まがま




 ヒロマル:すみません、誤送信しました。以後注意します。

 

 

 

 再び起きた謎投稿は、俺が追ってメッセージを一本送るだけで事なきを得た。出来事として何でもなさすぎて、教授から特に言及もなかったほどだった。

 そう、それが当たり前なのだ。もともと何の意図も含みようがない、意味のない文字列なのだから。まがま。まがまと言われたから何だ。何だというのか。何かしら思う方がおかしい。

 そうだ。たとえ多少間が悪かったりとか、そういうことがあったとしても。それで感情的になるのだとしたら、そいつに何かやましいところがあるのだ。そうに決まっている。当たり前じゃないか。俺が悪いんじゃない。

 

 そんなことを頭の中でぐるぐる考えながら、俺は構内を移動して部室に向かっていた。今日の講義は、ゼミを含めすべて終わっていた。

 手の中のスマホをついつい見てしまう。いや、見直してしまう。開かれたラインの画面には、俺が講義を受けている間に行われていた、サークルの部員同士のやり取りが表示されていた。

 トークの面子は、来たる夏休み後半に予定されている、他県遠征しての興行に参加するサークル内の十余名だ。これに浦部さんは来る。豆やんは来ない。トーク内容は、その顔合わせ(全員部員だから、当然みな顔見知りではあるのだが)のため行われた飲み会の、その幹事である俺と同学年の金田かねだ 盛夫もりおによる、後日精算についてだった。

 

 

 

 金田盛夫:お疲れ様ですー

 

 金田盛夫:先日の飲み会ですが、会費お一人4000円でお願いしますー

 

 金田盛夫:本日徴収するのでご用意ください!

 

 金田盛夫:[スタンプ:よろしく!(白坊主)]

 

 

 

 その遠征には俺も参加表明したので、飲み会にも顔を出しており、だから支払いもする。それはいい。それは本題ではない。問題は金田が提示したその金額で、そこに触れた後輩がいた。

 

 

 

 ぬいぞう:あれ、ちょっと高くないです?

 

 金田盛夫:[スタンプ:え!?(金髪男)]

 

 金田盛夫:舞台の無事と成功を祈ってちょっといいコースにしたかも?事前に許可取るべきでしたごめんなさいですー

 

 金田盛夫:[スタンプ:ゴメン!(白坊主)]

 

 ぬいぞう:いやいやいや

 

 ぬいぞう:俺もあの店のあの料理のコースで飲み会してますけど飲み放題つけても一人三千ですよ

 

 ぬいぞう:四千って何の数字ですか?

 

 金田盛夫:貫田ぬきた君いまどこ?

 

 金田盛夫:ちょっと電話します

 

 金田盛夫:すみません。お金のことはまたみんな集まった時に話します。勝手な決めつけすると恥かくのその人なので気をつけて。

 

 ヒロマル:まがま

 

[金田盛夫 が ヒロマル を退室させました。]

 

 

 

 なんでそこで俺を排除してんだてめえは。

 

 その後のトーク内容は、もちろん俺には見えない。誰かにまた招待してもらえるのを待つしかない。




「あ、大丸ひろまるさん」

 サークル部室の固まる特別棟の階段を上っているところで上から声をかけられる。サークルの後輩の、一年生の子だった。

「あれ……まがまって何か流行ってるんですか?」

 あはは、と冗談めかして訊いてくるが目が笑えていない。俺の表情を伺っている。

「まあ、いいや……いま大丸さん、部室入らない方がいいっぽいですよ」

「え、なんで」

「ライン見てますよね? 金田さん、やっぱり会計ごまかそうとしてたみたいで。そんでそれが、大丸さんのせいだって」

「ええ……なんで」

「いや全然筋通ってないんで気にしないでいいです。でもいま相当荒れてて。泣いちゃって。やばくて」

 言いつつ、俺の横をすり抜けて小忙こぜわしく階段を下りていく。

「私いちおう、警備員さん呼んできます。ドアがんがん蹴っちゃってるから、どうせ来るし」

 そうして段抜かしで踊り場まで飛ぶように下りると、

「部室。入っちゃダメですよ!」

 指でバツマークを作って見せて、念押ししてくる。そしてパッと体を翻して、階下へ消えてしまった。

 

 俺はしばしぽかんとした後、のろのろと階段を上りはじめる。目的の階まで上がるも、部室には入らない方がいいと言われてしまっているので、どうするか、あっそうだトイレ行こうと顔を上げる。

 そのとき意識の外にあった人の気配が突然リモコンのボリュームを踏んづけたみたいに耳元でぐわっと大きくなって、さらに物理的な衝撃となってドンッ! と俺の背中に追突してきた。

 

「ヒロマルァア!! テメエエエ!!」


 金田だった。


「何なんだテメエ! 何だアレまがまとかヌかしてんじゃねエぞテメエエ! ナメてっとブッコロすぞアアア!? どーすんだコレなあおまえのせいだろゴラアッ!!」


 真っ赤な顔をさらに涙と洟水はなみずでぐちゃぐちゃにした金田が俺の襟首を、袖口を掴んで激しく揺さぶってくる。はげしく虚を衝かれた俺はされるがまま人形のようにがくがく揺さぶられる。

 気がつくと俺と金田を囲んでわあわあと騒ぐ人の輪ができていた。見ればそれは全員人形劇サークルの面子で、ああ、俺は金田が部室から飛び出してきたところに運悪く行き合わせてしまったんだなと他人事のように考える。

 

「俺はあ、遠征のおお、金をさあ!! どうせいつも足りなくなるからあ! 先に余分に集めといただけだろうがあ! ちゃんと決ッ算で言うに決まってんだろうがあ! なのに、お前、おまえが、まがまって、まがまとか言うから俺が疑われんだろうがあっ!!」


