第2話
3
三日目の朝、俺はマンションの屋上を掃除していた。吸い殻などのゴミは箒で掃いて袋に入れ、空き缶は分別し、雑草は引っこ抜いた。
「アンタも、物好きね。」
ドアの前で、女将が腕組みして立っていた。
「安く住まわせてもらっているからね。」
「そう。」
「ところで酷いありさまだな。何があったんだ?」
「この辺に通ってるガキンチョが、溜まり場にしちゃってね。ホントはココのドア、鍵を掛けていたけど、誰かに壊されたの。」
「なるほど。」
「おかげで、あたしが酷い目にあったわよ。」
「その悪ガキにか?」
「ちがうわ!近所の住民から、夜中に騒いでうるさいと、あたしにクレーム附き付けたのよ。はた迷惑だわ。」
「だったら、俺にやらせてくれないか?」
「どういうことよ?」
「悪ガキどもが、来ないようにすることだ。報酬はもらうけど。」
「……。」
「……。」
「いくらなの?」
「一ヵ月分の家賃のタダと、一万円。」
「一万円?何それ?」
「材料代だ。事が済んだら、お釣りは返す。」
「……。」
「どうだ?悪くないと思うぞ。」
「……。」
「……。」
「わかったわ。そのかわり、レシートは残してよ。ネコババされたくないからね。」
「交渉成立だ。ついでに頼みたいことがある。」
「何なの?」
「501号室の鍵を貸してくれ。」
「よう。」
「なんだ!出て行ったのじゃないのか?」
俺は前にいた寮に戻って、管理人室のドアを開けた。寮の管理人は、茶色い顔を歪めて怒っていた。ちなみに、ここの管理人は日本人とアメリカ系の黒人とのハーフである。
「軽トラを借りにきたんだよ。」
俺はそう言って、壁に掛かっている鍵を手に取った。
「借りにきた?レンタカーで済ませられるだろ!」
「今、懐が淋しいんだ。ここまで歩いてきたんだから、ちったあ労えよ。」
駐車場の隅っこに留めてる小型トラックに乗り、エンジンを掛けて走らせた。
「貸してくれて、ありがとな。」
「バカ野郎!」
管理人は何かしら、俺に対して機嫌の悪い顔をするから、ようわからん。ついでに、寮を追い出そうとしたのが、管理人だった。
小型トラックを借りてきたのは、重い物も購入しないといけないからだ。次にホームセンターに行き、金属用のドリルと鉄板用のビス、コンクリートブロックを購入。それから、廃材置き場から大きいベニヤ板を手に入れた。
マンションについた後、俺は失敗したと思った。エレベーターがなかったので、コンクリートブロックを持って、階段を上がらないといけなかったのだ。上り下りの繰り返しで、服もズボンも汗でビショビショになった。
一服したあと、作業開始した。電動ドリルや丸ノコなどの工具は201号室にあったので助かった。
ドアノブを取って、切りそろえたベニヤ板を塞いでビスを止め、コンクリートブロックを積んだ。ちなみに、丸ノコはベニヤを切ったあと、屋上から出した。
このマンションには避難用の縄バシゴがあったので、屋上での作業が終わると、フェンスにかけて501号室のベランダに降りた。このために鍵を借りたのだ。ついでに、屋上への入口もベニヤで塞いだ。
お釣りとレシートを受け取った女将は、ベニヤで塞いだ入口を眺めていた。
「ここまでやってくれるとは、思わなかったわ。」
「どういたしまして。」
「で、どうするの?屋上には貯水槽があるから、職員が困るわよ。」
俺は女将に501号室の鍵を渡した。
「その部屋のベランダから、ハシゴを掛けていったらいいんじゃないか。」
「……。」
「……。」
「そう。」
女将は階段を下りて行った。
その夜、晩飯が終わって後片付けをした時、足音が聞こえた。複数の人が階段を上がった足音だ。俺は木製バットを持って、後をつけた。なぜか、ここにはバットがあった。
五階まで上がると、蹴る音とわめき声が聞こえた。
「オモシロくねえ!」
「なんだよ!これ?」
俺は声のする方に近づいた。
「それは、こっちのセリフだ!」
塞いでいる屋上の入口の前に、ガラの悪い三人の少年がいた。そのうちの一人は買い物袋を持っていて、缶ビールと煙草が入っているのがわかった。
「誰だ?テメエ!」
「このマンションの住人だ。お前らのおかげで、近所迷惑になってるらしいじゃないか。とっとと、帰れ!」
「うるせえ!何様のつもりだ?」
「帰るのは、オマエだ!オッサン!」
そう言って、三人の内の二人がナイフを出した。物騒もはなはだしい。
「死ねや!」
二人が飛びかかってきたので、俺はポケットから催涙スプレーを出し、悪ガキの一人の顔にめがけて噴射した。催涙スプレーもあったので、持ってきてよかった。
「があっ!」
スプレーを掛けられた悪ガキは、顔を手で覆った。
「テメエ!」
もう一人が突進したときに、フルスイングをした。ナイフを持っていた手に命中した。
「ぐうっ!」
もう一人の悪ガキは、顔を歪めて、手を押さえてナイフを落とした。
「おい!こんな事していいと思ってんのか?」
見物していた悪ガキが怒鳴った。たぶん、こいつがリーダーだな。
「それは、俺のセリフだ。ナイフで刺そうとしたら、アウトだろ?」
「うるせえ!」
リーダーがナイフを出して構えたとき、急に驚いた表情になっていた。
「何だそれは?」
「!」
「オマエの後ろにいるのは、何だよ?」
手を押さえてた悪ガキも、こわばった顔になっていた。まさか?
