あなたの新聞

リーマン一号

あなただけの新聞

ピンポーンという軽快なノイズが日が昇るまで作業を強いられた俺の睡眠を妨げ、近くにあった目覚まし時計に睨みを利かせてみると、時刻は午前9時。


非常識すぎるとまでは言わないが、人を尋ねるにはそこそこには常識不足な時間。


無視を決め込むことは簡単だったが、なんとなく嫌な予感がした俺は寝ぼけ半分な頭のまま玄関に近づきドアスコープを覗き込んだ。


すると、ドアの向こうにはピシっとしたスーツ姿の30代くらいの男が見える。


十中八九、訪問販売の飛び込み営業であろう。


俺は居留守を決め込み、音を立てずにベットへと引き返そうとしたが、不注意にも玄関の段差に足をぶつけてしまった。


ドン!


静まり返った玄関に鈍い音が響き、それと同時に扉の前の営業マンがニヤリと笑った気がした。


「ごめんくださーい」


まるで今の音が聞こえたぞと言わんばかりに、営業マンはさわやかに挨拶をする。


『チッ・・・』


こうなってしまってはさすがに居留守は通用しないだろう。


俺は小さく舌打ちしてから玄関の扉を少しだけ開けた。


「なんですか・・・?」


できる限り嫌そうな表情を浮かべてみたが、相手の笑みには一切変化がなかった。


「あっ!おはようございます!もしかしてお休み中でしたか?」


「ええ。まぁ・・・」


「そうでしたか!大変申し訳ございません!実は私こういう者でして・・・」


果たして本当に申し訳ないと思っているかは甚だ怪しかったが、手渡された名刺には『株式会社 善意』という何とも奇妙な名前が書いてあった。


「株式会社・・・、ぜんいであってますか?」


「ええ。そうです。実は当社新聞を扱っておりまして、この辺でご入用な方がいらっしゃらないかと探しているんです」


「あー、それならすみません。新聞ならもう取ってるんで、勧誘なら他を当たってください」


俺はそのまま扉を閉めようとしたが、途中で何かに突っかかることに気づいた。


なんだろうと視線を下げると、ピカピカの革靴が扉の間に挟まっていた。


「ちょっと、足引いてもらえますか?」


俺は少し語気を荒げた。


「すみません。でも、新聞取ってるのって嘘ですよね?」


「はい?何言ってんすか?本当に取ってますよ」


とっさに嘘をついたが、本当かどうかは相手には分からないはず。


「でも、レターボックスの中に新聞が入っていませんよ?今、朝9時なのに」


男は扉の隙間から手を入れてレターボックスを指さした。


「今朝、読んで捨てたんですよ」


「え!?今朝ですか?でも、先ほどお休み中だったと仰っていませんでした?」


「・・・」


問答が面倒になった俺は力ずくで扉を閉めようとしたが、どこにそんな力があるのか営業マンはそれを片手で受け止めている。


「一月、いや一週間でも構いませんので・・・。新聞とってもらえませんか?」


「申し訳ないけど、政治にも経済にもスポーツにも興味ないので要りません!」


「それはちょうどよかったです! なにせ当社が扱う新聞にはそういった類のものは一切含まれておりませんので・・・」


「政治も経済も扱わない新聞なんて存在しませんよ!」


「いいえ。あるんですよ!当社が扱うのはあなたの為だけの新聞です」


「はぁ?」


・・・


「いいお部屋ですねぇ~」


少しだけ興味を持ってしまったのが、運の尽き。


営業マンはここぞとばかりに匠な話術を展開し、結局部屋にまで入りこまれてしまった。


「ただの賃貸ですよ」


私は小さくため息を付く。


「いえ。そういうことではなくてですね、部屋の趣味が非常に私好みなんです。何か

楽器をやっていませんか?」


確かに押入れにはギターがしまってあるが、アンプをほっぽり出しているわけでも、ピックがその辺に転がっているわけでもない。


「ギターを弾きますけど、どうしてわかったんですか?」


「ステレオにお金がかかっています。私もそうなんです。専ら鍵盤を叩くことが専門ですけれども」


営業マンはそう言って机を鍵盤代わりに引くような仕草をしてみせた。


「そうですか」


お道化て見せているが、今朝のことといい恐ろしいほどの観察眼の持ち主だと俺は警戒した。


「それで?あなただけの新聞てのは何なんですか?」


「おっと!そうでした・・・。それでは、お時間をかけるのも忍びないので、早足に説明させていただきますけれども、あなただけの新聞とはおそらくご想像頂いている通り、ご契約者ご本人様にとって興味のある内容だけを抜粋した新しいタイプの新聞になります」


「内容も政治や経済に関することじゃないってことですか?」


私が適当に相づちを入れると、営業マンは賢い生徒をほめる先生のように続けた。


「まさにその通りです。ご契約者様が今何の情報が欲しいのか、それを事前に察知して新聞に反映する。それが当社が経営するカスタム新聞のシステムでございます」


「確かに面白そうだけど、それだと高いんじゃない?」


「そこに気づかれてしましたか・・・。仰る通り個人別で記事を作り変える必要がございますので、一般の新聞に比べ少しお値段は張りますね。けれども、絶対に為になる情報がてんこ盛りなのは補償いたします。とりあえず今回は初回ということで初刊発行のみ無料で差し上げますので、もし興味を引かれたら一月だけでも契約いただけませんか?」


そう言うと営業マンは真新しい新聞を手渡してきたので、私は言われるがままにペラペラとページをめくると、そこには一人暮らしの男性用のグッズや日用品の記事が載っていた。


「もちろん。ご希望いただければ明日にでもそのページに楽器関係の記事を加えることもできます」


「なるほど。確かに実用的だけど、別にインターネットがあれば今の時代いくらでも調べられるからな・・・」


やはり必要ない。


そう判断して断りの返事を入れようとしたその時。


おざなりにページをめくる俺の手が、ある記事で止まった。


「あ?」


「あれ?どうかされました?」


「この記事はなんですけど・・・」


「ええ。証拠隠滅方法の記事でございます」


「は?なんですか?それ?こんなの要りませんよ」


「え?必要ございませんか?賃貸で音楽をされると隣人の方と口論になったりする方もいらっしゃると聞いたので必要かと思いましたが・・・」


営業マンのニヤついた顔が俺の時間を静かに止め、そして、再び動き出すころには額からは冷たい汗がしとどに流れる。


「あんた、一体どこまで知ってる?」


俺がどすの利いた声で問いかけると、さっきから気味の悪い笑みを浮かべていた営業マンは急に表情を無くした。






「それはクローゼットの中身のことですか?」


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