第3話
5
五日目。お昼に女将が入ってきたので、俺は402号室の鍵を返した。
「で、何かわかったの?」
「ああ、大体ね。」
「大体?」
「あの部屋の壁紙を剥がしてビックリしたよ。壁と壁紙の裏に、黒カビが大繁殖してた。」
「カビ?」
「住んでた子供が、頭が痛いと訴えたんだろ?カビか埃にやられたな。あと、シックハウスかもしれない。」
「……。」
「……。」
「つまらないわね。そんなので騒いでいたの。」
「あと、唸り声の原因もわかった。浦島の爺さんだ。」
「えっ?」
「爺さんの居る202号室の換気扇の音だったよ。」
「換気扇?」
「今朝、爺さんに換気扇を取り換えてくれと頼まれたね。スイッチ入れたら、唸り声をあげた音に聞こえたよ。あの爺さん、ああいう音は聞こえにくかったらしい。」
「……。」
「……。」
「こっちが、頭痛くなったわ。ねえ、せっかくだからコーヒー入れてくれない?」
「待ってました!」
女将のためにコーヒーを入れていたら、茶色い車がマンションのガレージに入ってきた。誰かはわかっていた。
「こんにちわ。」
桑田氏だ。
「いらっしゃい。コーヒー飲む?」
「いただこう。」
と、言うわけで。桑田氏にもコーヒーを入れることにした。
「ところで、この人は?」
桑田氏は女将を見て、俺に訊ねた。
「このマンションの持ち主。」
「そうか。」
「何よ?」
「初めまして。じつは、あなたに頼みたいことがあります。このマンションを、私に売ってください。」
桑田氏は、女将に向かって頭を下げた。
「えっ?」
女将は呆気にとられていた。
桑田氏は、このマンションが気に入ったみたいだ。購入したあとに、改築とエレベーターを着ける計画である。桑田氏は501号室と502号室に住むことになるという。そして、女将に質問した。
「今、どこで働いていますか?」
「…どこって、ないわよ。食いぶちは、まだあるけど…。」
「このマンションの管理人になってくれませんでしょうか?」
「えっ、管理人?」
「そうです。」
「なんで、アタシに?」
「居るだけで、いいんです。ちゃんと日給も出ます。」
「…日給、いくらなの?」
「一万円です。」
「一万円…。」
「……。」
「……。」
「……。」
「わかったわ。娘のこともあるからね。」
「へえ、子供がいたんだ。」
「なによ、いたら悪いの?」
「悪くない、悪くない。」
「では、成立ですね。改築するのは先のことですが、よろしくお願いします。」
「…え、ええ。こちらこそ、お願いします。」
「それでは。」
桑田氏が立ち去ったあと、女将は俺に問いただした。
「これも、アンタの御蔭なのかしら?」
「俺は何もしてない。」
「でも、感謝してるわ。」
「ところで、女将に手伝ってほしいことがある。」
「なんなの?」
「仕上げをしたいんだ。」
「仕上げ?」
夕方、俺はまた寮に来た。
「また来たのか?」
寮の管理人は、相変わらず不機嫌な顔をした。
「名簿を見せてくれ。」
「振り込め詐欺でもするのか?」
「何でそうなる?探したい奴がいるんだよ。」
俺はそう言って、名簿を開いて物色した。
「オマエ、また問題でも起こすのか?」
「問題じゃない。仕上げだ。」
「何が仕上げだ!何故かオマエのいる周りでは問題が起きるんだよ。」
「俺のせいじゃない。厄介な出来事が、勝手に来ただけだ。」
俺は、探してる奴の名前と住所と電話番号を、メモに記入した。
「じゃあな。また必要なときに来るかもしれないけど。」
「来ないでくれ。また来たら、その名簿をオマエにやる。」
「それは、ありがたい。」
「ふざけるな!」
怒鳴られた俺は、寮を出て行った。
マンションに戻った俺は、メモを開き、一人目に電話した。
「よう、久し振り。」
「……。」
「何だ、俺の声を忘れたのか?」
「アンタか?」
「情報屋のお前に、頼みがある。」
「お断わりだ!」
情報屋は怒鳴って、電話を切った。何か嫌な事でもあったんか?
