幽霊マンションと名誉挽回のプロジェクト

杜和陽海(もりお・はるみ)

第1話

1


「どこも、手頃じゃないな。」

 そうブツブツ言いながら、俺はスクーターに乗ってウロウロしていた。

 実は、今住んでいる施設から退去命令が下され、四ヶ月を過ぎようとしていた。結構ヤバイ。

 どこの不動産に行っても、見合った物件は無かった。なぜなら、十万円単位の家賃ばっかりで、手持ちのお金は八万四千七百二十三円しかない。このままだと、ネットカフェ難民になりそうだ。いや、それ以下かもしれない。

 駅前のマンションは、単身赴任の会社員ばかり住んでいて満杯。商店街は空店舗があるのだが、テナント料が二十万円以上で手が出せない。小学校の近くでは、学校の警備員やパトロールしている駐在に、怪しまれた。

 そうこうしているうちに、一軒のマンションが見えた。

 そのマンションは、五階建てのオンボロだった。壁にたくさんのヒビが出来て、ベランダのフェンスは赤サビになっていた。一階は車五台分の駐車場と喫茶店があった。でも、その喫茶店は閉まっていた。

 俺は、乗っていたスクーターを駐車場に停めると、中に入った。


 そのマンションはエレベーターが無かったので、階段を上がることにした。壁にはスプレーの落書きが目立った。二階から五階までは部屋が二つあって、四階にある<402>の部屋のドアには花束が置いてあった。

 五階に上がると、別の階段が目に付いた。屋上に上がる階段だ。屋上に行けるかと思い、上がってみた。

 目の前に、鉄の扉が閉まっていた。ノブを握ったら、鍵は掛かっていなかった。

 扉を開けた向こう側の光景はグチャグチャだった。空き缶やタバコの吸い殻が散らばっていて、ゴミ袋も置かれていた。溜まり場になっていたようだな。コンクリートの床には雑草が伸びていた。

「汚いな。」

 そう言って、俺は階段を降りた。


 駐車場に戻り、スクーターに乗ろうとしたら

「アンタ!何やっているの?」

 後ろから、声をかけられた。

 振り向くと、三十代ぐらいの女性が立っていた。パーマをかけていて、格子縞のシャツにジーパンにエプロンを着けて、サンダルを履いていた。

「なんとなく来ただけだ。」

「はあ?」

「あんたこそ、何やってんだ?」

 俺は彼女に言い返した。

「アタシは、このマンションの持ち主よ。」

「そうなのか?」

「でも、こんなの御荷物よ。」

「御荷物?」

「アンタに聞いてもらっても、しょうがないけど。」

「かまわんよ。」

「このマンション、父さんが建てたのよ。昔は、入居者も満杯だったわ。」

「今は、何人住んでるんだ?」

「一人だけよ。去年、父さんが亡くなったから、取り壊したかったの。けれど、住んでいる人が立ち退かないの。十年分の家賃だと言って、大金を払ってくれたらしいの。」

「いくら?」

「一千万円。そのお金、父さんが全部使っちゃったわ。」

 何に使ったんだ?

「つまらない置き土産を残しちゃったわね。」

「あんたは、このマンションに住んでるのか?」

「こんなオンボロに住んでいるわけないでしょ。」

「それは、すまなかった。」

「アンタを責めていないわよ。どうしたらいいのか、わからなかったのよ。」

「あの喫茶店はどうしたんだ?」

 俺は、閉店していた喫茶店を指差した。

「五年前に、あそこの店主が夜逃げしたの。たぶん、中はそのままになってるわよ。その後は、誰も入ってこなかったからね。」

「入ってもいいのか?」

「えっ?」

「鍵は持っているのか?」

「……。」

「……。」

「何なの?」

「興味がある。」

「……。」

「……。」

「鍵持ってくるわ。」

 女将はそう言って、その場を後にした。


 三十分ぐらいだろうか、女将は駆け足で戻ってきた。

「これよ。」

 エプロンのポケットから鍵束を出して、喫茶店を開けた。

 中に入ると、埃まみれだった。目の前にカウンター、五つ並んでいるテーブル。カウンターの向こうにはキッチン・ルームがあり、流し台とコンロと食器棚があった。壁紙はシミと汚れとカビが付いて、剝がれかけていた。

「埃まみれだが、今でも店が開けそうだな。」

「ここに住むの?」

「そうだな。悪くないかも。」

「……。」

「家賃はいくらなんだ?」

「……。」

「……。」

「十五万よ。」

 キツイな。

「もし、このマンションの掃除と御片付けをしてくれたら、五万円に負けてあげるわ。見たでしょ、屋上がゴミだらけなのを。」

「そうか。それは、ありがたい。」

 俺はズボンのポケットから財布を出して、一万円札五枚を女将に渡そうとした。

「今いくら持ってるの?」

「お金か?」

「そうよ。」

「八万四千七百二十三円。いや、三万四千七百二十三円だな。」

「仕事あるの?」

「ない。でも、なんとかなると思う。」

「なんとかなるって、ここで喫茶店でもやるの?」

「喫茶店か。それも悪くないな。」

「どこに、そういう余裕があるのよ?でも、いいわよ。滞納したら容赦はしないからね。」

「大丈夫だ。」

女将は五万円を懐にしまうと、エプロンのポケットから紙束を出した。契約書だ。俺は、契約書に名前を書き、ハンコを押して施設の住所を書いた。ちなみに、書いてる名前は俺の本名じゃない。




