まがま

「何であんなもん今さら掘っ返してるわけ。あんた何のつもりなの? 何になったつもりなの? 調子こいてないでさあ、俺にも分かるように説明してよ」

 男の声に、俺は電話口で項垂うなだれて、歯切れ悪く謝ることしかできなくて、何ひとつまともに答えられない。

「あんたさあ、もうサークル辞めていいよ」

 かすれるノイズの奥から「あーもーどうでもいいよー」という女の声がしたと思うと、通話は切れた。

 

 

 

 

 

 ことの発端は、三か月以上前に起こった二地下ニチカのクリスマスツリー損壊事件だった。事件自体は、その後も解決が有耶無耶うやむやになったままだった。

 詳細は呼び名のまんまで、二地下こと二号館地下に、サークルごと一部屋が割り当てられている倉庫室が並んでおり、そこの当サークルの部屋に保管されていた毎年のクリスマス公演に舞台装置として持ち出される結構大きいクリスマスツリーが、ある日バキバキに破壊されて見つかったというものだ。

 真っ先に糾弾されたのは、三年生の肉林にくばやし 早池さちだった。

 肉林さんは、主に役者と人形パペット作成に関わっており、それは何の問題もないのだが、日々の稽古や用具置きに使うといってはよくその倉庫室の鍵を占有していた。鍵がなくて二地下に入れないとなるとまずは肉林を探せとなり、そして実際、大抵は肉林さんが鍵を持ち出しっぱなしにしていた。

 それだけでも十分困ったことではあったが、更によくないことには肉林さんは密室である倉庫室にサークル外の男子を連れ込んでは、あのほこり臭い場所でご休憩して昼に夜に乳繰り合っているという噂が立っていた。

 あまつさえその度ごとに相手の男が変わっているらしいのがまたケシカランとされていたが、まだ学生とはいえ一応は成人年齢にある者の、自己の責任においてやっている人間関係についてどうこう言うことも本来はない筈なのだが――それで皆のサークル活動に支障をきたしたり、そもそも備品を私物化していたりするのは確かにケシカランなあと腰を上げた当時の部長が、肉林さんと二地下に入っていったという目撃証言があって以降、肉林二地下問題は部長黙認のもと完全に放置されることとなっていた。

 

 それがサークル備品の私物化だけで済まなくなったのは、まずはサークル活動日の恒例行事として二地下の鍵を出すよう求められた肉林さんが、ついにそれを「くした」と言い出したことに始まった。

 そして、どこで落としたかも見当がつかないという鍵は結局見つからず、どういう経緯だったか俺が先頭になって学生課に頭を下げて借り受けた予備の鍵で開けられた倉庫室からは、無残にもバッキバキのメッタメタに破壊し尽くされたクリスマスツリーが発見された。

 

 鍵を拾った悪意ある外部の侵入者がツリーを壊したに違いない。そう、誰よりも先に主張したのは肉林さんだった。

 そして、許せない許せないと狭い部室で誰よりも憤慨して大騒ぎする肉林さんに、「鍵っていつ失くしたんですか?」としれっとたずねたのは豆やんだった。

 そう訊かれて何故かすとんとしずまった肉林さんはちょっと目を泳がせてから、「ん、きのう」と短く答えた。

「じゃあ、その怪我っていつしたんですか?」

 豆やんの質問は続いた。

「怪我? してないけど」

 肉林さんは、今の今までの興奮が嘘のように、淡々と答えた。

「足。くじいてますよね? いつからでしたっけ」

 豆やんは肉林さんの足元を指差す。しかし、その日の肉林さんは普段見慣れないTシャツスタイルの下は、足首まで届くほど長い、もこもこにドレープのかかったスカートを穿いていて、その下で足が実際どういった有様であるかは誰にも見えなかった。

「ああ、ごめんね。怪我って言うから。捻挫ねんざの話じゃないと思って。これは」

 肉林さんは数秒停止してから、ぎこちなく再起動した。

「おとといからだよ」

 その時、豆やんの目が光ったように俺には見えた。

「そうですか。今日、先輩の歩き方つらそうだなって思っちゃって」

 豆やんはベンチに腰をかけ直す。肉林さんは自分のバッグを手元に引き寄せ、立ち上がりそうな気配を見せた。豆やんが食いつく。

「肉林先輩、いつも素敵なヒール履いてるじゃないですか。でも今日スニーカーだから。それでも階段とか一番最後にゆっくり下りてたし。心配で見てたんですよ」

 ああそうありがと、と肉林さんが誰を見るともなしに呟く。その言葉も終わらないうちに、更に豆やんが畳み掛ける。

「ていうか、どうして挫いたんですか? 。転んだんですか? 他にもどこか痛めてないですか?」

「いやまじであんた関係ないし」

 肉林さんの態度が崩れた。しかし豆やんはその言葉も聞こえていないように続ける。

「男の人と喧嘩したりして、突き飛ばされたとかなんじゃないかと思って。そんなの、コンクリとか固い地面の上だったら危ないじゃないですか。こう、あれだ、倉庫みたいなところだったりしたら」