「お前ら、ひょっとして見えるのか?」
「何だよ?」
「見えるんだな?」
「……。」
「見えるっていうことはヤバイということだ。」
「!」
「死んでしまう危険があるんだよ。」
二人の悪ガキは、恐怖で顔が引きつっていた。
「うわぁぁ!」
「おい!落ち着け。俺の言うとおりにすれば、大丈夫だ。」
俺の言葉も聞かずに、二人の悪ガキは、階段を下りて逃げて行った。
「バカが。」
スプレーを掛けられた悪ガキが、一人取り残された。仲間思いも、助け合いも無いんだな。
「しょうがない。」
ほっとくのも後味が悪いので、そいつを背負って戻ることにした。
戻ったあと、イスを並べてベッド代わりにして、オキザリを寝かした。次に、濡れたタオルで顔を拭いてやった。催涙スプレーを掛けたからな。
「んっ。」
目が覚めたようだな。
「大丈夫か?」
「オマエ!」
「眼医者に行った方がいいぞ。」
「何のつもりだ?」
「何って?」
「何でこんなことをした?ほっとけばいいだろ。」
「後味が悪いから、連れてきただけだ。それにしても、薄情な連中だな。お前をおいて、さっさと逃げて行ったぞ。」
「……。」
「これに懲りて、二度とここに来るな。」
「うるせえ!」
オキザリは立ち上がり、嫌な顔をして出て行った。
4
四日目の午前十時、俺は商店街に行った。コーヒーポットやカップなどがあるので、豆や砂糖やミルクなどを買おうと思っていた。
スーパーに入って品ぞろえをしていると、三人のオバサンが俺に向かってヒソヒソ話をしていた。俺の勘だが、いい話じゃないな。
スーパーを出て、本屋に寄ろうとしたら、一人のオッサンに声を掛けられた。
「おいアンタ、あのマンションに住んでいるのか?」
「マンションって、どのマンションだ?ここには、マンションはたくさんあるぞ。」
「この街にある、五階建てのオンボロマンションは、あそこだけだ。アンタ、あのマンションに住んでるのだろ?」
「なるほど。そうだ、住んでるよ。」
「悪いことは言わない。あのマンションから出て行ったほうがいい。」
「どういうことだ?」
「あれは幽霊マンションだ!」
マンションに戻ったあと、せっかくだからコーヒーをつくることにした。
コーヒーができて、カップに入れようとしたとき、車が通る音がした。茶色い車が、駐車場に入ってきた。
「こんにちは。」
灰色のジャケットを着た、あの長身の男だ。
「今日は、コーヒーを入れているんだね。」
「……。」
「……。」
「何でまた、来たんですか?」
「なんとなくだよ。」
「なんとなく?」
「そう。なんとなく。」
「……。」
「……。」
「コーヒーでも飲みます?」
「いただくよ。」
そう言って、テーブルに着いた
「入れるの初めてなもんで。」
俺は入れたばかりのコーヒーを出して、男はそのコーヒーを飲んだ。
「いや、悪くないよ。」
「どうも。」
男は飲み終えると、立ち上がってこう言った。
「ひょっとしたら、また来るかもしれない。そのときはよろしく。」
「多分、そのころには、また上達してますよ。」
「楽しみだ。あ、自己紹介がまだだったね。私の名前は桑田良行だ。」
桑田氏が出ようしたときに、誰かが入ってきた。
「おい!」
昨日、置き去りにされた悪ガキだ。
「あいつらが死んだ!」
「!」
「オマエ、何をした!」
「あの二人か?」
「オマエが、やったのか!」
事情を聴こうとして、オキザリを座らせた。なぜか、出て行こうとしたはずの桑田氏も座っていた。
「あの二人が死んだのか?」
「……。」
「どうなんだ?」
「……。」
「……。」
「死んだよ。学校で先公が言っていた。昨日、あいつらが車に轢かれて死んだってな。」
「やっぱり、死んだのか。」
「オマエじゃないのか?」
「……。」
「オマエが殺したのじゃないのか?」
「俺はなんもしてない。あいつらが勝手に死んだだけだ。」
「なんだと!」
「ところで、見えるのか?」
「?」
「俺の後ろに、誰かいるか?」
「何なんだよ?」
「見えるのか?」
「……。」
「……。」
「見えねえよ。」
「そうか。じゃあ大丈夫だ。お前は死なないよ。」
「どういうことだ?」
「俺には何か憑いてるんだ。」
「?」
「話をしてやる。去年のことで、知り合いのお見舞いに行ったとき、入院していたヤツが『おい、ふざけるな!おんぶして見舞いに来るやつがいるか。』と、俺に向かって言ったんだ。」
「!」
