないよ、そんなの。いくちゃん、変更できないの?」
「……うん、一回決めたらダメみたい」
次の球はふわりと浮いたようなカーブボールだった。私は緩急にやられ、へなへなとまた空振りをする。連続で何球も空振りが続いた。それでも球を四、五球も見ているうちにやっと慣れてきて、昔憧れた往年の西武の花形ショートみたいにシャープに構える。
しかし、フォームは形だけのトレースで、繰り出される撓んだスイングでは、鋭いヒットどころか掠ったチップも打てない。まるで私の今の姿のようだと思った。
「摩耶、一球でも前に飛んだら、例の栗山さんと付き合うってどうかな」
「芽衣……もしかしてそういう理由で?」
「まぁね。そんなんじゃ、当たったら奇跡みたいなもんでしょ。それに球種を読んだら、第六感」
残球表示は、十を切っていた。悉く読みは外れ、バットは空を切る。当てたいとは思ったが、バントや中途半端に当てにいくのは違うと思った。今度はホームラン王を何回も取るあの四番のように豪快にスイングする。全てを奇跡と六感に委ねて振り続けるが結局全く当たらないまま、いよいよラスト一球を迎えた。
「摩耶ちゃん」
「摩耶、振れ!」
二人の声に後ろを振り向いていたら、球種を考え切る余裕もなくボールが放られる。
不思議なほど、自然とバットが出てきた。早いスライダーを芯で捉えた打球は力がない分ふらふらしながら、それでも網掛けネットの方へ飛んで、ホームランプレートにこつんと当たった。ナイトゲームをサヨナラで決める見事な一打だった。
「…………当たった」
大歓声の代わりにアンニュイな音楽が鳴って、ホームランを祝う。
「すごいよ、摩耶ちゃん!」
「やったじゃん、摩耶。決まりだね」
「うん。ありがとう、二人とも」
答えは決まった。
閉店間際の、ラスト一球をホームランにしたのだ。たしかに奇跡だ。第六感は働いた。今決まったことで、まだ全て吹っ切れたというわけではないけれど、幾分楽にはなった。それはホームランを打ったからか、ひとまず答えが出たからか、まだ分からないけれど。
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