 肉林さんはもうあからさまに顔色を変えていた。

「なんなの……」

 豆やんを見る目にも警戒を隠さない。だがそれでも、豆やんは動じない。

「いやほら俺、女の人の靴って好きだから結構見ちゃうんですよね。先輩、きれいなヒールいっぱい持ってるじゃないですか。でも、一昨日おとといっていうか昨日だってやっぱり先輩はまだヒール履いてたと思ったなあー、――ほんとは、いつ挫いたんですか?」

 豆やんの言葉が決定的な質問に至って止まる。肉林さんはその質問に答えない。もう席を立つ様子もない。だから豆やんは、もう一歩踏み込んだことを言った。

「本当に大丈夫でした? 怒った男が、肉林先輩にだけじゃなくて、何かこう『目につきやすいいかにも大事そうな物』にわざわざ暴力振るって壊したりしませんでした?」


 肉林さんは豆やんの質問には答えず、据わった目で豆やんを睨み返すと、低く響く声で「あんた気持ち悪い」とだけ言った。

 

 

 

 それで結局、犯人は明らかとされなかった。

 肉林さんはもちろん、部長も、誰も――豆やんさえも、それ以上犯人探しをしようとしなかった。

 豆やんは、「もう必要ないでしょ。むしろ俺、イラっとしてやり過ぎたって反省してるもん」と語った。「想定される状況的にもね、あんまり掘んない方がいい」とも。

 とはいえ俺も、犯人というか実行犯が見つかったところで、ツリーの弁償というか修復の手伝いくらいしかしてもらうことが思いつかないし、それより部内のカンパが思いのほか集まって、新しい綺麗なクリスマスツリーを一からしっかり作れそうだったし、事件の時期が春前だから、作り直す時間だって余裕たっぷりだしで。解決が有耶無耶となっていてもさほど気にならなかった。

 

 ただ、この事件関連の連絡のために個別に立ち上げられたラインのトークグループに、片付くべきことが大体片付いたあとになって、肉林さんによるいささか自意識過剰な長文投稿があったのが、ちょっと気にさわったくらいで。

 自分の責任を棚上げして何やら立派そうなことを述べているその内容に、部員の皆もそれぞれ思うところはあったようだが、結局誰もその後にメッセージを続けることはなく、そのトーク自体が事件と同様に、もう何か月も放置されたままになっていた。

 

 

 そのトークに、今夜、いきなりの投稿があった。トークのメンバーで、俺だけがそれに気づかなかった。豆やんが気づいてすぐ俺に電話をくれていたそうだが、そのとき既に俺は前部長からの電話に出ており、豆やんからの発信がつながることはなかった。

 

 俺は、放置されていたトークに今頃になって投稿されたという新しいメッセージについて、全く何の申し開きもできず、前部長に責められるままにただ頭を下げることしかできなかった。

 

 そして、電話口の前部長の声の後ろから肉林さんの声が聞こえて電話が切れ、俺は耳元から下ろしたスマホをのろのろといじり、ラインを立ち上げて事件についてのトークを開いた。

 

 見覚えのある、肉林さんの長文メッセージ。その後ろに続いて、そこにあるのは初めて見る、でもこれまでに何度も見たことのある文字列を、俺はもやのかかった頭でいつまでも、いつまでも見つめ続けた。

 

 

 

 Nick:今回このような出来事があったことについては、非常に残念に思っています。私も二号館地下をよく利用していた者として、思い入れのある場所をまさに土足で踏み荒らされたことに、今も強い怒りを禁じえません。でも、起こってしまったことはもうどうしようもありません。幸い、皆さんの頑張りによって、新しいクリスマスツリーの製作は順調に進んでいます。ただ今後、再びこのようなことが繰り返されることがないよう、皆さんも学生という身分に甘えず、既に社会の一員であるのだという自覚を持って、自分が今どんな責任を負っているのかをこの機会ににもう一度考え直してみて下さい。また、備品の管理も見直し、今回のような紛失を防ぐために、倉庫の鍵を持ち出した際には必ずその日のうちに戻すことを徹底するようにしましょう。

 

 ヒロマル:まがま



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