 があがあがなり立てる金田は明らかにふつうの精神状態じゃなくて、何よりもまずこいつを落ち着かせることが最優先だとは分かっていたけれど、気の利いたことを言うなんて普段から苦手な俺は、そこでたぶんかなり間抜けな一言を漏らしてしまう。

 

「――まがまって何」


「オレが知るかああっ!!」


 金田が野太い腕を振り上げたと思った次の瞬間、俺の鼻から炸裂するように火花が弾け飛び、ぐらりと平衡感覚を失ってしまう。キャーッと女の子の鋭い悲鳴が聞こえ、ああ、もろに殴られたなと理解する。体は後ろに倒れるけれど手足は言うことを聞いてくれなくて、やばいぞやばいぞと思っていたら、咄嗟に伸ばされたらしい何人もの腕が俺の背中を受け止めて、ふわりとした浮遊感の中に俺の感覚はとどまって、俺は豆やんとばっかり話しててサークルの人たちとはあんまり馴染めていなかったなあ、なのにこういう時に手を伸ばしてくれる人間のやさしさは有難いなと思いながら、俺の意識は暗い暗い底へと落ち込んでゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部室のベンチの上。と、覚醒した瞬間気づいた。

 顔が冷たい。手をやると、湿ったハンカチが載せられていた。

「あ、大丸ひろまるくん起きた」

「え、あ……浦部さん」

 体を起こしたところで浦部さんの姿を見つけ、俺は慌てて身だしなみを確認する。

「飲み物のむ?」

 窓からの西日に照らされた浦部さんが、やはり西日を透かすペットボトルを差し出してくれる。飲みながら、部室に二人きりだと今さら知る。

「他の人らは?」

「金田くんに学生課付き添ったり、帰っちゃったり。だから今日はサークル活動もう何もないよ」

 蓋を閉めて返したペットボトルを、浦部さんはまた開けて飲む。その行為に俺は高校生みたいにどぎまぎする。

「体、平気?」

 そう訊かれて、一応全身を見回してからまあ大丈夫、と笑おうとしたら鼻が引きれて痛い。触れると少し腫れている。

「鼻血出てたから……きれいに拭いたと思うけど、あとで鏡見ておいてね」

「あー、ごめん、そんなことまで」

 恐縮してしまう。そして、顔の上にあったハンカチが浦部さんの物だと遅れて気づく。

「これ、洗って返す」

「やだ、いいよいいよ。あとで頂戴」

 ふたたび恐縮しつつ、俺はこの後どうすべきかと考える。活動がないなら、ここにいても仕方ない。せっかく浦部さんといて、二人とも時間が空いたなら、どこかで一緒に食事とかしたい。金あったよな。店のストックあるか。

「ねえ大丸ひろまるくん」

 浦部さんの声に顔を上げる。さっきまで差していた西日がもうかげりかけていて、部屋がうす暗い。電気を点けるべきだろうか。

「あのね、まがまって――何」

 その質問につい、浦部さんの目を確かめてしまう。悲しげな目をしていた。

 そういえば、いつでもよく笑う浦部さんが今日は笑っていない。

「私、天津谷さんにもきかれちゃった」

 そうだった。浦部さんと天津谷部長は人間関係が近い。俺の代わりに浦部さんが何か訊かれていても不思議ではない。

「そんなの――そんなこと、浦部さんは何も知らないのに」

 俺の目は泳ぐ。浦部さんは返事代わりに笑おうとしたみたいだったけれど、笑えていなかった。

「でも、ごめん、俺も分かんないんだ。あれ、俺がやってないのに勝手に飛んじゃうんだよ」

「……そうなの」

「スマホ触ってない時でも勝手に動いちゃううみたいで。アプリがおかしいのかも知んないし、スマホのキーボード機能の方がおかしいのかも知んないし、俺もよく分からんくて」

 言い訳がましくなるのがつらい。

「こわれちゃってるの? 直せないの」

「うん、そうだね……後でラインのサポートに問い合わせてみるつもり」

 自分で口に出してから、そういえばそういう手段もあったななんて思う。

「はやめがいいな。早く――直してね」

 浦部さんが言う。そして、ふぅっと漏れたため息に自分で驚いたようにぱっと両の手のひらを口の前に立てて、あははっと笑い声をてて誤魔化す。そして、

「――私、いま結構、きついかも」

 次に漏れた浦部さんの言葉に、俺は胸の奥にすごく重いものが落ちてきたように感じた。俺が能天気なぶん、俺と付き合っている浦部さんが迷惑をこうむっていると思った。そこで、俺は思い至る。

 そうだ。俺がこの階にくる前。金田が部室を飛び出す前。部室には浦部さんもいたんじゃないか。そうなら、そのとき、あの尋常じゃなかった金田の攻撃に晒されていたのは。

「浦部さん」

 俺は浦部さんを見る。浦部さんは、今は笑っている。でもそれは、さっきまでの笑えていなかった時よりもきっとよくなくて、

「ごめん浦部さん。浦部さんは大丈夫だった?」

 俺は、俺のそういう言葉がひどく遅かったことが分かった。まだ浦部さんは何とも答えていないのに、表情を見ているだけで胸が苦しい。浦部さんは何度か大きくうん、うんと頷いて、それから目を閉じてふるふるっと首を振った。

「ごめん浦部さん。……ごめん」

 俺の言葉だけが、すっかり暗くなった部室の中にむなしく響いた。

 

 

 その日は結局、駅前まで二人で行っただけで、食事はせずに別々に帰った。

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