「んでもって、その翌日。ソイツは亡くなりやがった。」
「……。」
「つまり、見えないものが見えたんだよ。」
「何だそれ!怪談話で脅すつもりか?」
「脅しじゃない。ホントの話だ!あの二人も、ソレが見えたから死んだんだ。」
「……。」
俺の話を聞いていたオキザリは、血相を変えていた。
「……。」
「……。」
「なあ、俺も見えるようになったら死ぬのか?」
「どうかな?見えたからって、死ぬとはかぎらんよ。」
「?」
「じつは、もう一人見えたヤツがいる。ソイツは今もピンピンしてるよ。」
「何故だ?」
「回避することができたんだよ。だから、俺の忠告を聞いていたら、あの二人も死なずに済んだはずなのにな。」
「……。」
「……。」
「もし、俺がそういうことになったら、オマエは助けてくれるのか?」
「!」
「どうなんだよ?」
「そうだな、事によっては出来るかもしれない。そのかわり報酬はもらうぞ。」
「……。」
「……。」
「わかったよ。」
オキザリはそう言って出て行った。
会話が終わって、オキザリが出たあと、桑田氏が話しかけてきた。
「仲間が亡くなったのに、悲しそうな顔もしてなかったね。」
「そんなもんじゃねえのか。ああいうグループは、仲間思いなんてないよ。」
「ところで、憑いているって言っていたけど、幽霊でも憑りついているのかい?」
「幽霊というより、貧乏神かもしれないな。」
「貧乏神?」
「そう、貧乏神。ここんとこ、金運が悪くてね。でも、疫病神よりはマシだと思ってる。」
「どうして?」
「貧乏神と疫病神は種類が違う。金運が良くても、悪運が強いとはかぎらん。もし、貧乏神と疫病神のどっちかと付き合えと言われたら、俺は迷わず貧乏神と付き合うよ。いつでも、やり直せるからな。」
「ふふ、なるほどね。」
桑田氏は俺の話を聞いて、クスクスと笑っていた。
「んっ?」
「気に入った。また来るかもしれないじゃない、また来るよ。ここは居心地が良い。」
桑田氏は立ち上がって、出口に行った。
「今度来るときは、コーヒーに期待しているよ。」
桑田氏が車に乗って退場してから、今度は女将が入ってきた。
「何なのあれ、アンタのお客さん?」
「ん、みたいなもんだな。うん。」
「コーヒー入れてるけど、喫茶店はじめたの?」
「試しに入れただけだ。でも、せっかくだから飲む?」
「いただくわ。」
コーヒーは冷めていたので、電子レンジで温めて、女将に出した。
「普通ね。」
女将は面白くなさそうな顔をして、コーヒーを飲んでいた。
「聞いてもいいか?」
「何?」
「ここ、幽霊マンションなのか?」
「!」
「……。」
「誰から聞いたの?」
「商店街で買い物してたら、どっかのオッサンが言ってたんだ。」
「…まだ終わってなかったのね。」
「言いたくないなら、言わなくていいよ。」
「言ってあげるわよ。今、話し相手がいないしね。」
「……。」
「四階のドアに花束が置いてあるのを見たでしょう?」
「ああ、置いてあったな。」
「六年前、あの402号室で人が死んだの。どんな人間なのか知らないけどね。そのあと改装して、他の人が住んだの。子供連れの夫婦だったわ。」
「……。」
「一ヶ月ぐらいして、そこの子どもが頭が痛いと言って入院したの。そのあと、誰かが怪奇現象と言って、ネットに流したのよ。『あの部屋には、首吊り自殺した大学生の霊がいる』と、書かれたの。それからが、エライコッチャよ。夜中に唸り声が聞こえるとかの話もはいってきて、テレビが取り上げてくるわ、霊能者というのも出てくるわで、マンションに住んでる人たちが出て行っちゃって。ここの喫茶店のマスターなんて、夜逃げしちゃったのよ。結局、一人だけを残して、みんな居なくなったわ。」
「一人だけっていうのは、浦島の爺さんのことか?」
「あら、知っていたの?」
「おととい、一緒に飯を食っていた。」
「変な爺さんでしょう?」
「そんな風には見えんな。カッコよかったぞ。」
「あ、そう。」
「ところで、そのあと402号室は改装しているのか?」
「402号室?たぶん、していないわよ。」
「402号室の鍵を貸してくれ。真相がわかるかもしれない。」
「何がわかるの?」
「賭けてみろ。名誉挽回のチャンスかもしれないぞ。」
「……。」
「……。」
「アンタに懸けてみるわ。」
(つづく)
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