 翌朝、マンションに行ったら、女将が待っていた。

「掃除するのでしょ?201号室は管理人部屋で、掃除道具が置いているわよ。」

 女将は二つの鍵を俺に渡した。〈201〉と〈喫茶店〉と、描かれた札が鍵についていた。

「じゃあ、がんばってね。」

 そう言うと、背中を向けて、手を振って去って行った。手伝ってくれないんだな。

 二階に上がって、管理人部屋の201号室を開けた。6畳の部屋が二つある2DKだ。掃除道具は、ベランダに置いてあるロッカーに入っていた。そこから、箒とモップを一本ずつに、ちりとり一つ、ぞうきん三枚、ヘラを一つと、バケツ二つを出した。

 一階に降りて、掃除を始めようとしたら、水道と電気が通っていた。女将が頼んでくれたんだな。

 イスとテーブルを外に出し、壁紙をヘラで剥がし、箒でゴミと埃を掃き、モップで床をみがき、カウンターをぞうきんで拭いて、イスとテーブルを戻して、掃除は無事に終わった。


 お昼になったので、飯でも食いに行こうとすると、一人の爺さんが階段を下りてきた。茶色の和服で、山高帽をかぶり、ステッキを握っていた。白髪でシワだらけだが、ダンディーな爺さんだ。

「おっ、なんだ!やっと開いたのか?」

 掃除が終わった後の元喫茶店の光景を見て、そう言った。

「夜逃げしたと聞いたが、帰ってきたか?」

「人違いだ。昨日、初めて来たんだよ?」

「ん?そういや、店主にしては若いな。ひゃははは。」

 爺さんは、声を上げて笑っていた。

「ところで、喫茶店でも開くのか?」

「喫茶店になるかどうかは、わからん。とりあえず、ここに住むだけだよ。」

「なるほど。ちょっと残念だな。」

「一つ、聞いてもいい?爺さんは、このマンションに、一人だけで住んでいるのか?」

「あの嬢ちゃんから聞いたのか?」

「嬢ちゃんって、パーマの女将のことか?」

「そうじゃ、パーマの嬢ちゃんじゃよ。」

「その嬢ちゃんから、話を聞いたんだよ。」

「ひゃははは。」

 爺さんは、また笑い出した。

「そうじゃ!ここに住んでるのは、わしだけじゃ。」


 何の縁だか、俺は爺さんと一緒に飯を食うことになった。

 商店街の定食屋さんに入って、爺さんは焼肉定食、俺はヒレカツ定食を頼んだ。メニューを見たら、八百円だった。

「どうじゃ、悪くないだろ?」

 爺さんはそう言って、焼き肉を食っていた。

「たしかに。」

ヒレカツがおいしかった。

「ところで、あのマンションに住んで何年になるんだ?」

 みそ汁を啜ったあと、爺さんに問いただした。

「八年ぐらいじゃな。」

「女将から聞いた話だと、十年分の家賃を払っているらしいな。」

「そうか。あと二年か。」

「二年たったあと、どうするんだ?出て行くのか?」

「わからん。」

「わからん?」

「ああ、わからん。まあ、出るかもしれないし、留まるかもしれん。そのときは、そのときじゃ。」

 なんか大雑把だが、嫌いじゃない。そう思いながら、最後のヒレカツを口にいれた。


 昼飯が終わって、財布を出そうとしたら

「まった。今日は、わしのオゴリじゃ。」

 と、爺さんがそう言って、懐から千円札二枚を出した。

「ひさしぶりに、話し相手が出来たのじゃ。これぐらいのことは、させてくれ。」

「そりゃ、ありがたい。」

「そのかわり、アンタのオゴリも待ってるからのう。」

 これがホントの、食えない爺さんだな。

「そういや、爺さんの名前、聞いてなかったな。」

「わしの名前か?」

「ああ。」

「わしの名は、浦島航太郎じゃ。」

「浦島?竜宮城から来たのか?」

「ひゃははは!そんなに、珍しい名前か?」

「浦島という名字は珍しくないけど、その下に太郎が着くとな。」

「まあ、みたいなもんだ。」

「?」

「わしは、202号に居るからな。いつでも待っとるぞ。」


 そのあと、俺と爺さんはマンションに戻り、爺さんは階段を上がって部屋に帰った。

 元喫茶店には、キッチン・ルームとは違う部屋があった。六畳のスペースだ。

「休憩室か。」

 御丁寧にベッドも置いてあった。掃除をして、飯を食ったあとなので、ベッドの上で昼寝をすることにした。


 昼寝が終わったあと、食器棚を開けた。お皿にグラスとカップ、フォークとナイフとスプーン、コーヒーポットとティーポット、ヤカンもある。

「ホントに、今すぐにでも店が開けそうだな。」

 でも、埃まみれだったので、食器棚を拭いて、食器を洗うことにした。さいわい水道も出ることだし。

 皿洗いが終わり、カップを洗っているとき、エンジンの音が聞こえた。

洗うのをストップして外に出ると、茶色の自動車がマンションの駐車場に入ってくるのが見えた。車から出てきたのは、灰色のジャケットに赤と青のストライプのネクタイ、長身の顔長で四角い眼鏡をかけた男性だった。その眼鏡の奥は鋭い眼をしていた。

「喫茶店でも開くのかい?」

 男が俺に尋ねた。わりと、渋い声だった。

「ちがう。ここに住むだけだよ。」

「……。」

「……。」

「そうか。すまなかった。」

 男はそう言うと車に乗り、その場から去って行った。

「なんだ?」

 俺は呆気にとられた。


(つづく)


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