仕方がないので、二人目に電話した。
「なるほどね。いいよ、引き受けた。」
二人目は、スンナリと了承した。
「あんたが温厚で助かったよ。情報屋の奴、何も言ってないのに、怒って断りやがったんだよ。」
「あのねえ。キミの噂は聞いているよ。もう少し空気を読んだ方がいいよ。」
「そうか?あいつにとっちゃ、俺は恩人だと思うんだけどな。」
「まあ、ソレはおいといて、居場所を探してみるよ。こんなの簡単にと行きたかったけど。」
「どうしたんだ?」
「今、相棒がいなくてね。一人なんだ。」
「相棒?」
「気にするな、資料を送るから。それから、キミの居る場所を教えてくれ。」
6
六日目のお昼ごろ。俺はマンションの十階で、張込みをしていた。
このマンションは十二階建てで、エレベーターと監視カメラとセキュリティーが付いている。勝手に入ることはできないのだが、住人が出るときを踏まえて侵入することができた。不法侵入だけどね。
やがて、エレベーターが開いて誰かが出てきた。服装からして、郵便配達夫だ。手には小包を持っていた。
郵便屋は<1003>と書かれた部屋のドアに近づいた。
「宅配便です。」
そう言って、ノックをした。
しばらくして、部屋のドアが開いた。俺はすかさず近づいて、ドアの隙間に足のつま先を突っ込んだ。
「よう!」
俺は、ランニングシャツと半ズボンの不精ヒゲを伸ばしている部屋の持ち主に、あいさつをした。
「ひいぃぃ!」
ソイツは、顔を引きつらせて後ずさりした。
「あ、気にしないでいいよ。俺はコイツの知り合いなんだ。」
呆気に取られている郵便屋から小包を受け取り、ソイツが落としたハンコを拾って、受領書に押した。
「どうも。ご苦労様です。」
郵便屋を送り返すと、腰を抜かしているソイツに近づいた。
「何しに来たんだよ?」
「お前に会いに来たんだ。あれから、何回電話しても、相手にしなかっただろ?だから、直にきたんだよ。」
昨日、俺の依頼を断った情報屋だ。
「アンタに関わると、ロクなことにならないからだ。帰ってくれ!」
「何言ってる?あの時、俺がいなかったら、お前は死んでたかもしれないんだぞ。」
「アンタのアレが見えたから、死ぬかもしれなかったんだよ!」
昔、情報屋はヤバいデータ―を見つけてしまって、殺されかけていたのだ。
「だが、俺のおかげで回避することが出来たんだ。後で、エライコッチャになったけどな。」
「それが、ロクなことにならなかったんだよ!お願いだ、帰ってくれ!」
「落ち着け!アレは見えるか?」
「アレ?」
「そう、アレだ!」
「……。」
「……。」
「見えない。」
「じゃあ、大丈夫だ。」
くだらんことで時間を潰した。
「俺は、脅しや嫌がらせに来たんじゃない。依頼しに来たんだ!」
「依頼?」
「そうだ!ちゃんと報酬もある。ソレを開けてみろ。」
俺は小包を指差した。情報屋は、言われたとおりに小包を開けた。ケーキとクッキーの詰め合わせが入っていた。
「お前の大好物だ。女将が奮発したんだぞ。それと、もう一つ。」
懐からDVDが入ったケースを出して、情報屋に渡した。1985年のOVA(オリジナル・ビデオアニメ)だった。
「これは?」
「コミックショップを物色してたら見つけたんだ。お前だったら、ヨダレが出るほど欲しがってたんじゃないのか?」
情報屋はDVDを持った手を震わしていた。
「……。」
「どうした?」
「いいだろう。この依頼、引き受けてやる。」
情報屋はそう言って、台所に移動した。台所にはテーブルがあって、三台の液晶モニターと二台のパソコンの本体、一台のキーボードが置いてあった。
「じゃあ、何から始める?」
「五,六年前の出来事だ。幽霊マンションを取り上げた、テレビ局と出版社を探してほしい。それと、どういう内容だったかも知りたい。」
「了解。」
情報屋から資料をもらってマンションに帰ると、誰かが立っていた。
「あれっ?」
さっきの郵便配達員だった。
「ここ、あなたの住所ですか。」
「ああ、そうだよ。奇遇だね。」
俺は受領書にハンコを押して、封筒を受け取った。
「どうも。」
「ありがとうございます。」
居場所に戻ったあと、封筒を開けた。資料の束が出てきた。
「結構あるな。」
資料を読みあさっていたら、途中で吹き出した。
「はっ、こういうことか。」
資料を読み終えたあと、電話を掛けた。昨日、依頼を受けてくれた探偵だ。
「よう、ありがとな。こんなに早く届くとは思わなかったよ。」
「探偵仲間にも頼んだのだ。私一人じゃ、できなかったからね」
「今、持ち合わせがないが、この御礼は必ずする。」
「いや、いつかキミに依頼するときがある。それで、おあいこにしよう。」
「なんだそりゃ?探偵が依頼をするなんて、聞いたことがないぞ。」
「じゃあ。」
通話を終え、資料を整理したら誰かが入ってきた。
「おう。」
浦島の爺さんだった。
「わしにも、コーヒーを一杯くれ。まだ、飲んでないんじゃ。」
「そのかわり、おいしいとは言えんが。」
「ひゃはは、かまわん。」
俺がコーヒーを入れてるとき、爺さんは資料の束に目を向けた。
「なんじゃこりゃ?」
「五、六年前の出来事の資料だ。ここ、幽霊マンションとして取り上げてたらしい。」
「ああ、あれか。あれは、はた迷惑な話じゃったわ。」
爺さんはそう言って、資料に目をやっていると、駐車場に桑田氏の車が入ってきた。
「やあ、また一杯お願いするよ。」
「ちょうどよかったね。今、入れてるよ。」
桑田氏が席に着くと、資料の束に気が付いた。
「これは?」
「このマンションの出来事の資料だ。昔、幽霊マンションと言われてらしいんだ。」
「ほう、幽霊マンションね。」
「それ見てたら、笑ったよ。いや、笑いごとじゃないかな。これで、名誉毀損で訴えて、損害賠償がもらえるかもしれん。女将の御蔭で住むことができたからな。」
「ひゃはは、オマエさん義理がたいのう。だが、嫌いじゃないぞ。」
爺さんは笑いながら、コーヒーを啜った。
「あとは、あっちへ戻って、また名簿を借りんとな。弁護士やってる奴もいたしな。」
「それは、私にやらせてくれないか?」
桑田氏が言った。
「仲間に弁護士がいる。キミと同じように、私も彼女に感謝しているのだ。」
(つづく)
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